経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

弱音を吐かせてほしい

 現在中二の女子です。半年ほど前、性格診断でINTPとの結果が出ました。性格はほぼ当てはまっていました。INTPは、マイペースで、論理的な考え方、考え事が好きなタイプですが、最近自分がメランコリー親和型性格なのではないかと気づきました。確かに凝り性で完璧主義ですし、以前から、「やって当たり前」なことをやっていると、人から「真面目だね」と言われます。自分では比較的好きなことをのんびりとやっている気がするのですが、違うようです。私自身の認識は、あくまで「興味・好奇心」あるいは「やるべき」と思ったことをやっているだけ。なので、優しい、真面目、と言われたときに「違う」と否定したくなります。でもそうしてわざわざ否定して説明するのは面倒なのでクラスの端っこで読書や勉強をしています。こんな面倒な性格なのですが、学校では静かな優等生です。マイペースと真面目は共存するのですね。
 何をしているときでも何かしらは頭にあって、何かを考えています。私はこれが普通なのですが、このことを母に伝えてみると、「考えすぎじゃない?疲れない?」と言われました。思考は趣味というか、離れられないものなので少し悲しかったです。やっぱり、完全な理解を求めるのは間違いだと分かりました。
 以前、時間は違いましたが、数名の男女から、相談を受けました。最初は些細なものだった気がするのですが、段々と深い内容になり、「死」の文字が見えるところまでになってしまいました。
 私の性格的に、感情論は苦手です。「共感」というものがよくわからないのです。その場の状況、出来事、これまでの経緯、相手の性格などを考慮してみれば、相手がなぜそう感じているのか理解できるのですが、あくまで理解で、自分が本当にそう思えるわけではないのです。でも、そうして導き出した適当な「答え」だと思われるものを相手に渡します。これが、最近の私の普通です。
 男子の方が後に相談されたのですが、前の女子に適切な対応をすることができなかったと思っていたので、自分の考えを正直に伝えました。でも正直な私の言葉は諸刃の剣なので、正解だったのかわかりません。相談するサイトを紹介しようと思ったところで、立ち乗ったっぽいので、そちらには頼っていません。
 その方々が偶々そうだっただけかもしれませんが、その人たちは、学校では明るく、一見人生楽しそうに生きているように見えました。だからこそ、そのギャップに驚きました。
 そして、この出来事と、女子同士の「ここだけの話ね」という、絶対にここだけではないであろう話、過去の色々から、今は人間不信だと思います。そして友達が、「この人、人嫌いだから」と私のことをそう言っていて、たしかに、と思いました。
 私は小説に依存しているのではないかと思います。現実逃避ですね。純文学が好きなのですが、偶に面白そうだと思って恋愛小説を読んでしまいます。そうすると、登場人物が眩しくて、現実が寂しくなります。こう、何というか腕の中に何もないのが淋しい。
 一人で居たいはずなのに、一人が淋しい。
 矛盾が辛いです。
 部屋の端っこでうずくまりたいです。でも、勉強しないと、やることをやらないと、と常に思っています。
 
 でも、自分よりもつらい人をたくさん見た。別にお金がないわけでも、暴力に困ってるわけでもない。だから辛いと、苦しいと言っていいのかわからない。私は環境にも人にも恵まれているから。やりたいといえば、親は大体のことはやらせてくれる。だから、辛くはないと思う。自分が自分で頑張るって決めて行動しているから、有言実行はしなきゃ。やりたいことができるのは、幸せだから。
 でもやっぱり、なんか、疲れました。
 
 本当はこんなこと言いたくなかったです。こういうことって、気づいてしまったらさらにそう思うじゃないですか。弱いと認めたくないですね。でも、大丈夫って言われてる気がしたので。辛いと思い込んで、大して辛くもないのにそう思い込むのは一番いやです。

 弱音は吐きましたが、強く美しく生きたいです。

感想1

経験談への投稿ありがとうございます。
あなたの内面で起こっている思考や感情の禍に立ち合わせてもらったような思いで読みました。自分を客観的に捉える言葉が豊富なことに驚きつつ、日頃から小説を読んでいることで養われた力なのかなと想像しました。

性格や傾向を表す形容詞はさまざまにありますが、人間はとても多面的で、場面や相手との関係性、経験などによって変化することも往々にしてあるように私自身は思っています。
ある人にとっては「当たり前」「普通」と思っていることが、ある人にとってはとても驚くようなことであったり、誰かの苦手が自分の得意であったり・・他者と接することは、自分の輪郭を掴むことでもあるのかもしれないと、ふと考えました。
お互いの違いを認識することの先に、良い・悪いといった評価が生まれてくると、途端に苦しくなるようにも思いました。

文章を読むと、自分から見た自分と、周囲から見た自分の違いに、戸惑いがあることを感じました。
「優しいね」「真面目だね」といった言葉は、相手は肯定的な意味を込めて伝えているのかもしれないけれど、一方的に評価されたり意味づけをされることは、どこか息苦しさを感じるコミュニケーションのようにも思います。
自分を知ることと同時に、自分が自分らしくいることを難しくさせる要因が、他者との関わりの中にあることは、難しいことだなと感じます。
一人でいることの寂しさと気楽さの矛盾は、自分にも覚えがあり、勝手ながら共感してしまうところでした。

「なんか疲れた」という感覚を、ご自身の「弱さ」と捉えていることが印象に残りました。
「大丈夫」と「つらい」の間を行ったり来たりしながら、言葉にし難い苦しさの正体を、なんとか掴もうとしているようにも見えました。
物理的に困っているわけでもなく、過酷な状況に身を置いているわけでもない・・そう思ったときに、確かにあるはずの自分のつらさが信じられなくなり、排除しようとしてしまうのは何故なのだろうと、そんなことを考えました。
「有言実行はしなきゃ」「幸せだから」と、なんだか自分で自分に言い聞かせるような言葉も目に留まりました。
「辛いと思い込んで、大して辛くもないのにそう思い込むのは一番いやです」と書かれていましたが、少し分解してみると、つらさや苦しさには客観的かつ正当な理由が必要だという感覚や、「こんなことでつらいと思う自分は甘えている」といった考え方があったりするのでしょうか。

社会の中には、我慢を美徳と考えたり、ポジティブであることをよしとするような価値観が至るところにあるように感じます。「つらい」という感情を抑圧しようとするとき、「弱い」という意味づけがされるのかなと思ったりしました。

つらつらと思ったことを書きましたが、お返事を書いている私は、弱さの中にこそ強さも宿っているように思っています。あなたの考えも聞いてみたいなと思います。またよかったら、お話を聞かせて下さい。

感想2

私自身も小さい頃から考えることが好きで、起きてから寝るまで脳内思考が止まらないタイプなので、興味深く読んでいました。いや、「考えるのが好き」というか、呼吸を止めれば生きていられないように、ごく自然に、生存に必要なものとして無意識的に思考が働いているという感じです。自分にとっての考えるという行為を「趣味というか、離れられないもの」と表現しているあなたの感覚も、私のものと近いのではないかなと勝手に思っています。
自分の気持ちの赴くまま、あるいは必然であるという気持ちからしている行動から、「優しい」「真面目」などの性格を見出され、評価されてしまうと何とも言えない気持ちになってしまうものだよな、と(どう表すべきか、ちょっと説明下手感がありますが)確かに感じます。「考えすぎじゃない?」というコメントにも、あなたと同じように的外れに感じてしまうと思います。私は、考える/考えないは自分で切り替え可能なものではなく、どうしても「考えてしまう」感じなのですが、そこのところあなたはどうなんだろうと聞いてみたくなりました。

自分の自己イメージと他者からのイメージが食い違い、自分のことをいまいち理解されないことや、相談や友人づきあいと通じて人の多面性を知ったことなどが積み重なっていて、心がお疲れであるように感じました。他人の深刻な悩みを聞くとき、聞く側がダメージを食らってしまうのはままあることなのですが、あなたの心は大丈夫かなと少し心配になっています。

私は弱音はどんどん吐いていいものだと思います。弱音を吐くことで人の強さや美しさは何ら損なわれませんし、いやむしろ、人間は弱音を吐いてこそなのではないかとすら思いました。でも、弱音を吐くことにも難しさがあります。弱音を吐くためには、ざっと、自分のネガティブな気持ちに気づき、認識し、言語化して外に排出するという過程があると思いますが、これだけ段階があるのだから、誰でもすんなりできるものでなくて当然な気がしています。
今回ここで言語化してくれた、今あなたがたしかに感じているしんどさ、つらさ、寂しさ、逃げたさ、どれも自ら無いものとしないでほしいと願う私がいます。気持ちを「思い込み」と否定しても、それは心の中からいなくなるわけではない、と自身の経験を通じて思うからです。あなたの感じているように、自分の弱いところを認めること、そしてそれを言葉にすること、これらは非常につらいことだと思います。そんななか、言葉にしてくれたことに感謝します。また、吐き出しに来てください。

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