経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

死に物狂いで幸せを探す日々

さっき、トラウマが思い出される夢を見たので、書くことにしました。

安心して生活していた時間がほとんどなかった人生でした。
感受性が強く怖がりで、寂しがりで繊細な私の特徴を、両親は上手く受け止められていないようでした。
周囲からの期待に答えるために、私を上手に育てることに固執してしまっていたのだと、後から母が打ち明けてくれました。
両親が共働きで家族で過ごせる時間が少ないため、なるべく怒られずに笑顔で過ごしたいと思うあまり、わがままを言わず家族の顔色を伺う子どもになりました。
高校生になっても分離不安に苦しみ、学校の行事などで外に泊まらないといけない時とても苦しかったです。

小学校6年間と中学2年生まで、いじめられていました。
クラスの男の子がふざけている時、注意をしないと気が済まなかったせいで、衝突してしまいました。
でもそれは、先生が怒る声を聞くのがとても怖くて辛くて、私に関係の無いお説教も聞くに耐えなかったから、それを事前に阻止したい気持ちからでした。
大人の人の怒る声は、子どもの頃の私にとってパニックになるほど恐ろしいものでした。
「私が注意してるせいで喧嘩になるんだから、これはいじめじゃない。」
「私だって言い返しているから、これはいじめじゃない。」
「私が変わればいいんだから、助けてって言う権利は私には無いんだ。」
そんな風に思っていました。
実際、相談した時に親からもそう言われていました。
「なんで注意しないと気が済まないの?放っておけばいじめられないんだよ。我慢してみたら?」
でもそうしたら、大人の人の怖い声を聞かないといけなくて。
それが不安で堪らなくて。
それに、私が「優秀な子」であれば、大人の人は私を褒めてくれました。
私は心の発育が早く、精神年齢が同い年の子たちと合わなかったため、同級生に理解されることはほぼ諦めていました。
大人の人に褒めてもらう方がずっと嬉しかったです。
「いい子」でいれば、大人の人は褒めてくれる。パパもママも愛してくれる。
だけど、「いい子」じゃなくなったら、愛してもらえないかも。捨てられるかも。
当時は子どもで理解できていませんでしたが、今思い返せばそんなふうに思っていたんじゃないかと思います。

いじめはどんどん酷くなりました。
生理でプールの授業を休む時、「生理」という言葉を私の口から引き出したいのか、執拗にみんなの前で休む理由を追求されました。
皆勤賞を取った時、「お前みたいなのが毎日来てんじゃねえよ」「ドヤ顔キモ」と言われました。辛くても毎日学校に行っている自分を誇りに思えた瞬間にそんなことを言われたので、希望が打ち砕かれたようでした。
カメムシの死骸や石を投げられました。
椅子を引かれ転ばされました。
大声で「帰れ」「死ね」と叫ばれました。
男の子数人に詰め寄られて、転びながら泣いて後ずさりすることしかできませんでした。
ノートを破られたり、ペンを折られたりしました。
学級委員になった時、私の号令をクラスのやんちゃな男の子たちが無視して、我慢できなくなりました。
「起立」って、帰りのホームルームで何回言っても通らなくて。
頑張ってるのに。必死に生きてるだけなのに。どうして?どうして?何がいけなかったの?誰か助けて。
気付いたら、クラス全員の前で暴れていました。
叫んで、机をひっくり返しました。
その瞬間から私は、「危険人物」になりました。
やんちゃな男の子たちからは好奇の目で見られ、それ以外の子たちも見て見ぬふりでした。
私の中の化け物が勝手に暴れだしたみたいに、私の意思では止めることができませんでした。
それ以来暴れてしまうことがあり、授業中走って逃げたりしました。
明らかにパニックになっているのに、先生からは「授業中抜け出すなんて、何やっているの?」と言われ、他の先生に言ってもまともに取り合ってくれませんでした。
掃除の時間、泣いてうずくまっていると、「ふてくされてないで掃除して。」と先生に言われた時もありました。
でも、これはいじめじゃない。私が悪い。そんな認識のままで、誰にも「助けて」を言えませんでした。
だから大人になって当時の友達に会っても、私がいじめられていたことをちゃんと理解していないようでした。
明らかに見ているはずなのに、私が耐えていたからいじめの認識が無かったのかもしれません。

高校に入ってその環境を逃れることができました。
でも、高校にも別の問題がありました。
部活がハードすぎて、どんなに頑張っても顧問や先輩から怒られることは避けられませんでした。
ひとつ上の代は、後輩いびりが酷く、「指導」のテイで私たちをストレスのはけ口のように使うこともよくありました。
怒られたくないから、それだけが理由で頑張る私にとって、どれだけ頑張っても絶対に怒られる環境は最悪でした。
高二の夏、糸がぷつりと切れたように、急に体が動かなくなりました。
学校に行こうとすると動物みたいに泣き叫んでしまいました。
「どうして」「死にたい」と叫ぶのが止められませんでした。
壁に頭をぶつけたり、髪の毛を抜いたり、自分を殴ったり、裸足で外へ飛び出したりしました。

通信制高校に転入学して、20歳で何とか高卒資格を取りました。
日雇いバイトをやってみたり、習い事を始めてみたり、ずっとずっと頑張り続けています。
今は就労支援施設に通って、少しずつ社会復帰を目指しています。
両親とも、不登校がきっかけで和解し、今では一番の味方です。
でも、トラウマは消えません。
頻繁に、誰も味方がいなくて大勢に責め立てられて暴れる夢を見ます。
人間不信も、今の人間関係を苦しいものにしています。
愛情不足から、大人になってから異性への依存がやめられず、何度もいわゆる「クズ男」に依存してしまって、死ぬような苦しみを経験しました。
それに、ここまで這い上がって来れたのは、私が一人で頑張ってきたからです。
上手く相談したり頼ったりできないので、理解者の両親にさえ滅多に弱音を吐けず、一人で泣き、一人で切り替え、ヤケにならず毎日何とか生きています。
それなのに、自傷行為をする人や、「辛い」が口に出せる人だけが苦しんでいるかのように、私だけが見つけてもらえません。

私は何も悪くないのに、トラウマに苦しめられ、働くこともままならず、不自由な生活をずっと送っています。
いじめのことを、加害者や見ていた周りの人や先生たちに理解させたい。
謝らせたい。後悔させたい。
とんでもないことをしてしまったのだと、一人の人間の未来をねじ曲げたのだと、心から分かって欲しいです。
でも、どうすることもできません。

毎日頑張っていますが、よくとても理不尽な気持ちになります。
どうして私が頑張らないといけないの?
償わないといけないのは加害者なはずなのに。
死にたい、消えたい、誰か助けて、そんな思いを何とか飲み込んで、何とか幸せに手を伸ばしてもがく毎日です。
だけど世の中は、それが当たり前みたいに、冷たく私にそれを課してきます。
働くのもすごく不安だし、社会復帰するモチベーションも特にありません。
ただ、そうしなければいけないから、頑張るだけです。
私が笑顔で過ごしているから、今でも一歩外に出れば誰も私の苦しみに気付きません。
血のにじむ思いで笑顔になれる生活を毎日掴み取っているのに。

この先、どうすれば自分の傷を癒せるのか、上手に人を頼れるようになるのか、分かりません。
依存もやめたいです。常に誰かに依存して、その人が生活の主軸になってしまって、苦しいです。

感想1

投稿ありがとうございます、読ませていただきました。
血のにじむ思いで幸せに手を伸ばしていなければ、苦しさや辛さに飲み込まれてしまいそうな、そんな印象を受けました。安心できない環境で育ったり、過去の暴力や抑圧などの心の傷が多いと、安心できる環境になった時にトラウマに苦しむことが多い、と聞いたことがあります。もしかしたら、あなたも今の環境に安心があるからこそ、傷ついた過去に苦しめられていることもあるのかなと想像しています。

長く書いてくださった文章から何を書こうかとても悩んだのですが、何度か読み直すうちに、「本当はあなたはどういう人なのだろう」ということを聞いてみたくなりました。どんな色が好きで、どんなことをするのが好きで、どんな食べ物が好きで、本当はどんなわがままを言いたかったのだろう。

わたしも人の顔色も伺うのがとても得意だったのですが、学校ではどちらかというと同級生を優先して顔色を伺っていたように思います。友達の顔色を伺って一緒になって悪いことをして、先生に怒られたこともあります。

あなたは、同級生よりも大人や先生の顔色を伺っていたのかなと何度か読み返すうちに思ったのですが、共働きのご両親と過ごせる時間が短かったことの影響も大きいのでしょうか。いじめられてもなお、大人の怒る声が聞きたくない、大人にとって優秀でいい子でいることがあなたの中で優先度の高かったことだったのだな、と感じています。

同級生の顔色を伺ってきたものとしては、ふざけている男子に何度も注意をするというのは、確かにリスクが高く、衝突しそうなことだな・・と思います。それでも注意する(しなければならない)あなたの背景に「大人の怒る声を聞きたくない」という気持ちがあったことは、その時誰かに相談できていたのだろうか、「大人の怒る声を聞かなくて済む」他の解決策を誰かと一緒に考えることはできなかったのだろうか。

過酷ないじめの中で、皆勤賞をとられたということにもとても驚きました。辛くても毎日学校に行くことは、簡単ではないことだとわたしは思います。そのことを誇りに思う瞬間に、投げかけられた心無い言葉はとても傷つく言葉だな、と感じました。希望を打ち砕かれるようなこと、胸が痛みます。その後もパニックになる程、いじめによって追い詰められている状況でも「学校に行く」選択をされたのはそこにも「両親や大人」が関係したりしていたのでしょうか。

その時、一番にあなたがあなた自身を大事にできる状態があったなら、違う選択をされてたのだろうか。そんなこともふと思いました。

その後、通信に転入学されたことも、日雇いバイトをされたこと、習い事、就労支援にもつながっていることなどの中で回復している部分もあると感じます。でも、言えていない言葉もたくさんあるのだなと文章を読んで思います。 「死にたい、消えたい、誰か助けて、働くのが不安」ここでは安心して言ってほしいと思います。言いながらじゃないと、やってられない時もあると、あなたと同じ立場でうなづいていたい。

他者を優先しすぎるのではなく、自分で自分を優先することも練習しながら、依存関係ではなく対等な人間関係を築きたいものですね。

感想2

いくつか私とちょっと似ているかも?と思えるところがあり、頷きながら読んでいました。特に、小学校から中学校までのエピソードがとても似ていると感じました。

私自身も周りの反応、特に大人の顔色を過度といえるほど気にする子どもで、周囲の子からは「優等生ぶっている」と反感を買いやすかったです。「大人の人の怒る声は、子どもの頃の私にとってパニックになるほど恐ろしいもの」という気持ち、まさしく私も持ち合わせていたものでした。今も変わらず怖いです。
大人が怒るのがとても怖いから、その原因となっている騒がしい子たちを注意せねば気が済まず(私の場合「気が済まない」というか、予測される恐怖を可及的速やかに排除しなければ!みたいな感じで、肉を切らせて骨を断つ的な気持ちでした)、そうしていじめのターゲットにもなってしまいました。
しかし、当時は自分でも心の機序がよく分からなかったし、先生や親からも本心を理解されることはありませんでした。親からは「警察ごっこはやめろ、あんたの役割じゃない」と言われたことさえありました(じゃあ周りの大人がもっと適切に「警察」してくれよ…何で怒鳴るんよ、そんなのいきなり発砲(しかもマシンガンで無差別に)するようなもんじゃないか…って思っていました)。きっとあなたにとって、まず注視すべき恐怖対象は大人で、その恐怖を発動させるような言動をする周りの子たちは「敵」じみて見えてしまっていたのではないかなあ、と自分の経験を振り返りつつ想像しました。
けれども、大人の目を気にする生活をしていると、今度は同じ立場にいる子たちから浮いてしまいます。でも、これも周りの大人たちが何とかできなかったものなのかな、と今になっては思います。少しでも個人の性質をカバーしてくれたら、もう少し叱り方を工夫してくれれば、学級運営を工夫してくれたら…と。
あなたからの直接の訴えがなかったとしても、あなたの受けたいじめは、この文面だけでも十分に過酷なものと分かりました。高校時代の部活も同様、個人に対するハラスメント・加害とそれを容認(黙認)する雰囲気が蔓延しても、しばしば誰も問題にしようとしない(するのが難しい?)学校という空間には、何か独特の構造が潜んでいるように思えます。
しかも、その傷を隠して頑張って生きていけなんて思わせるなど、なんて理不尽なんだと思います。「辛い」「苦しい」って本音を吐きながらでいいじゃないか、と私は思います。そんなことを思っている人が割といるからこそ、このような場所があったりするのでしょう。

悪夢を見ると全然寝た気がしないと思いますが、今はいかがでしょうか。よく眠れる時間が少しでも増えていたら幸いです。苦しい気持ちになったり、また嫌な夢を見たりしたら吐き出しに来てください。

一覧へ戻る