経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

私はいつか飛ぶのです

 生まれたときから、虐待とは言えない程度の迫害を受けてきました。父は一度怒ると、なかなか手がつけられない人でした。怒られる理由は様々です。片付け、兄弟喧嘩、態度など。最初は私に非があることで怒っていました。
 しかし、中学生頃になると、リンゴを勝手に食べた、一緒に寝てくれない、コンタクトをつけているのに可愛くないなど、意味不明な理由で怒り、手が出るようになりました。途中から、「ああこの人は、ただの憂さ晴らしのために怒っているんだ」と思うようになりました。
 死ね、殺す、お前は家事だけしとけば良い、お前は本当に頭が悪いな、お前が生まれて良かったことなんか一つもない。全て、私が言われてきた言葉です。悔しいことに、彼はそれら全ての言動を一切覚えていないのです。今更罪を突きつけようにも、私が嘘つきにされてしまうのです。
 
前述の通り、父は怒ると手がつけられなくなりますが、普段からそうというわけではありませんでした。怒っていないときは普通に話をしたり、服やゲームを買ってくれたりもしました。それがまた、私には恐怖でした。私に死ねと言ったその口で、私の名前を呼ぶなと、そう思っていました。

 母は父ほど直接的ではありませんが、時折私の自尊心を削るような言動を取りました。父に怒られている私を見て、これも勉強だよと言いました。私の描いた絵を見て、下手くそだなあと笑いました。この家が辛いと遠回しに伝えたときは、また嘘を言ってと茶化しました。
 父が凶器なら母は薬物です。じわじわと私の心を確実にえぐっていくのです。

 そんなふうに育った私は、自己を肯定する術を身につけないまま18歳になりました。学校にもまともに通えず、バイトも続かず、打ち込めるような趣味も、人より秀でた才能もない私に出来ることは、若くして死ぬことだけだと思いました。
 私の話を聞いた人の中には、早く親との縁を切って自立すれば良いと思う方もいるでしょう。しかしながら私はまだ、親のことを完全に嫌いにはなれないのです。小さな足でつかまり立ちをしている赤子と、なんら変わりありません。今の状況を理解しつつも、自分では行動を起こせず、親に頼らないと生きていけない、そんな自分がまた恨めしくてたまりません。

 私にはこの世は難しすぎます。誰もが意識することもないようなこと、選択肢の中から好きなものを選ぶ、駅までの道を歩く、そんなことですら私には酷く痛く感じるのです。同い年の彼らはもうすでに立派な橋を作り出しているというのに、私はまだ部屋の隅で積み木を積んでは壊し積んでは壊しを繰り返しているのです。
 私にはもう生きられない。私が欲しいのはきっかけです。今、この断崖から飛ぶための。

感想1

経験談の投稿ありがとうございました。

このタイトルの理由が、今のあなたを作った今までの経験が強く関係しているということが伝わりました。生まれた時から、この環境で過ごしてきたと考えると、あなたが自分自身を尊重する時間はなかっただろうし、また、他人に対してもあなたの気持ちを発信する機会は失い続けてきたのではないかと想像しました。

幼少期の家庭内での暮らしは、他の家の生活と比べる機会が少ないし、誰か「それは支配されているよ」と教えてくれることもほぼないに等しいと思っています。そのことから、あなたがこの生活に支配されていたというのは、あなたにとって親に支配されながら生活する以外の選択の余地はなかったということなのではないかと思いました。この封鎖的な環境から、「父が凶器なら母は薬物」という例えが、今までの環境の辛さを物語っていると私は感じました。

高校生の頃、あなたがSOSを出したときに「もっと頑張れ」と言われたことについて、「頑張れ」って無責任な言葉になる場合もあると考えました。励ましの意味の「頑張れ」もあると思いますが、あなたのしんどさや友達関係のつらさを受け止めないまま、「頑張れ」と言っているようならば、それは無責任な「頑張れ」だと思ったからです。(個人的に私は「頑張れ」という言葉が嫌いです。「頑張れ」と言われても既にできる限りのこと頑張っている場合もあるし、「頑張れ」と言われても何をどう頑張ればいいのか分からなくなってしまうことがあるからです。)

あなたがうつ病の診断を受けてから、家族が優しくなったとしてもあなたの心が上向きになることはないというのも当然だと私は思いました。それほどの、今までの経験があったからだと思います。でも、「親のことを完全には嫌いになれない」という言葉があなたを今も苦しめているのではないかと思いました。今まで、親さんの支配下の元で育ってきたという経験が今もあなたを支配しているということなのかなと想像しました。「積み木を積んでは壊し、積んでは壊しを繰り返している」という表現が印象的でした。「積んでは壊し、積んでは壊し…」って考えると、私の人生も「積んでは壊し、積んでは壊し…」のように思いました。伝えるのが難しいですが、世の中全て完璧に自分で決めるのって難しいと思うんです。手助けしてもらうことで「積んで積んで積んで…」それでもダメなら「壊して…」、それでまた、「積んで積んで…」の繰り返しなのではないかと私は思います。

積んでいくことは大変だけど、壊すのは簡単だと私は思います。壊れないように積むコツのようなものが、この死にトリを通して、考えるきっかけになればいいなと思いました。

感想2

心に向けられる凶器や薬物は周囲からは見えにくく、まして親からのものとなると「躾」や「教育」で納められてしまうのはなんて恐ろしいことだと思います。そして親を完全には嫌いになれないと感じていらっしゃる部分がなんとも生きづらさを感じるというか、足枷のように感じてしまいました。支配されている中で生活していたら自分で何かを選ぶことも決めることも、さぞ大変だろうなと思います。これまで誰かの支配によって勝手に決められ、自分で選んだり決めたりする機会を奪われてきたのではないかと想像します。
もう生きられない、という言葉にこれまでのあなたの傷や今のお気持ちが詰まっているように感じます。たくさんの痛みに耐えながら日々を過ごされ、この先に何があるのか…そのような状態に個人を追い込む社会や、これまであなたが出したSOSに対する大人の答えの情けなさに私は憤りを感じてしまいます。
周囲の人は誰に伝えても欲しい言葉は一度も手に入らなかったとありますが、あなたはどんな言葉が欲しかったのか、気になりました。

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