僕は小学生の3年生の頃、初めていじめられました。ちょうどコロナウイルスでまともに学校生活が送れなくなった年でした。僕は「ソーシャルディスタンス」と言われ同学年ほぼ全員にいじめられました。そして、先生に嫌がらせを受けていることに気づかれ、みんなは呼び出され、僕は一人だけで校庭に行きました。3月で春真っ只中、桜が綺麗でした。するといじめ主犯格組が謝りに来ました。僕は許しました。だって「謝られたら許す」そう教え込まれてきたからです。そして月日が過ぎて、小学校5年生終盤。ちょっとしたすれ違いで「縁を切る」と言われました。そして身体的、精神的ないじめを受けました。僕は思いました。「ああ、何で僕は許したんだ。教え込まれてきたことをやっても結局再発するじゃないか。」そして小学校六年までいじめられ続け、受験にも落ち、近くの公立中学校へ進むことになりました。最初はみんな優しくしてくれました。しかし化けの皮が剥がれ、嫌がらせを受けました。誰かが赤インクを教室に撒き散し、僕のバッグと隣の人のバッグが汚れました。ただ黒板係だっただけで、みんなは僕を犯人扱いしました。真犯人やそれを知っている人でさえ、僕を犯人扱いしました。それから、なにかまずいことがあると僕に罪をなすりつけたりしました。もう限界でした。僕は教室で、「ふざけるな!何が犯人だ!それは全部お前らの勝手な決めつけだろ!」とブチギレ。みんなびっくりして逃げていきました。そして中学校二年生に。一年に比べれば全然マシでした。でも、悪いことはやってきました。まず、病気を発症し、治療に半年かかりました。好きな人に告っても、悪い噂のせいで振られ、成績は下がっていき、ちょっとした発言でも精神的に追い詰められてきました。いつでも思います。「もう一度やり直せたら」でもそんなもの叶うはずありません。「ちゃんと勉強しなさい」「遊んでる暇あるの?」わかってるよ。今はもう好きなことも勉強も、すべての腕が落ちてきています。不器用だからなの?それとも昔のトラウマのせい?どちらにしろ、もう僕は縛られたくない。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
不器用だから
感想2
あなたの心の中に流れる静かで強い意思を感じました。あなた自身は『「謝られたら許す」そう教え込まれてきたからです』と書いているものの、教え込まれたからだけでなく、あなたの中で許すという行為への意思も確かにあるように思えました。それと同様にブチギレにもあなたの確かな意思を感じました。きれいな桜の情景を含めて、あなたが自分の感性や意見をとても大切にしていることが伝わってきたように思います。
タイトルが「不器用だから」とありましたが、私には不器用というより「実直で誠実」という表現が浮かびました。そして、あなたの表現でいう「不器用」私の表現でいう「実直で誠実」はしばしばそれが仇になるような現実が私たちの社会にあることを何だか悔しく思います。
その厳しい現実の一つが学校です。今の学校の仕組みには限界と無理があると感じていたのですが、あなたの経験談を読み、ますます学校の課題を思い知った気がしました。大人のサポートや見守り、仲介などのアシストがある中で、子どもたちが必要なことを学び、社会性を身につけていくはずが、あなたが経験したような人権侵害が起こってしまうような現実があります。私は心の中で、そんなところには行かない方がいいと思ってしまいます。ただ、ひどい目にあっている側が撤退をしなければならないのもおかしな話だとも思います。いじめをする側や子どもを守れない先生が退場をするのなら納得がいきますが、ひどい目にあった側が逃げなければ解決しない現実は理不尽だと感じます。だから、別の多様な選択肢があり、誰もが学校を選べるようになるといいのにと思います。こうした経験をしたあなただからこそ、どんな学校だったらいいかという議論をしてみたい…そう思いました。
感想1
あなたが言うように、誰もが幼少期に友達同士でトラブルがあった時には、「ごめんね」「いいよ」を向かい合ってやらされてきたと思い返しました。あの時に、大人から「ちょっと話あってみたら」と言われていたら、嫌なことをされた側の気持ち、した側の気持ちも知ることが出来たのかもしれない。「化けの皮が剥がれた」という一文から、自分を否定されることしかないいじめは、あなたの心を深く傷つけ自分自身をも否定するようになっていたのだと思いました。不器用と言う言葉を使い、自分自身に降りかかってきた辛さを説明し、傷つけられても仕方が無い自分と納得させようとしているあなたもいるような気がします。
けれどあなたはブチ切れた、自分の限界を察知し無視せず怒りを口にできた。傷つけられてもいい人など、どこにもいないと私は思います。最近のニュースを見ると世界中が不安定で毎日様々なことが起き、テレビに出ている人たちは言うことがコロコロ変わります。「勉強しなさい」という身近な大人も、もれなく不安の中にいるように思います。子どもを取り囲む社会全体が不安定だから、その中にいる子どもだって不安定なのは当たり前な気がします。より良く生きるという言葉を使い、社会はもっともっとと色んなことを要求してきて、ついて行けなかったら腕が落ちたと思わされてしまう、そんな世の中な気がします。縛られたくないという言葉は、世の中に振り回されずどう生きるかというあなたの問いのように感じました。投稿いただき、ありがとうございました。