私という人間は、どうしても身近な人たちと自分を比べてしまい、勝手に劣等感を覚え生きづらさを増幅させてしまう。端的に述べると超面倒くさい人間である。
私という人間はたしかに劣ってはいる。高校生の頃にしょうもない理由で逃げるように不登校となり、家族親戚に迷惑をかけた末なんとか社会人として自立することはできたものの、常にうっすらとした希死念慮を抱えている。ただ惰性で生きているだけ。何をしていても満たされない。死にたいくせに行動に移すことはせず、かといって職場にバレたらマズいからと然るべき治療を受けることもできていない。一応は医療職者として働いている身であるから、そんな人間が精神を病んでいる事が露見するとまともに働けなくなるのではないかという恐怖が付きまとうのだ。既にたくさんの人に迷惑をかけた身であるから、また自立できなくなることは何としても避けたい。そんな気持ちはどうか理解されたい。
こんな出来損ないの家族もどうせ大した人間じゃないんじゃないの、と思うかもしれないが私の家族はみんなとても立派なのだ。妹は昔に大病を患い私よりよほど将来を悲観されていたが、立派に立ち直り結婚の末子供を産んでいる。母親として忙しくも幸せそうに暮らしており、旦那とも仲睦まじく大変理想的な家族である。私の母親は女手一つで私と妹を育てあげ、私という出来損ないの引きこもりの尻を引っ叩いて自立させてくれた女傑だ。叔父も、父代わりに経済的に私の自立を支えてくれた恩人だ。今は亡き祖父も私のことをただ叱るのでなく、私の話を聞いてくれたり色んなことを教えて色んなものを食べさせて私の感性というものを育ててくれた。医療職者になろうと志したのもほとんど祖父のおかげである。
…こうして整理すると私はとても恵まれた身なのだと実感する。多くの人がどれだけ欲しいと望んでも手に入らない、素晴らしい家族たちが私にはいる。それだけに、私は私が惨めに思えてしょうがない。これだけ素晴らしく立派な人たちに囲まれて育ち、なぜ今こんな私が存在しているんだろうか?もちろんみんなただ幸せで立派なだけじゃなく、色んな悩みや苦しみを抱えて今まで生きてきたのはわかっている。そんなことはお構いなしに、自分が満たされていないからという理由で自分が世界一苦しいという顔をして、惨めさに浸っている私が自分勝手で愚かで屑で間抜けで劣っていて何の価値もないこともわかっている。
みんな私のことを愛してくれているはずなのに、私の心が欠陥品なせいで「一応家族だから義務感でそれらしく振舞ってるだけ」「どうせ他人だったら見向きすらしない」などと考えてしまう。
でも仕方がない。みんなと比べて容姿も頭も性格も悪く、友達も恋人もおらず、誰からも近づきたいとか思われない人間なのだから。拾い子とかではないはずなので、一応血は繋がってるのだが、なぜこんなにもみんなと違って出来損ないなんだろう。引きこもっていた頃に検査は受けたが、障害の類は何らないという結果であった。なんということだろう、単純に人間としてのスペックが低いというだけなのだ。なんの言い訳をする余地もなく、私はただただ劣っている人間なのだ。
消えてなくなりたい。1秒でも早くこの恥部しかない人生が終わって欲しい。死ぬことで家族に迷惑がかかることは避けたいので、この世から私の痕跡が全て消え失せて誰の記憶からも私が生きていた事実が無くなってくれればいいのに。私などはじめから生まれてさえいなかったことになればいいのに。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
乖離
感想2
経験談の投稿ありがとうございます。あなたが自分自身に向ける言葉の鋭さがどこからきているものなのか、そんなことをあれこれ考えながら読ませてもらいました。「出来損ない」「劣っている」「価値がない」などと、先回りして断罪するように表現されている部分が、ただ自己嫌悪しているというより、長い時間誰かと何かと比べ続けてきたゆえの思考の癖のようなものを私は感じ取りました。
身近な人たちが自分より何か秀でていたり、立派に感じれば感じるほどに、自分の輪郭そのものが相対的に小さく見えてしまったりするものだよなと私自身もよく周囲と自分を比較してしまっていたので思うことです。何をもって恵まれているとするのかもう少し議論したいところではありますが、恵まれていると自覚がある人ほど、“満たされない自分”を許せなくなることがあるのかなと思っていて、苦しむ資格がないとどこかで思ってしまうかもしれませんが、“恵まれているのに苦しい”という状態は、珍しくはないですし別にそこを誰かに咎められる筋合いはないと私は感じています。家族が立派であることと、あなたの心が軽やかでいられることは、必ずしも比例しないのではないかと思ってしまいますし、置かれている環境や取り巻くものに苦しさをあなたが感じている以上、“恵まれている”とは言えないというのかそう思わなくてもいいのではないかとも思ってしまいます。人の内面は、育ってきた環境や経験、周囲の実績などとは別の軸で揺れ動くものだと私は思います。それでもあなたは、“こんな自分で申し訳ない”と負い目を感じていて、その構図自体が、これまでどれだけ“迷惑をかけてはいけない”、“自立しなければならない”と自分を律してきたかを物語っているように私には映りました。
また、家族からの愛情を“家族だから義務感でそれらしく振舞っている”と考えてしまう部分にも、愛を受け取ることは、拒絶される可能性も同時に引き受けることでもあって、だから疑っていた方が安全だという心の防衛ももしかしたらあるのかもしれないなと考えていました。
文章全体を通して、どちらかというと「死にたい」というよりも、「この自己否定のループから消えたい」という願いに近いものを私は感じ、“痕跡ごと消えたい”という感覚は、誰かを傷つけたいとかではなく、迷惑をかけずに終わりたいという配慮の裏返しでもあるようで、あなたの人となりが伝わってくる感覚にもなりました。
価値を測る物差しを自分に向けすぎて擦り切れてしまったような印象も受け、今は、自分を裁くよりも、その擦り切れた感覚がどこから来ているのかを少しずつ紐解いていく時間も必要だったりするのかも…と感じます。あなたの苦しさは、比較することで消せるほど単純なものではないと思いますし、色々と自分が感じることを書き連ねてしまいましたが、私はここに綴られているあなたの感覚や気持ちをそのままの形で受け止めたいと思ったことをお伝えしたいです。また必要に感じられた時はいつでも死にトリを訪れてください。
感想1
比較というものの功罪について、なんだか色々と考えてしまいました。
人間の幸不幸や、恵まれている恵まれていないは、比較ができないものだと基本的には私は思っています。なぜなら人間は一人ひとり別の能力や気質をもった個体で、環境から受ける刺激も実に多様だからです。同じ家にいてもきょうだいで扱いが変わることもあれば、そもそも感受性も違うし、人生でどんな人間関係が待っているかも計算できません。過去の記憶や経験は完全に消えるものではない(と私は思っている)し、SNSやネットで大量の情報が入ってくるし、あわゆる複雑な要素の上に「今の自分の気持ち」があります。
だから正確な比較などたぶん誰にもできないのですが、そうは言っても比較してしまうのも人間の性で、、なんだか書いていて自分でもよくわからなくなってきました。
私が言いたかったのは、不完全で感情もある存在の人間は、どうせ不完全な比較しかできないのだから、自分の感情だけをまず絶対的な真実として尊重してあげてもいいのではないか?という話です。
常にうっすら希死念慮を抱えていて、惨めな気持ちにもなってしまうのは、あなたの心が傷ついているということだと私は思いました。そして、それは比較して生まれる気持ちではなく、先に今も解消しきれない心の傷や不安があるからこそ、比較をしてしまうのではないか?と私は感じたりします。迷惑をかけてはいけない、立派に自立しないといけない…そんな風に、もしかしたらずっとプレッシャーを感じて、生きてきたのではないかとも想像しています。だとしたらそれはしんどいことだし、心が回復する暇もない日々にも思いました。
私は家族に恵まれているタイプだと思いますが、家族との関わりだけじゃ満たされない・得られないものもあると感じます。何か自分なりに手応えのある人との関わりや、自分を信頼できると感じる経験は、家族に恵まれているだけじゃ得られなくて…。自分の恵まれている部分を見て十分なはずなのにと自分に言い聞かせても、そうは思えないなら、「恵まれているとしても、私にとっては十分じゃなかったし、つらい」というように、気持ちを肯定してもいいのかなと私は思っています。何かを求めるのがわがままかもしれないと思っても、やっぱり欲しいと思うのが人間なのかも…と感じたりもします。
あまり話がまとめられなかったので、よくわからないことばかり書いていたらすみません。
あなたの「面倒くさい人間」と自分を責める眼差しに、「いやいや、人間なんて面倒くさい生き物のはず…」と、半分私自身への励ましや許しみたいな気持ちも込めて、伝えたくなって色々と書きました。
経験談の投稿ありがとうございました。