もういい歳してるのに働きたくない。親との関係はギリギリ最悪ではないが、お金をもらってぐうたら暮らしている。でも昔の恨みを全く忘れることができず、自分で自分を認められないし、誰にも助けを求めることができない。正直恵まれているんだ。分かっているんだけど、感謝ができない。感謝もしたくない。苦しいけど、正直なんで苦しいのかもわからない。しにたいわけじゃないけど生きたくない。
親が40歳の時に私は産まれた。一人っ子なんだけど二人とも仕事で忙しい。家にはお手伝いさんがいて家事を手伝ってくれていた。まだ乳児だったころ、親戚に面倒を見てもらおうとしたらしいが、その親戚は昼間こっそり私の生活費などを持ってパチンコ。私は一人で家にいたそうだ。夜、両親が帰ってくると食事ができたらしい。二ヵ月経つまで誰も気づかず、遊びに来たおばあちゃんが違和感を感じてようやく問題が発覚したそうだ。
そして自分は学校に行くとイジメられ(当時はいじめという概念すらなく、自分はいじめられてるんだって気づかなかった)、塾に行ってもいじめられ、家に帰るとお手伝いさんにもいびられ、両親は仕事のストレスを私に発散する。
これが当たり前だと思っていた。当たり前だと思っていたころはつらくなかった。
そして中学三年になる春休み、両親が喧嘩して父が家から出て行った。そしたら母親の怒りが私に飛び火して、激怒、殴られるとかは普段もあったから別に何も感じなかったが、「あんたなんか産まなきゃよかった」「頼むから死んでくれ」と言われた。
世界が崩れたんだ。
丁度そのころ、いろんなドラマや漫画などで、「愛のある家族」とは、「仲のいい友達」とはどんなものなのか知ってしまっていて
しにたくなった。
タダの無関心ならよかった。自分勝手に生きられるから。
過保護ならそれはそれでよかった。きっと私は愛を感じるから。
でも無関心な過保護だったんだ。
成績は満点じゃないとぼろくそに怒られる。でも母の機嫌がいいと別にお咎めなし。
二人とも忙しいのによく海外旅行に連れてってくれた。
でも基本は私の興味ない、行きたくない場所を連れまわされ、写真を撮られる。
そう、いじめられてた時、学年の集合写真みたいなものが廊下に掲示されたが、私の顔だけ画鋲で穴をあけられまくっていた。集合体恐怖症だったのもあり、それ以来写真がトラウマだ。
そしてホテルに帰ったら山盛りの宿題をやらされる。学校や塾の宿題だけじゃ許してもらえず、両親が買ったドリルや参考書、ワークをひたすら。
勉強は好きだった。好きじゃないとやってられなかった。
今の自分はもう大人だ。でも、結局社会性なんてものは身についてないから、空気も読めないから、愛情なんて結局知らないから。人付き合いが苦手だ。
仕事もしたくない。でもこんなんじゃ将来どうなるのか。引きこもりニート、孤独死がオチだ。
そうなるくらいなら自分で選んだ、決めた時間にしんでしまいたい。
でも親より先に死んじゃうと墓を作られてしまう。
めんどくさい。死んだあともあの二人に年一回は会わないといけないのが耐えられない。
かといって自分の居場所もない。インターネットでつながった友達がちらほらいるだけだ。その友達もある程度時間が過ぎるとつながりが薄くなる。孤独を感じるようになってきてしまった。
そう、そして私は双角子宮だから妊娠しにくいし、私自身も子供を絶対産みたくない。だって、私ってお金持ちの一人娘。こんなに恵まれてるのにこんなに苦しい。
こんな世界に命を産み落とすなんて。
できることなら私は産まれたくなかった。
あの両親も嫌だった。
自分を無条件で助けてくれるお兄ちゃんが欲しかった。
どんな時でも私の味方をしてくれる人が欲しかった。
守ってくれる人が欲しかった。
愛されてみたかった。
勉強ができるからとか、いい子にしてたからとか、そんな条件なく、私であるからって、私の存在を愛して欲しかった。
愛せないんだったら産まないでほしかった。
感想1
物質的に何不自由なく暮らせている人はそれだけで幸福といえるのだろうか、と考えました。毎年「世界幸福度報告書」という、各国に住まう人々が、自分の生活の中でどれだけ幸福を感じているのか調査したレポートが発表されています。たぶん、メディアで「世界幸福度ランキング~」「世界で最も幸福な国は?」みたいに取り上げられるとき、よく参考にされているデータなのではないかと思います。
この調査で人々の幸福度に関係しているとされる要因は6つあるのですが、一人当たりGDPや健康寿命だけでなく、社会的な支え(困ったときに支援してくれる人がいるか)、人生の自由度(自分の人生を自分で選択できているか)、寛容さ(他者への思いやり・寄付の精神)も測られています(残り一つは、ビジネス・政治においての腐敗の少なさです)。つまり、経済的・物質的な豊かさだけでは人々の幸福は保証されないと考えられているのです。経済的な豊かさは、たしかに幸福な生活を送るのに重要なものですが、特に日本のような先進国においては経済的豊かさの変化が幸福度の変化と必ずしも一致していないことが明らかになっています。
しかし、この「幸福な生活を送るためには経済的な豊かさはある程度大事だが、社会的なつながりや、選択の自由度などのその他の要素も不可欠である」という事実はなかなか知られていないのではないかと感じていますし、私もそう実感しています。長くなりましたが、結局何が言いたいのかというと、経済的に恵まれている状態にあるからといって幸せを感じていなければおかしいということはないということです。
あなたの今までを見てみると、勉強や旅行のエピソードから、自分のことを自分で決めたり、自分の主張を通す経験をさせてもらえなかったのではないかと思うし、ずっと周りに相談できる人や頼れそうな人がおらず、一人で抱え込んでいたのではないかという気がしています。その環境で過ごしてきて、ある日世間に存在する無条件の愛を与えてくれる両親像や仲の良い友達像に触れたとき、自分の現状と比べて愕然としたのではないかと想像しました。選択権が無かったり、親の機嫌を常に窺っていたり、頼れる人がいなかったり、居場所がないと感じるあなたの苦しみが、「経済的に豊かである」という客観的な情報で覆い隠されがちなのかなと思ったりもしました。
あなたの辛さ、考えていること、私にはどれも尤もなことだと感じられました。
今、過去のことが重くのしかかって、動く体力が中々湧いてこないのかなと感じています。働かないことに負い目を感じていたり、将来のことが不安な気持ちが出てきて、焦ってしまうこともあると思いますが、無理せず、頼れるものには頼ってもいいのではないかと個人的には思っています。
私も両親に対する「あのとき本当はこうしてほしかった」という恨み言を無数に持っていて、その気持ちが捨て置けないでいます。たまに両親と会ったとき、今さら言っても仕方ないし、分かってももらえないんだろうけど、一言言ってやらないと気が済まない…みたいな激情が生じて、言葉たちが飛び出そうな瞬間もあるのですが、あなたはどうだろうかと少し気になりました。そんなとき、またここに言葉にしにきてくれたらいいなと思います。投稿ありがとうございました。