家は機能不全家族で、すぐ機嫌の悪くなる母がいて、何が起爆剤になるかわからないのでいつも顔色を窺って生きてきました。父は障害者で何を話しても怒鳴るしかしないものでした。父方の祖父母は私と母に冷たく、もはや家族ではありませんでした。
母は定期的に父と喧嘩しては家を飛び出すので、いつか本当に死んでしまうのではないかと毎日監視してました。でもあんなに「死にたい」と言って電車に飛び込みかけたのに いざ癌になると 不安からなのか私に八つ当たりしてきた時は軽蔑しました。私が帰省した時も 面倒くさそうで「なんで帰ってきたの」と言われた時は 「この人は私の親ではない」と思いました。
「親だから仕方ないけど」という言葉も何回か聞きました。要は親でなければ何もしたくないのか、「死ね」「父親に似てるから嫌い」「産まなきゃよかった」「あんたがいるから離婚できない」「お前はバカだ」など私に言ったこともどうやら忘れてるようです。私を産んだのも「産んでみたかったから」だそうです。それならば産んだ後に殺すか孤児院にでも預ければよかったのに、と今でも思います。
弟には甘いのに私には八つ当たり、同じような愚痴を毎日聞かせられ(反応が悪いと怒る)、夜寝る前に昔のことを蒸し返しに私の部屋に来るので毎日緊張していました。私の思うこと感じることは全て「おかしいこと」らしく否定してくるので、「何かあるなら言いなさい」と言われても(いつも否定しかしないのに、いったい何を話せと?)と黙るようになりました。私は子供なはずなのに立場が逆転していました。
母も親に愛されない子で、普通なら子供には同じことをしないと思うはずなのに、どうやら世界で1番かわいそうなのは自分で、子供はどうでもいいそうです。お陰様で私も母と同じ、親を憎む子になりました。だから権力で上から押さえつけてくる人は今でも嫌いです。
今は 他人の行いに厳しい、声の大きな人が増えたなと思います。自分とは関係の無い他人で、不倫や不祥事はその人の問題なのにどうしてそこまで責めることができるんだろう?と思います。自分は正しいと思っているからこそかもしれませんが、清く正しく生きてきた人なんだろうな、これから先も自分は起こさない自信があるんだな、すごいなと冷笑しています。そこまで関心がない私が異常なんでしょうか?
障害もそうで、明日自分が事故に遭って手や足を失くしたり 耳が聞こえなくなる 目が見えなくなる 半身不随になるかもしれないのに、健常者の一部は「健常者だから」というだけで障害者を叩くので嫌いです。いつでもマジョリティはマイノリティを除け者にしようとする。相手の立場に立って考えられる人が少なくなったなと思います。
私は発達障害ですが今でも揶揄する言葉を見ると怒りを覚えます。障害というだけでレッテルを貼り、手助けをしてほしいと言っても嫌がり、「みんなと同じになれ」と強制する健常者が大嫌いです。助けてほしいから障害者になったのに、なんのための制度なのか、ただ蔑まれるためのものなら今すぐ捨てたいです。街で見かける重度の発達障害者を見ても「お前たちのせいで」と憎しみが沸いてきます。
そんなに障害者が邪魔だと言うなら今すぐ優生保護法を復活させて命を選別し、安楽死を望む者には許可してほしい。障害者の低い賃金でどう生きろと言うのか? 障害者も暮らしやすく働きやすくなる社会にならなければ何も変わらない。「命は平等」とか綺麗事はもうたくさんだ。何も知らないのに知ったように語らないでと思う。誰にもできること できないことはあるのにどうして障害者は許されないのか?
親も昔いじめてきたクラスメイトも健常者も障害者も憎くて、人間が好きになりたくても裏切られたりバカにされたりした記憶がよくフラッシュバックします。
唯一付き合った人も9割私が悪いけど、離れていくなら最初から好きにならないでほしかったなと思います。恋人だけでなく友達も、よく誤解されて離れていくので同じように思います。話すことが苦手で、よく言葉選びや行動を間違えて相手を傷つけてしまうので もう一生独りでいいかなと思ったりします。
自分のことも好きになれないのに どうやって人を好きになればいいかずっとわからないままです。
自由で安全なコミュニケーションの機会ができれば理想的ですが、多様性を認め、他人の過ちにも寛容で失敗しても生きていける社会にならないと無理だと思います。
それにはまずコロナが落ち着いて賃金を上げて国民の生活を安定させ、経済を良くして、事情があって働けない人や障害者にも後ろ指をさす人がいなくならないと実現できない。
そんな社会は机上の空論だと思います。
人間は自分が1番大事で、事情があるとわかっていても自分以外が優遇されていると面白くないと感じる生き物で、且つ 手を差し伸べても自分の立場が危ういとなると手を振りほどく そして時に「嫌いだから」だけで助けない冷たい生き物なので、人間に感情がある限り不可能だと思います。
国はどうしても賃金を上げようとしないし、過労死する人が出続けても働く仕組みを変えようとしない。より良く上方修正しようとせず、「みんなも我慢してるんだからお前も我慢しろ」と昔の村社会を未だに引きずり、「みんなと同じ」であることを強要し、逆らう者は潰していく。そして失敗した者、社会のレールから外れた者は再起のチャンスは与えず見殺しにする。この国はもう手遅れだと思います。
それにコロナ以前も今も福祉については自分で動かないと情報が得られない。なんのための福祉なのかと思います。極端な話、1回国を潰して古い仕組みを今の社会に合うように 建て直しするくらい色々変えていかないと何も変わらないと思います。
感想1
大好きな歌手の死だけでなくて、それについての周り(社会)の反応含めて、あなたの感情が揺さぶられたのかな?と感じました。ただ、揺さぶられた感情の取り扱い方は難しいし、その取扱については生きている中で教えてもらったり、誰かと考えられる機会なんてないよな、とも思います。でも、世の中では「感情のコントロールができている方がよい」という価値観がある気がして、それも生きづらいなと私は感じています。
「どうして自殺はいけないことだと皆言うのだろうか?」という部分から後ろは私自身も近い感じ方を持っている気がするので、本当にそうだよな…と思いながら読んでいました。人の感情を揺さぶる要素に社会の価値観はかなり影響しているのかなとも思ったり、どうして生きているのかや感情があることについてなど、色々考えてみたくなる経験談でした。