経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

「他人よりも考えすぎちゃう僕」その後

約3年ぶりにこのサイトに戻ってきました。
僕は高校1年生の時に自分の精神のキャパが限界を超えて死にたいという感情が抑えきれないほど大きくなっている時期を経験しました。その時にこのサイトを偶然見つけ、自分の思っていることや感じていることを一度文章にしてみようと思い、ここに「他人よりも考えすぎちゃう僕」を投稿しました。そして現在になり僕は高校を無事卒業し、自分の進みたい道を漠然とですが見つけることができました。今までの自分は周りの大人に言われるがままに勉強をしたりできるだけいい子でいることをずっと考えてきていて自分のやりたいことかつ大人に反対されそうなことをやらずに我慢してきていました。しかし、このサイトに自分の考えを書いて少し自分の気持ちに従ってみようと思え、自分のやりたいことをやってみようと思えるようになり、自分のできる範囲で挑戦しているところです。
しかし、いまだに友達や周りの大人の顔を伺う性格は変わってなくて、たまに死にたくなるほど気分が落ち込むこともあります。周りの人達はとても優しくてたくさん頼ってもいいって思っているのですが、どうしても心のどこかで「自分のネガティブな側面を見せたら離れていってしまうんじゃないか」と考えてしまい、自分の性格について相談することに億劫になってしまいます。そして自分が誰かに頼れない不甲斐なさでさらに気持ちが沈んでしまうということを繰り返してしまい、また心が壊れ始めている気がしています。
前回も書いたような気がしていますが、この考えすぎちゃって自分の中にストレスを溜め込んでしまう性格は一生治らないと思っています。最近この気持ちについて悟ったことがあります。それは気分が沈んでどうしようもないほど死にたくなることは仕方がない。だけどそれを断片だけでもいいから信頼している友達に話してみるということをする方が気持ちが少し楽になるということです。
死にたいという気持ちは消えてはいません。ここに戻ってきたのも高1の時と同じように気持ちが沈んで消えたいという気持ちが膨らんできていたからです。だけど高1の時と違うのは消えたいと思う一方で僕が消えたことで悲しんでほしくない友達がいるということです。消えたくても消えるのが怖くて自分の中で友達を言い訳にしているだけかもしれませんが、まだもう少しだけ生きていていいのかなって思うことができるようになったのでそこは成長したなと思っています。
自分の思ったことを点々と書いたので脈絡のない文章になってしまい申し訳ありません。しかしこれを書いたことで昔の自分のように少し前に進めればいいなと思っています。

感想1

あなたの投稿を読み、なんだか納得している自分がいます。「生きるぜ」と拳を突き上げるように生きていく人ばかりじゃないと思うことがあったりします。自分だけの「もう少し」が点々とあり、いつの間にかつながって線になり生きている、それをままならないと呼ぶのかは人それぞれと思いますが。私は心地よいちょうど良さを感じ、色々ある人生を肯定してくれるような気持ちになりました。「自分のネガティブな側面を見せたら離れていってしまうんじゃないか」という文章を読み、深く頷き共感する思いとともに、私たちの中に知らず知らずのうちに大きく居座っている、「ちゃんと」が全方位に向けられて、自分の心の居所さえ窮屈にさせてしまうことがあるのかもしれないと感じました。誰かの顔色や気持ちをうかがうことと、心であんにゃろうこんにゃろう、つまるつまらない、うまそうまずそうと思うことは別のことで、あんにゃろうと思う自分も苦笑いする気持ちで眺められたらと思ったりします。揺れながら生きることは、それだけ体力を使うことのように思いますが、揺れている人同士が出会ったときには止まっていることの方が違和感かもしれない。投稿いただき、ありがとうございました。

感想2

ふたたび死にトリにきてくれてありがとうございます。もしかしたら、こないで済むならその方がよかった……っていうところもあるのかもしれませんが、つらいときに思い出してもらえたことを私はうれしく感じています。頼ることのむずかしさや顔色をうかがってしまう大変さも書いてありましたが、それは自分で感じて言葉にできているからこその悩みでもあるのかもしれないと思いました。人は、とくに男性は小さいころから自力で頑張ることや、弱みを見せないことを勝手に期待されがちだと思います。それに疑いを持たなければ、いつのまにか自分が人に頼れない状態になっていたり、他の人に先回りしてケアさせてしまうような状態になったりという悲しい事態も起きてしまうように思います。あなたはそうではなく、頼ることのむずかしさを感じながらも、それをしてみたい気持ちも感じていて、だからこそ葛藤があるように感じました。

私は本当なら、弱みをお互いに見せられるような関係性のほうが安心だなと思います。周りの人が弱みを見せてくれると自分も弱くても大丈夫なのかもと思える気がします。でも自分から周りに頼るのも、自分のだめなところを見せるのってむずかしいとも思います……。だけど、それって、これまでその経験があまりにできなかったら練習が必要というだけなのかもという気もしています。私はもしかしたら、このサイトで感想文を書かせてもらう中でも、自分の苦手なこととか、苦しいこと、希死念慮のこととかをぽろぽろ書く中で、弱みを見せる練習をしている部分もあるのかも?とちょっと思いました。そんなふうに考えたら、あなたがまた経験談を送ってくれたのも、弱みを見せる練習、だれかに頼る練習の面もあるのかもしれないなぁと勝手に想像しています。全然的外れかもですが……。
むりに前に進まなくても、生きている限り、私たちはいろんな方向に、いろんなありかたで成熟していくものなのだと思います。その中でこの先も死にトリが使えそうなタイミングがあれば、また気軽に言葉を置きにきてほしいです。

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