経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

嫉妬だけの愚者

小さい頃から周りの環境に恵まれていました。優秀な友に不自由ない金銭に優しい家族。そんな誰もが羨む環境で腐ったのが私です。思えば昔から嫉妬だけは一丁前でした。世渡り上手の兄や成績優秀な親友、何もかも平凡な私には到底釣り合わなくて、努力すれば良いものを罵倒と八つ当たりで逃げてきました。それでも否定されることのなかった世界に胡座をかいて、それまでの驕りが返ってきました。学校にも通えず働くこともせず家事もせず、なのに好きなことだけをしたり挙句の果てには被害妄想を広げて希死念慮を持つ私を、両親も友人も、誰も責めてくれませんでした。もしもそれが愚かな私への罰だというのなら、なぜ殺してくれないのかと思います。一方的に連絡手段を絶ったのに今も食事等に誘う友人、何度も自殺未遂をしたのに未だに生かしてくれる両親。どうして、どうして生まれてきたのがこんな出来損ないなのですか?それこそ「生きたくとも生きられない人」に譲るべき権利ではないのですか。ただ惰性的に生きて未来への希望も見込めない私が心のどこかで縋るからいけないのでしょうか。あの人のように頭が良ければ、あの子のように可愛ければ、少しでもまともであったらこんな惨めな思いをしないで済んだのでしょうか。私はどうすれば良かったのですか。嫉妬して、苦しくて、誰も悪くなくて、逃げて、縋って、自分の後始末もできないで。生まれて来なければ良かったとそう思う自分が情けなくて。どうすれば、胸を張って友人と名乗れたのですか。生んでくれてありがとうと言えるようになれるのですか。いつまでも私は子供のまま立ち止まって、みんなはいつも先を歩いていって。ただ羨ましい妬ましいと嫉妬の感情だけは一人前で。息をすることすら許されない気がして。そうまでして、私が生きる理由はあるのですか。もう苦しい、もう歩きたくない、それでいいじゃないですか。私が死ねば、みんなに得しかないのに。
そう、声を荒らげてもみんなは笑って受け入れるのだろうから。責めてくれない、そんな価値もないというのなら。どうか、どうか死なせてください。葬儀も何もしなくていいですから、殺さなくてもいいですから、ただ一言、「死ね」と、言ってくれれば、それでいいですから。
愚かな私に相応しい罰を、嫉妬以外は全て出来損ないの私を、責めてください。苦しくて、生きることがあまりにも辛いんです。こんな愚かな生き方しかできないのなら、生まれて来なければ良かったのに。

感想1

家族や友人など、周囲の人と自分を比べてしまって苦しくなっちゃっているな……という感想をまず率直に持ちました。
また、自分自身で強い自責の感情を抱えているだけに、周囲が自分を否定せず責めずにいてくれていることのアンバランスさが、あなたを余計に苦しくさせているのではないかとも感じました。きっと、自分を徹底的に責めるべきとしているあなたの認識には、あなたを大切に扱ってくれる周りの行動が合致しなくて、それが気持ち悪く感じられているのではないかと思いました。多分、あなたはいわゆる「認知的不協和」の状態にあって、それはたしかにとても苦しいだろうし、あなたがこの状態を自分に対する「罰」だと感じざるをえないのも、私にとっては十分に納得のいくことでした。

申し訳ないのですが、私はあなたの望みどおりにあなたを責めることはできません。私には、あなたには責めるべき部分が見当たらないからです。
嫉妬、苦しさ、生き辛さ、感じてもいいと思います。それが責められるべきことだとは、私は全く思いません。どうか、あなたはあなたの気持ちを否定しないでほしいなと思います。頼れる周囲がいるのなら、その人たちに甘えて、頼って、ときには「私を責めてくれ!」と声を荒げても良いと思います。あなたの周囲があなたを大切にしていることが、あなたが責められる由縁がなく、大切にされるべき理由をそのまま表しているように感じます。
あなたが持っている「私は責められるべき愚者である」という自己認知と「私は家族や友人から大切にされている」という認知が噛み合わないために、あなたは「この不協和な状態は罰である」という認知を追加して、世界のつじつまを合わせようとしているのではないかと推察しました。
なんか偉そうなことを言っていますが、私も最近、「自分がこんなだから周りから人がいなくなるんだよね…」といじけモードに入ったら「ほんとにそうかな?(じゃあ君の近くにいる私はどうなんだい?)」とうっすら怒られました。そんなことばかりです。
恵まれた環境だろうが、周囲から優しい扱いを受けようが、一度低く見積もった自分を「私は大切にされるべき人である」とすることは難しいことだと感じます。自分のネガティブな感情や他人の好意をそのまま受け入れるのには、だいぶ練習が必要なんでしょうね。
あなたが少しずつでも、自分の感情や状態を等身大のまま受け入れられる瞬間が増えたらいいなと思いました。私も練習がんばります。

感想2

嫉妬という気持ちはどこから生まれるのか、本当にそれは簡単に「嫉妬」と名付けていい感情なのか…?そんなことをぐるぐると考えながら読みました。私が普段感じたり、見聞きする嫉妬という感情に比べると、あなたにとってのそれは、あまりに激しく切実であると感じたからです。
もし周りの人がいわゆる優秀とは違う人間だったらどうなっていたのか?とか、こんなにあなた自身が苦しんでいるのに「環境に恵まれていた」と言ってもいいのか?とか、他にも色々と私の中で問いが生まれています。あなたの中では「これは嫉妬で、私は愚かで、責められるべき」というロジックや結論はある種揺らがないものとしてあるのかなとは感じているのですが、私は色々な捉え方や見方があると思うし、違う方向から見てみたいような気持ちです。

私が経験談を読んで一番感じた、浮かんだワードは「孤独」というものでした。仲間になれない、疎通できない、叫びが伝わらない、そういったもどかしさや混乱があなたにはあるように感じました。もう一つ感じたのは、周りの良いところばかりに目を向け、釣り合いを考えてしまう視点の強さです。私は、比較は自分の中から勝手に湧き上がるものではなく、社会の価値観をキャッチして始めるものであり、何か不安や焦りがあると余計に膨らんでいくものだと思っています。
はっきりとは言われなくても、優秀でなくてはならない、優れていなくてはならないといった価値観を、あなたは周りから浴びることが多かったのかもしれないと想像しました。たとえば学校はかなり能力主義の場所だと思いますし、優秀なきょうだいや友達と比較されるようなことも、もしかしたらあったのかもな…なんて思ったりしました。友達やきょうだい自身が何も悪い人じゃなくとも、一緒にいて比較されてしまうなら、あなたにとって安心して好きだと思えたり信頼できる相手にならないこともあると思います。

だから私はあなたが出来損ないなのではなく、これは「優秀であることが良し」とする社会が生み出した、社会的な病だと捉えたくなりました。

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