経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

やめたくてもやめられない衝動

私の生活には、衝動的な行動が目立つ。数え切れない線の跡、飲みかけの咳止め、いつ買ったのかわからないブランドもの、夜の世界で使った何十万もの貯金……

なぜ私はこんなにも惨めなんだろう。

なんでこんなに切ったのかな、、
割れた皮膚の当時の記憶はありません。
もう気づいたら、初めて切ってから10年以上経ちます。両腕の傷を隠しながら、この時期は夏を恐れます。なんでみんなに同じ跡が無いのだろう、、

とにかく飲まなきゃ。そんな気持ちで流し込む錠剤。あれ、昨日の私はなにをしてた…?止める人は誰もいない。

薬、酒、薬。

自分をよく見せるための服、コスメ、かばん、アクセサリー。外側だけ着飾る惨めな着せ替え人形。あぁ、生みの親も、よく買ってくれていた。無理なダイエット、太る恐怖心、もっと頑張らなきゃ。

商売をしながら、商売される生活。上辺の言葉と濃いアルコールだけが私のそばにある。なにもないのに。

いつの日にか、死にたいという感情が当たり前になった。どんな音楽も、死にたいと叫んでいる。死のうとして失敗して、入院を繰り返したが、結局今私は息をしている。なんで?なんで私を助けたの。

寝れない夜がなんだ。いつもの事だ。
私が求める安心は、どんな場所だろう。わからない。わかりたくもない。

麻痺した感覚と、ただ空っぽの入れ物という名のからだ。

もう処方箋なんていらない。
生きたくも、死にたくもない。

感想1

すごく離れて自分を見ていたり、何を見ているのかわからなくなるほどめいっぱいズームをして自分を見てみたり。自分や周囲に翻弄され、とても疲れ切っているあなたを想像しました。惨めだと書かれていましたが、生き抜く方法を躍起になって考えて片っ端からチャレンジしてきた、あなたはずっと頑張ってきただけなのに、こんなにも傷つき苦しんでいる。そして抑えられない衝動は、内にも外にも向く色んなエネルギーになり、自分自身でもコントロールしきれないほどに環境や他者との化学反応を起こし、思ってもみなかった状況に追い込まれてしまう、そんなことも多かったのだろうかと思います。幼少期は大人がいないとお菓子も買えない、選択肢は限られていて多くの子どもは不安を持って生きています。子どもは少しずつ社会や家族の中で安心に触れ、居心地の良い安心、悪い安心などを経験しながら自分自身でも安心をつくるようになるのではないでしょうか。割れた皮膚は、あなたが安心を探しているという叫びにも聞こえます。「生きたくも、死にたくもない。」と自分の気持ちを真っすぐに表現され、曖昧さを許してくれてほっとしている私がいます。眠れない夜は、また気持ちを綴りにきてください。投稿いただき、ありがとうございました。

感想2

あなた自身を「麻痺した感覚と、ただ空っぽの入れ物という名のからだ」と表現されているはずなのに、惨めさや死ねない悔しさなど悲痛な心の声も同時に聞こえてくるようでした。もしも、完璧な空っぽの入れ物になることができたならもっと楽なのかもしれない。それにすらなれない、あなた自身を無視できないからこそ、現状に苦しさを抱えられているように感じています。

きっと必要でなければ薬も酒もリストカットも通り過ぎるものなのかもしれません。必要とするのは、そして、必要とする状態になってしまうのは、それだけそこに逃れたい何かがあるからだと私は思っています。辛い気持ちや感情や経験、或いは自分自身から逃れたいという思いもあなたにあるのでしょうか。

衝動的な行動が目立つという言葉から、気持ちの浮き沈みもそれなりのスパンであるのかなと感じました。外部の刺激など、あなた自身から離れている間は楽になれる時間かもしれない。しかし一方で自分に返ってきた時にとても自分を続けられない気持ちになっていたりする、そんな波を繰り返しているのではないかなとも想像しています。

安心できる場所がわからないまま、その時々に色々なもので自分を誤魔化し、自分を助け、やり過ごし、今ただただ疲れ果ててしまっているあなたを思います。

個人的には今の環境から離れて、死んだつもりで旅をしてみることをおすすめしたいなあと思いましたが突拍子もないアイデアでしょうか。私は自分探しの旅というのはあながち上辺の言葉だけでないものがあると思っています。着飾らなくても上辺の言葉がなくても大丈夫と思える人と出会うことは、(特に繊細な人にとって)安心できる要素の一つかもしれないなと思いました。

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