物心がついた頃から、両親は喧嘩ばかりしていました。
母はヒステリックで、父は暴力的。
私は四人兄弟の末っ子で、上の三人とは歳が離れていました。
幼いという理由だけで、家族のストレスの捌け口にされて育ちました。
中学に上がってすぐ、両親は離婚。
新しい家へ向かう車の中で、「これからは良くなる」とワクワクしていたのを覚えています。
でも、現実は違いました。
家族からの暴言や暴力は日に日に酷くなり、学校ではいじめが始まりました。
良くなるどころか、すべてが悪化していきました。
いじめを母に相談したとき、こう言われました。
「そんなにつらいなら死ねば?お母さんは別にいいよ」
冷水を浴びせられたような衝撃でした。
母親にすら、私はその程度の命なんだと悟りました。
学校でも、味方はいませんでした。
ある日、他人のペンを私の筆箱に入れられ、「盗られた」と騒がれました。
耐えきれず先生に相談すると、返ってきたのは
「○○君はあなたのこと好きじゃないから、それは分かってね」
という言葉でした。
家族も、学校も、誰も私の味方ではありませんでした。
高校に進学しても状況は変わらず、
登校前に母と喧嘩をして保健室で手当てを受けることもありました。
疲れきった私は、次第に学校を休みがちになり、
行けても遅刻か早退ばかりでした。
家庭の事情を知っているはずの先生たちからも、
「大変なのは分かるけど怠けている」と叱られました。
仕事上仕方ないのかもしれません。
それでも、その言葉は私をさらに孤独にしました。
やがて日常生活も送れないほど精神が不安定になり、
実家の近くで一人暮らしをしていた兄の家に居候することになりました。
しかし当時の私は、家事・バイト・勉強を両立することができず、
「家事ができないなら出ていけ」と言われました。
その夜、泣きながら荷物をまとめて家を出ました。
その日、初めてリストカットをしました。
そして、やめられなくなりました。
最終的に、お酒とリストカットで救急搬送され、閉鎖病棟に入院しました。
パニック状態の私に、医師は落ち着いた声で言いました。
「冷静になりなさい。ここで負の連鎖を断ち切らないといけない」
怒鳴られるか責められるかしか知らなかった私は、その言葉に驚きました。
同時に、「ここで頑張れば変われるかもしれない」と、初めて思えました。
その後、複雑性PTSDと診断され、治療が始まりました。
曝露療法という厳しい治療で、フラッシュバックが起きても発作が出ないようになるまで、
何度も何度も辛い記憶と向き合いました。
この治療をやり遂げたことは、誰が何と言おうと、
私は「頑張った」と思っています。
高校は通信制に転校し、治療と並行して受験を行い、
介護福祉の専門学校に進学が決まりました。
病状も寛解し、通院も終わり、
「やっと社会復帰できる」「幸せになれる」
そう信じて疑いませんでした。
でも、違いました。
専門学校で出会った人と結婚しましたが、
交際中に避妊してもらえず妊娠し、流産。
その後うつ病になり、再び通院が始まりました。
何をしても涙が止まらず、ただ苦しい日々でした。
性的DVやモラハラもありましたが、
私は「いつか変わってくれる」と信じてしまいました。
今思えば、洗脳されていたのかもしれません。
そして子どもが生まれた後、
過去の妊娠・流産の時期に浮気していたと告白されました。
そこからは、地獄でした。
再びお酒に逃げ、腕を切り、入院。
そして離婚しました。
「再出発しよう」と思い、
一度辞めていた介護職に戻りましたが、
心の浮き沈みに耐えきれず、再び入院し、仕事も辞めました。
今は、支配的で過干渉な母との関係に悩んでいます。
最近も「頑張れないなら死ぬしかない」と言われました。
その時その時で、私は全力を尽くしてきたつもりです。
「自分ならできる」
「過去がどうであれ未来は変えられる」
そう信じて、必死に努力してきました。
でも、それは見当違いだったのかもしれません。
結局、自分で自分の首を絞めていただけでした。
馬鹿馬鹿しくて、情けなくて。
どれだけ頑張っても、報われたことなんて一度もありません。
こんなことなら、治療なんてせずに死んでしまえばよかった。
そう思ってしまいます。
もう疲れました。
本当に疲れました。
真っ暗で、何も見えません。
努力した先に待っていたのは地獄でした。
感想1
あなたが「地獄」と呼ぶしかないような状況の中をここまで生き延びてきたことの大変さとすさまじさを感じていました。詳細な描写があるわけではなくても、一行一行の言葉の中に、実際には具体的なくるしさや痛みが含まれていることをひしひしと感じます。両親の状況や学校の状況は、あなたの安全を根こそぎ奪うようなもので、暴力と支配の応酬のような状態が環境全体に作られてしまっていたのだろうかと考えていました。読んでいると、あなたの両親も心が安全な状態とは思えず、加害的であること自体が、なにかバランスを損なっている状態とも感じました。本当であれば家族一人一人に丁寧にサポートがあったら、あなたの状況はすこしは違ったのだろうか……とぐるぐると考えてしまいます。
「自分ならできる」「過去がどうであれ未来は変えられる」
これらの言葉からはあなた自身の、一人の決意というような強い意識を感じました。あなたがこれまでの経験の中で他人にも環境にも期待できない中、自分の努力という唯一信じられるものを頼りに生きてきたということなのかなと感じました。
子どもの時にほんとうはたくさんの「頼る経験」を積み重ねることはとても大事なのかなと最近思っています。でも、家庭環境や学校などでそれどころじゃない状況が多すぎて、頼る機会なんて得られないことが少なくないと思います。 その中では、私たちはみな孤立しながら自分の力でなんとかしなければならない負のスパイラルに陥ってしまうことがあるように感じます。本当は、制度や人や社会資源はないわけではないのに、それを知ること自体がむずかしいという状況もあります。私自身も家庭環境や学校でいろいろ困ってきた中で、頼り方や力の抜き方をいまいち学べてこなかった感覚があり、大人になったいまも学習の途上にいると感じています。
あなた自身孤独を感じながら交際相手にいくら期待しても対等な支え合いにはならないまま、たくさん傷ついてきたことを感じました。今は母との関係の中で、安全を脅かされてしまう状況が続いているのかなと思います。その中でへとへとに疲れてしまうのも当然だし、あなたを安全な場所に匿ってくれなかった世の中に憤りを感じています。あまりにも理不尽だし、その理不尽の補填をあなたが一人で頑張ってきたと思うと、それはどれほどの労力だっただろうと思わずにはいられません。
子ども時代から、あなたが頑張らなくても過ごせる権利はずっとあったはずなのに、正当にもらえないまま、どこかに隠され続けてきたような感じもしました。それがどこかにあるのかはわからないけれど全部取り返して、あなたが安全に過ごせる場所でこれまで努力した分を取り返すくらい、休息と回復の時間をとってほしい……と勝手な空想とはわかりつつも考えています。でもそれがそのままはむずかしくても、すこしずつでも、あなたにとって地獄ではない、ほんとうに安全に休める場所や、心地よく感じられる時間が増えてほしいです。書いていくだけでも、さまざまな感情が去来し疲れる作業だったのではないかと思います。それをここに投稿してくれてありがとうございます。あなたが抱えてきたものをすこしでも置いておける瞬間があるなら、またとりぱーくを使ってもらえたらうれしいです。