経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

「私」を見て欲しいだけ。

 私は小学生の頃から周りに雑に扱われてきました。それでも雑に扱われたくなくて毎日毎日笑顔で生きてきました。今ではその笑顔がホンモノだったのかニセモノだったのか分かりません。もう10年以上そうしてきたので人と話す時は自然と口角を上げていました。だから、周りから少し声のトーンが低いだけでどうした?怒ってんの?と言われ、笑えない時心配されて、私は笑っていないと変なのか?と周りからプレッシャーを感じました。
 そんな時に1番心を開いていた人が私の悩みをネタにして馬鹿にしてきました。笑っていました。嘲笑っていました。怖かったです。その子が人の死と直面して苦しんでいた時、30分かけて家まで行ったこともあったし、その子が学校に来た時は1人にはさせませんでした。何も話さないけど横にいました。支えたつもりです。人の気持ちを考えるのは疲れるし得意ではないけど頑張ったつもりです。そんな子に私は突き放されました。学校でも行事でも1人になりました。不登校になって1週間が経ちました。その子から連絡は一切来てません。
 ある子からその子あなたのこと「アイツ病んでるんよ笑笑」と言ってたと聞きました。泣きしまた。連絡もしてこず、私を傷つけただけの人が勝手に周りにベラベラと話をしていました。どうりでその日心配する連絡が来たわけです。どうせみんな心配してないのに。心配してる自分が好きなだけなのに。
やめて欲しかったです偽善者ぶるのは。
私はそんな人達と会う時は笑わないといけないみたいです。じゃないと1人になってしまうみたいです。
母とはなんでも話す中なのでなんでも話しました。けど最近話しすぎて母も辛そうです。一人で抱えないといけないけれどできませんでした。もう無理だと伝えたら「あなたには可能性がある」と言われました。家でも母は私に寄り添うフリをして期待だけをしていました。家にも本当の私を見ている人は1人もいませんでした。受け止めてくれる人は1人もいませんでした。
なんのために生きて、なんのために死ぬのか分かりません。ただ周りに人はいるけどいません。助けてって言ってもみんな腕だけ伸ばしてきます。歩み寄って来てくれないんです。結局1人なんです。誰も弱い私なんか見てないんです。

感想1

経験談をありがとうございます。いつも自分の不安や悲しみなどのマイナスな感情を隠しながら、笑顔の仮面を被り周りを不快にしないように過ごしてきたんだなということが伝わりました。
最初から不機嫌そうな人は、少し笑顔になるとよく思われるのに、いつも周りに気を遣い、笑顔でいる自分は、少しでも笑顔をとけば指摘される、不満に思っているように受け取られる、そんな理不尽な思いをされてきたのかなと想像しました。
いつも良い子でいると少し悪いことをすればすぐ咎められるのに、何故かいつも皆が当たり前にやっていることをやらない人が少し良いことをするととても賞賛される、褒められるという理不尽さを、今まで生きてきた中で目の当たりにすることも、私自身も感じたことがあります。私は、その時悲しさと怒りときっと嫉妬と、でもやらないという選択肢を選べない自分はこれからどう振る舞っていけばよいのかと色々な感情が入り混じるものでした。
良い子でいようとすることも、笑顔で周りに気を遣うことも、当たり前でなくて自分だって我慢して一生懸命やっているという事実を「誰かに気づいて欲しい」そんなメッセージのように感じました。
そんな中、精一杯あなたがケアしていた支えていた人に突き放された時の感情は計り知れません。でも、どうしても笑顔になってしまうあなただからこそ、今学校へ行かずにその人と距離を置いているという状態は、心を守るのに必要な時間だと私は思いました。
なんでも話せる中と書いてあるお母さんとのやりとりも“期待”だけが感じられて今は辛い状況なのですね。笑顔でいるのがデフォルトで、辛くても苦しくてもそれを崩せない気持ちが私にも少しだけわかるので、そんなあなたが真顔で話せるひとが現れて欲しいと願ってしまいます。いつでもまた吐き出しにきてください。

感想2

あなたはずっと、「嫌われないように」とか「一人にならないように」と、かなり自分を削りながら周りに合わせ続けてきたのだろうなと想像しながら読ませてもらいました。笑顔も、気遣いも、空気を読むことも、最初は“生き延びるため”だったのかもしれませんが、それを長く続けすぎると、どこからが本当の自分で、どこからが周りに合わせた顔なのか、自分でも分からなくなってしまったのではないかなと思いました。それによって“笑っていないと変なのか?”という感覚も抱くようになったのではないかなと感じますし、周りから見れば“明るい子”、“いつも笑ってる子”として扱われているように感じることでそれに応えないとならない気持ちが、あなたの中で少しずつ負担として蝕んでいったような印象を抱きました。
また、一番信じていた相手に、自分の悩みを“ネタ”として扱われた経験は、想像以上にかなり深い傷だっただろうと思います。あなたは、その子が苦しい時にはそばにいたり、得意じゃなくても、人の気持ちを考えようとしていて、それなのに、自分が弱った時には、その苦しみを笑われてしまったのは「この人なら大丈夫」と思っていたものが大きく崩れる感覚もあったのではないでしょうか。しかも、その子が直接傷つけただけではなくて、周囲に勝手に話していたことも、「病んでる」と言われてしまったことで、自分の苦しみがただ“面白い話”として消費されてしまうような、自分を軽んじられたような、言葉にならない痛みがあなたを襲ったのではないかなと、勝手ながら読んでいて何だか胸が詰まる歯がゆい気持ちになってしまいました。
「心配してる自分が好きなだけ」という言葉も、本当にしんどい時に形だけの心配や、“優しい自分”に酔っている感じが、逆にすごく見えてしまうことがあるよなと私は思います。だから、助けを求めてもただ腕だけ伸ばしてくるような(偽善に感じる)感覚になるのも無理もないことだと思います。近づいてはくるのに、本当のこちらの痛みに触れてこないそういう距離感に何度も期待させられてはそうではない現実に疲れきってしまったのかなと感じました。
お母さんとの関係も、簡単には整理できないもののように感じます。「なんでも話せる」という安心はあるけれど、でも同時に、「期待されている」という重さを感じるのも確かなことで…。「あなたには可能性がある」という言葉も、励ましとして言ったのだとは思いますが、今のあなたが欲しかったのは、“可能性”を見られることではなく、例えば、ただ「今つらいよね」と、そのままの気持ちを受け止めてもらうことだったのかもしれないなと考えています。
弱い自分を見せれば見せるほど、傷つけられたり軽く扱われたりという経験があなたの中に積みあがっているのだと思います。ただ、こんなこと言われたところで…と思わせてしまうかもしれませんが、今までたまたま出会えてこれなかっただけで、あなたの弱さ含めてあなたをあなたとして見てくれる人はいると思います。少なくとも、ここに書かれているあなたの「私」としての思いは、そのままの形で受け止めたいと私は思ったということをお伝えしたいです。また必要に感じられた時はいつでも死にトリに声を届けてもらえたらなと思います。経験談の投稿ありがとうございました。

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