経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

性別その他の人生

僕は昔から女の子みたいな風貌をしていたので、男子から男じゃないと言われ、女子からも拒絶されて、男でも女でもないものになりました。性的マイノリティーに対して理解のない時代でした(今も大して変わりませんが)。
そうして、精神年齢が、まだ完全に性別を持たない子どものまま、大人になってしまいました。
誰にも男の普通など教えてもらうことがないままでした。

一応性自認はノンバイナリーとしています。自分を呼ぶときはいつも「私」や「僕」のみ。「俺」とは男性としての自信が持てず、言うことができません。トイレでも個室でしか用を足せないような男の偽物です。

大学受験や社会人としての就活からも逃げ回り、精神疾患の兆候があったため精神保険福祉手帳をとって就労継続支援B型作業所で障がい者として生きていくことになりました。
失礼な話ですが、自分よりできない人の中にいるほうが安心だったからです。親に働けと言われても拒否していました。
今40台になっても、まだ社会に出ていません。
そんな私に現実は厳しく、実家の近所で問題を起こして家を追われ、今はグループホームで生活保護を受けてなんとか暮らしています。

僕は男への強い憧れがあります。「俺」と言える普通の男性が羨ましく、一方で妬んでもいます。大型バイクに憧れがあっても、スーツすら拒否感があってまともに着れない偽物の生き物なのに。他人の視線は憧れごと自分を打ちのめすのに十分でした。普段は一応男性っぽい格好をしていますが、どこか自分にはしっくりきていないような気がします。

そんな暮らしの中で、子どもにはキモいと走って逃げられ、大人には変質者扱いされて苦しいです。
自分の中身が空虚で、趣味もなし。ジェンダーのことを思うと友達もまともに作れず、普通の恋愛も結婚も、当然のようにできそうにありません。

こんな一生に何の意味があるのでしょうか。
できることなら生まれなければよかったのにと思いますが、死ぬことすら簡単にできないでいます。

男としては欠陥品として生まれ、人生は事故物件。精神科医や支援者とはどこか距離のある関係で。
一度割れたものが元どおりに戻らないみたいに、どれだけ男みたいにしてもどこか違和感を抱えることになるでしょう。

人生詰みました。私自身に責任があり、勝手なことは分かっていますが、あとはもうどう終わらせるか、しか頭にありません。寂しいのに誰とも仲良くなれず、繋がっていられず。両親が逝ってしまったら、自分も死んでしまいたいです。

感想1

読ませていただきました。常に自分の選択に自信が持てず、悩む度に「自分に対する劣等感と、うまくいかない人間関係」というものが大きくあなたの中に現れてきてしまうように感じています。できるだけしっくりくるものを選びたいと思ってみても、何を選んでみても違和感を感じてしまうのは、常に自分自身を否定していることとも同じだと思いますからとても辛いなと思います。

性別の悩みについてもそうかもしれませんが、仕事や収入、趣味や恋愛、様々な分野の中に劣等感を感じていらっしゃるのかもしれません。できるだけそれを感じないように、あなたが安心していられる場所をずっと探しておられるようにも思いました。

劣等感を感じやすい人というのは、自己肯定感が低かったり、他人と比較する癖があったり、完璧主義で理想が高かったり・・そういった側面があるかと思います。繊細で、ある意味負けず嫌いなところもあるのかもしれません。

劣等感のはじまりは性別からだったからかもしれないけれど、人間関係がうまくいかないことは、ジェンダーの問題とは違うところにあるのではないかとも思います。「誰にも男の普通など教えてもらうことがない」と書かれていたことから、もしかしたら「コミュニケーションの取り方」も、誰かと一緒に考える・教えてもらうことで改善されるような気がしました。

偽物という言葉を何度か書かれていましたが、あなたが常に「自分以外の何か」になろうとされてきたのではないかなとも想像しています。憧れや理想と、現実のギャップの中でずっと苦しまれてきたのかもしれません。

背伸びをしていればそのうちそこにカカトができるという言葉を思い出しています。自分を受け入れられないことも含めて、そのままのあなたを受け止めてくれる場所・人、一緒に背伸びを頑張れる仲間に出会えるといいなと感じています。

感想2

本来、人間の精神には性別なんかなく、雑に二分した身体的特徴に応じて要求される役割や振舞いを個人が演じられるかだと私は強く信じています。その役割・振舞いは暗黙のルールとして共有されていて、個人が自然に習得するものであるとされ、誰かが一から十まで手取り足取り「普通」を教えてくれることなんかないくせに、その勝手に押し付けられた「普通」を演じきれないと、矯正や排除の対象となってしまう現実があると感じています。

と考える私もノンバイナリーなのですが、自分に宛がわれている性別を上手く演じられなかったりするからこそ、求められている方の性別らしさに憧れを感じたり、「普通」に振舞えている人に羨望・嫉妬の気持ちがわいてくるのではないかな、と思いました。でもそれは、性に関する規範さえなければ本当は感じる必要のないプレッシャーだと思います。
その規範があなたがあなた自身に「偽物」「欠陥品」という言葉を向けさせていること、非常に残酷だと思いますし、私も時折そんな思いに駆られ、自分に対して自信が無くなることがあります。でもそれは、個人の責任ではなく、性別の規範に乗っかることのできない人々に自信を失わせるような社会構造のせいだと感じます。

自分の存在に自信を持てないことの弊害はメンタルに顕著に現れるし、人間関係の難易度も上げてしまうと思います。自分らしくいることを人間にとって当然のことだとして、どんな自分でも堂々と外を歩けるような社会を望みます。

お返事

感想を書いていただき、ありがとうございます。

その中には私が気づかなかったことや、暖かく感じる言葉があって、やっと小さな灯りを見たような気がします。

私の現実は全然変わっていませんが、その中でなんとか無念な気持ちを抱えて生きています。

何度も読ませていただいて、さらにこれからも何度も読ませていただいて、自分の危機のときに少しでも目印となるようにと思っています。

生きることはいつからか私にとっては地獄に変わってしまい、精神を病んでうつも悪化し続けるばかりです。手帳の等級も上がってしまいました。

私はもう十分生きたと思っています。あとは死を待つのみだと。

ただ、かくれがや死にトリに出会えたことで、自分の弱音や悲鳴を吐き出せるようになり、また他の人たちが感じているつらさを目で見て、私1人ではない、形は違っても同じように苦しむ人がこんなにたくさんいるのだと知ることができて良かったです。

今通っている作業所では本来の私ではない私がひとり歩きしていて、さらに人よりもできるように必死になっています。これも他人と比べてしまうことや完璧主義につながっていると思います。

どうしても。誰かにとっての一番になりたかったです。そう思うことはかないませんが。

でも自分が自分を見ていなかったのも事実で。改めて自分を見るとどうなりたかったとか、そういったことは置き去りのまま他人のことばかり気にしていた気がします。

長々と失礼しました。書きにくいであろう感想をくださり、私の人生に少しでも触れてくださったこと、忘れません。

心から感謝致します。

ありがとうございました。

一覧へ戻る