小さい頃から絵を描いたり、音楽を聴いたり演奏したり、そんなことが好きで芸術系の学校に通っていました。しかし当たり前ですが、そこにいる人たちは皆そういうことが好きな人たち。私よりも上手な人がたくさんいました。周りよりできないことが悔しくて情けなくて、泣きながら毎日絵を描いていました。そして、そこで避けられないのが「講評」の時間でした。デッサンは上手い人が中央に集められ、下手な人の絵には見向きもされません。作品制作においても、自分が話したコンセプト、思いなどが否定されることもあります。いつしか、絵を描くことや作ったものを他人に見せることが怖くなっていきました。自分の絵について話すとき声が震えて、先生のフィードバックを聞きながら、声をあげて泣かないようになんとか我慢することしかできなくなりました。同級生から見たら、講評の時に毎回泣く変なやつだったろうし、自信のない弱いやつと思われていたかもしれません。
今思い返してみると、当時の精神状態は決して健康ではなかったと思います。しかし、「他の人より頑張らないと」というエネルギーだけで体を何とか動かすことができていたのです。このエネルギーが切れてしまったとき、加えて自己開示ができず、誰にも相談ができなかった私は学校の課題ができず、学校をズル休みするようになりました。ここでちゃんと休む選択肢をとれていれば何か変わっていたのかもしれません。でも、親へかける迷惑やら奨学金やら色んなことが頭を巡って休むことはできませんでした。
この時の影響がまだ私には残っています。自分のことを話そうとして感情が高ぶると訳も分からずに涙が出てきます。好きなことを極めるために進んできたはずなのに、好きなことが私を孤独にしてしまったような気がします。いや、私が孤独を感じているのは努力を怠った私自身のせいなのかもしれません。あの時どうするべきだったのか、そんな「たられば」ばかり考えて、未来について考える気力が生まれません。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
好きなことで苦しむ
感想2
私も美術や芸術全般が好きで、そういうものに生かされてきた気持ちがあるものとして、共感しながら読みました。それだけに「講評」の話は本当になんだか悔しいというか、なんでそんなふうに評価しないと・されないといけないんだろう……という気持ちになってしまいました。
もちろん芸術には技術の要素も含まれるのだとは思うのですが、それが大部分とはどうしても私には思えません。一列に並べて巧拙を勝手に決めることが、美術を教える人がやるべきことなのだろうかというと、私にはそうとは思えないと感じています。あなたにとって芸術はあなた自身の大切な表現だと思います。だからこそ、それを勝手に決めつけられたり、評価されたりすること自体が、あなた自身への暴力に近いものになってしまうのではないかと想像しています。
私は美術を学ぶ学校に行っていたとき、ある先生が、生徒一人一人がこれまで作ってきたものを見た上で、一人一人に別々の課題を出してくれたことがとても印象に残っています。それぞれの学生の持っている資質も、感じ方も、表現のありようもまったく違うから、別々の課題が必要だとその先生は言っていて、その上で個別にその人と向き合って作品と対話するような時間だったと思います。他の人と比べられるようなことは、その先生の授業ではまったくありませんでした。そういう個別の関わり方が、現実的な時間や人数の問題でできないということはあると思うのですが、美術や芸術は評価の枠組みをむしろ超えていくようなことが前提で、勝手な「講評」で優劣をつけるのは、芸術のあり方からもっとも遠ざかるようなことではないかと思ってしまったのです。……余談が過ぎてしまったかもしれませんが、私はあなたの文章を読んで、あなたが傷ついたのは無理もないし、むしろとても真っ当な感性だと感じました。
私はいまあなたが頑張らなくてもいいと思うし、少し離れて「当時の精神状態は決して健康ではなかった」と思えるようになっていることはあなたの生活にとって大事なことのようにも思いました。私は美術のプロ=それで金銭を稼ぐ人ではないし、そういうものを目指すなら、役に立たないことばかり書いているかもしれません。ただ、あなたにとっての大切な表現は、すぐに思うようにはできなかったとしても、きっとあなたのそばから消えてなくなることはないだろうなと思いました。あなたの心身が休息をとりながら、いつかまたあなたが好きだと感じるような時間が過ごせるようなこともあるのかなと思っています。
お返事
感想を書いてくださった方へ
私の悩みを聞いてくださってありがとうございました。経験に寄り添って書かれたお返事を読んで、少し涙ぐんでしまいました。学校にいた頃は、あのように苦しんでいたことがこんなに共感されるとは思いもしませんでした。むしろ、弱みを見せたら取って食われると思っていたので、共感してくださったこと、似たような経験があることが悩んでいたのは自分だけではないと実感することができて、とても嬉しいです。もしかしたら、当時の同級生たちも表に出さなかっただけで内面には似たような思いを抱え込んでいたのかもしれませんね。
今は創作することや芸術とは少し距離をとっています。だからこそ、振り返ってみて色々と気づくこともあるのかと思います。しかし、芸術が好きな気持ちは変わりません。自分のペースでまた創作活動をしたいなと思う日が来るといいな。
私が苦しんだことは事実ですが、あまり「死」や「生」に直結するような体験では無かったため、経験談として投稿するのに躊躇していましたが、気持ちを吐き出してみて良かったです。本当にありがとうございました。
感想1
投稿ありがとうございます。
とても純粋に創作を楽しんでいたあなたにとって、学校での生活は様々思うことがあったのかなと思います。私個人としては、自分の好きなことを評価される世界は実はとても窮屈なんじゃないか、と感じている部分があります。「決められた形式に沿って作られた」窮屈な作り方で作品が完成したわけではなく、「のちに定められた様々な形式にその作品が当てはまっていた」のように、当時は型のない自由な作り方で作品が完成したと考えれば、人の想いやコンセプト等、新たな作品が生まれる要素を否定される環境というのは、上達の妨げになっているのではないかと個人的に感じますし、何より「楽しめない」のではないかと感じます。個人的には、(私もなんですが、)あなたは楽しみながら伸ばせるならそうしたい派の人なのかなと勝手に感じたので、もろにこの環境の影響を受け、とても肩身の狭い思いだったのでは…と感じました。
「人より頑張らないと」や「誰にも相談ができなかった」から、あなたがとても真摯に、真剣に、まっすぐに物事に取り組んでこられたんだなということが伝わってきたようです。あなたがエネルギーを使い果たすまでに力を尽くしてきたこと、とても印象的でした。同時に、それほど力を尽くしているあなた自身に積み重なる不安やストレスそれらを吐き出せないこと、作品を人に見せるのが怖く感じてしまうことで作品からも想いを伝えられない状況というのは、あなたの想い、ストレスそういったものすべてをあなたの中で抱え込んでしまっているように感じました。そんな中、経験談としてお話してくださったことはとてもありがたいなと感じます。
これまでため込んできたもの、それらを少しずつでも吐き出して楽になるのなら、今後もまたお話してもらえたらなって思いました。