経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

親離れ子離れ

いわゆる、私の家庭は親離れ子離れできていない。

両親は、双子の片割れを生後11ヶ月で亡くし、生き残った片方は重度障害者となった。

そんな可哀想な家庭に生まれた、健常者の私。かなり大切に育てられた。欲しいものはなんでも与えられた、やりたい習い事も全部やらせてくれた。幸せだった。

孤独だった。
兄はひとりでは何も出来ない、移動も、食事も、着替えも、排泄も、風呂も。
必然的に両親が兄にかける時間は私より多くなる。それは小さい頃から理解していた。当たり前だった。

両親と離れる時間が長くなればなるほど私は不安を感じるようになった。こわい、きらわれたくない、嫌われるはずないのに嫌われくない。

親からの要求は全て飲み込んだ。
経済を学びたかった、親が公務員になれと願った。公務員になった。
遊びに行くにもいつ誰どこでの連絡を欠かさなかった。
何もかも親に許可を求めないとおちつかない。

24歳公務員、未だに何かを買う時に親に許可を求める。

両親は過保護だった。
自分の娘が何をしているのか気になった。

その証拠に大学生から今まで続く「おやすみLINE」。今日は何したの?何食べたの?仕事は順調?

苦痛にすら感じる。止めたい。もう24歳の立派な大人だ。好きなように生きたい。でも嫌われたくない、悲しませたくない。

親離れ、子離れ。

感想1

投稿ありがとうございます。

最後に記してくださっている「苦痛にすら感じる。止めたい。もう立派な24歳の大人だ。好きなように生きたい。でも嫌われたくない、悲しませたくない。」がとても印象的でした。
あなたの思いとしては親離れしたいのでしょうか。だけど、親離れをすることでご両親に嫌われてしまう、悲しませてしまうと感じるから親離れできない、という感じなのでしょうか。沢山の愛情をもって育ててくれたご両親だからこそ、簡単に決められない部分なのかなと感じます。

ご両親がお兄さんにかける時間は必然的にあなたへの時間よりも多くなること、当時のあなたにとって理解できていたとしても寂しさはあったのではないか、当たり前だと割り切っていてもどこか納得しきれない部分はあったのではないかと感じます。
ご両親と離れる時間が長いほど不安を感じるのも、嫌われたくないという思いと並行して「いつか手を離されてしまうのではないか」というような思いもあったりするのかな、と想像しました。また、何かを買う時にご両親に許可を求めることも、あなたがご両親とのつながりを保つためのなにか潜在的なものがあるのかな、と感じました。

印象的だった終盤の「苦痛にすら感じる。~」に関して、苦痛にすら感じてしまうのはご両親からのLINEということでしょうか。私はそう読み取った(違っていたら申し訳ありません)のですが、「あなたにとってご両親からのLINEはあなたを締め付け苦しめるものとなっている」ように感じ、このLINEもご両親に嫌われたくないという思いに紐づいているのかなと感じました。
(私の個人的な意見になりますが、親の立場からすると子が親離れすることは嫌ったり悲しんだりするものではなくむしろ喜ばしいこと(離れていくのがうれしいという意味合いではなく、それだけ立派に育ったことが喜ばしい、という意味合いです)なのではないかと感じています。)

こうして感想を書かせていただいている間に改めて考えてみたのですが、やっぱり「親離れしたい」という思いと「ご両親に嫌われたくない、悲しませたくない」という思いを両立した答えというのはなかなかに難しい、どちらの想いも強いものだから選ぶことなんて簡単にはできないのかなと感じました。あなた自身の人生、後悔のない選択ができるといいなと影ながら応援しております。

感想2

幼少期から、「お兄さんは介助が必要だから仕方ない」と、孤独を抱いても、諦めるのが常だったのかなと思いました。与えられたものが沢山あっても埋まらない孤独のなかには、見て欲しかったもの、聞いてほしかった話が、沢山あったのではないかと想像しました。
過保護なご両親と、不自由を感じているあなたに対して、私自身の親との関係性を少し重ねつつ、どこかで見た「子育て四訓」を思い出しました。「乳児はしっかり肌を離すな 幼児は肌を離せ、手を離すな 少年は手を離せ、目を離すな 青年は目を離せ、心は離すな」というものです。繋がりを十分に感じられなかったものがありつつ、いつまでも目を離してもらえない息苦しさや、ちぐはぐさがあったりするのではと思いましたが、いかがでしょうか。
嫌われるはずないという言葉とは裏腹に、心の底から安心できていない感覚や、根拠となる絶対的に大丈夫だった記憶や経験が実は少なかったりするのかな、親の要求を全て飲み込んだり、親に許可を求めるのは、親の期待を裏切りたくない、親と心を繋げていたいという思いがどこかにあったりするのかな…など、いろいろと考えてしまいました。投稿ありがとうございました。

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