しにとりの経験談やその回答を読んで救われることもあります。いつもありがとうございます。サイトにいる鳥さんのイラストが優しくて好きです。
私はすごく恵まれています。周りに甘えて生きてきたら、生きる力が何一つ育っていない空っぽの人間になってしまいました。
しにたい、という思いを初めて抱いたのは高校生の頃で、以来低空飛行のまま自堕落な日々を過ごしています。きっかけは大学受験でした。誰にも相談しないまま浪人をしましたが、結局大学にはいかず、近所の人に会いたくないという理由で隣町のスーパーでバイトをし、通信大学の受講も始めましたが途中で投げ出してしまいました。特に趣味や興味もないまま日々を過ごし、アルバイトはみっともないという考えから別業種の契約社員になりましたが、適応障害で3年くらいで辞めてしまいました。1年間休職をしながら就労支援に通い、医療事務の仕事を始めて10カ月くらい経ちました。今もやっぱりしにたいです。以前に比べたら、しにたい日々をやり過ごすこともできるようになってきました。とはいえ、自分のうだつのあがらなさが情けないです。職場の人は皆さんいい人で、仕事もやりがいがあって、環境もとても良いです。母も妹も一緒に暮らしてくれています。なんでもできる環境です。なのに毎日しにたいのはわがままだと思います。
見せかけだけのいい子で、当たり障りのない人間です。自分の言葉で話したり、考えたりすることができません。自分の身体で生きてない、という感覚がいつもあります。実家暮らしでろくに家事もできなかったり、仕事も言われたことやもっともらしいことをなぞるだけです(それなのに仕事は上手くできません)
一方で一人になると途端に無気力で、自分を改善しようという気になりません。楽しみをみつけたり、生活の工夫をひたり、女の子らしく美容の研究をしたり、仕事の勉強をしたり、そういうことが億劫でたまりません。
他人からは、もっと自分のために生きていいのにとか、わがままになっていいのにと言われることもあります。私がいつもつまらなそうにしているからだと思います。
おそらく私は、自分を責めたりあえて苦しい状態にとどまることを免罪符にしているのだと思います。こんなに苦しいです、だから反省してます、という格好をするのです。そうやって甘ったれた自分や怠惰な自分が糾弾されないように守っているのだと思います。このサイトに「しにたい」とつぶやくことも、可哀想な自分をどうにか慰めてほしい(しかも他人に)という魂胆があるのかもしれません。
思えば私は小学生の頃から上手く笑えなくなっていました。誰に言われたわけもないけど心のなかで「ブスが笑うな」という言葉が響くのです。その流れで、仕事ができないのに笑うな、自分勝手なくせに楽しそうにするな、間違えてるのに幸せになるな、そんな感じの言葉が無意識に湧いてきます。
しにたい気持ちは、言ってしまえば逃げの気持ちです。みっともない自分、改善や行動のできない自分、そういうものを隠していたいと考える幼いプライドがあります。プライドを持て余したまま見せかけのいい子のままで中身がないまま歳だけ重ねてしまいました。
富や名声は望みません。一人でささやかな暮らしを営んで、謙虚に周りの人に感謝しながら生きて、この自然の中にうまれたことを身体いっぱいで感じながら生きてみたいです。例え仕事ができなくても、卑屈になったりせず、無気力になったりせず、ひたむきに取り組めるひとになりたいです。
感想1
いつも見ていただいているんですね、ありがとうございます。私も少し困り顔なこの鳥さんが好きだったりします。
最後の言葉を見て、心がギュッとなりました。望んでいることはそんな大きなことではなくて、目の前の小さな幸せを感じたり、自分をただ否定せず生きていきたい、そんなふうに私の頭の中では変換されました。それゆえ、生きていく日常の中の目に見えるものや感じる小さな1つ1つにきっと敏感に様々な想いを感じているのかなとも思いました。
「見せかけだけのいい子」と自分を表現していて、“周りに恵まれている”“何でもできる環境”といういわば呪縛のようなものがあるのかなと想像しました。一般的な幸せとか恵まれている環境というものがあるとしても、それが必ずしも自分にとって良いかはまた別物だと思っていて。今は“一般的な恵まれた環境が与えられている”という事実(想い)に、追い詰められていているそんな風に私は感じてしまいました。死にたい想いを抱えながら、その時その時にできる限りの選択をしてここまで生きてきたのだとすればそれ自体、私は簡単なことではないと思いました。生きている以上、自己研鑽をするべき、女子力高くいるべき、それを推奨されるような情報や媒体が今はSNS等どこでも目にする(見たくなくても見えてくる)そんな環境があり、時に「そうしなければ」に駆られやすい社会になっているようにも感じています。また、死にたいを心に秘めることは、「逃げ」や「甘え」だと何度も自分に言い聞かせて、苦しさが消えないままだった時間の長さを感じました。感じること、思うことくらいは自分に自由であって良い、そうあって欲しいなと願ってしまいます。
いつも見てくれている中、こうして経験談を送ってくれたこと、ありがとうございます。またいつでも、声を落としてもらえたらと思っています