経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
私の母親は難しい人だった。
と言うか現在も難しい人にはかわりない。
母親の母親である祖母はこう言っていた。
「あれは子供が子供を産んだようなもんだ」
私はその表現がすごくしっくりくるなぁと思いながら、今現在まで彼女のお金で育てられ生かされている。
生まれた時から私には父親もいない。私の最初の記憶は、幼い頃うまくトイレができず粗相をしてしまったことに対して泣いて廊下を歩いていたところだ。このとき母親は怒っていた。うるさいと言って私を放置していた。
母親はなにかと自分の機嫌が悪いときに、私がなにかしでかすと怒る。思い通りに動かなかったり、話を聞かず私が泣きじゃくると怒る。皿を投げる。冷蔵庫を目の前で殴って凹ませることもあった。私の誕生日やクリスマスに機嫌が悪くなり2階の自室に引きこもることもあった。特に夜勤明けは特に気が立っていて、彼女の車のエンジン音が聞こえる・あるいは家の前に車が止めてあるのを見聞きし、先に帰宅していることを知ってしまい嫌な気持ちになることはしょっちゅうだった。
私自身もトラブルを起こす子供でもあった。プリントをなくしたり家の鍵をなくしたりよくしていたし、母親との信頼関係もないのでそのことを同居していた祖母に相談して、何とかしてもらっていた。それも母親を怒らせてしまう要因でもあったので、結局は彼女がこうなってしまった原因の一端を担っているのは私なのだろうなとずっと思っている。
小学6年生の頃、原因は忘れたが夜に喧嘩して家から叩き出された。通学路を伝って友人の家まで逃げようとしたが途中で引き返し、当時別居し始めたばかりの祖母の家に帰った。
そこから母親とは別居。高校進学を期に再び一緒に暮らすことになった。
母親は機嫌が悪くなることも逆によい日もある。最初は見分けるのが難しかったが、メールの文章から徐々に察するように自然となった。殴られたくもない。首絞められるのも嫌だ。テレビの音量を最大にして寝られないようにしてくるのも嫌だ。これ以上しんどい思いもしたくないから。
それでもうまくいかない。今振り返ってみると私自身ADHDの診断が下ったのがおとなになってからなので、その症状が母親を疲弊させていたのだろうと思う。
ただただ母が悪だとは言い切れないのかもしれない。
大学進学を機に一人暮らしを始めた。物理的な距離をとって暮らせるようにはなったものの現在も彼女の扶養家族であることにはかわりない。なので生活費や医療費等お金のことに関してなどのやり取りが続いてはいる。
私はできるだけメッセージで済ませたいのだが、母親は長文読解が苦手で『話したほうが早く済む』タイプの人間だ。ここですら相性が悪い。さらに言えば、彼女も私も感情的になるとより視野が狭くなる。こうなるとうまく伝わらないで過去のあれこれを引っ張り出して喧嘩になる。だから電話は嫌なのだ。
とはいえメッセージにせよ母親に的確に伝わる文章を作らないといけない。しかも厄介なのが主語や名称が統一されていなかったりあいまいになると、理解ができなくなるということがある。の割に彼女自身は『彼女自身が理解するために作り上げた主語』を用いて電話をされるのだ。しかも意見や頭がまとまっていないままの長文で私の耳に垂れ流してくる。それを瞬時に要約してオウム返しにして彼女に返す、その解釈であっているかどうかの確認をとってから私のなかへ消化するという行為をこの一ヶ月繰り返させられている。
向こうも私も相性も悪い。コミュニケーションが下手くそであり、私自身の特性のこともありうまくいかない。私がもう少し彼女の言葉を正確に翻訳することができたなら、もっと柔軟性のある考え方や感情のコントロールができる人間ならまだ良かったのかもしれない。
彼女はこのことを知ってか「あなたがこうしたらいいと思うんだけど」というアドバイスもくれる。ただ彼女は変わりもしない。精神面のカバーやカウンセリング等に一切通いもしない。私は通っているのにとどうしても思ってしまう。
母親との関係性は20年以上経つが、未だにぐちゃぐちゃのままである。
今救いなのは彼女と同じ屋根の下で暮らしていないことくらいだろうか。それはそれでしんどいことも多々あるが。
感想1
投稿を読みました。私の中で印象的に感じたのは、あなたの「母親」を描く眼差しの落ち着きと距離の感覚です。なんというか、すごく「大人」だと感じたのでした。それは同時に、あなた自身の困難や大変さに対する言葉の距離にもなっていて、俯瞰する習慣がついているような気がしました。そしてそれらは、そういう距離感でなければならないような状況があなたをそうさせたという要素が大きいのかなと想像しました。
個人的に、私自身がADHDの診断を大人になってから受けたこと、話の通じない親(私の場合は父ですが)に振り回されながら生きてきたこともあり、共通項を感じながら読んでいました。
「子供が子供を産んだようなもん」、そういうことは、きっと大昔からたくさんあったのかなと思います。その頃の人権意識が低かったという問題はもちろん前提にありつつも、少なくとも親子で孤立はしづらい環境があったのかなと想像しています。現代社会では子育ては親がするものということになっていて、それ自体が問題の一つではないかと私は思います。私自身、父親がもっとケアを受けられていれば、周りにもっと安全な大人がいれば違ったようにも思うのですが、自分から望んで調べて制度を理解していかないと支援が受けられない中で、ケアの範疇から振り落とされてしまう人は「親」の中にもたくさんいるように思います。
「翻訳者」をいつも自分の中に住まわせていることを感じました。それは単純な言語のことだけでなく、母親さんがどうしてこのような表現をするのか、なにがコミュニケーションを阻害しているのかなどのメタ的な視点を持ち続けながら、あなた自身として関わるというむずかしい作業のように思いました。
私自身の話をすると、認知が独特で精神的にもすごく不安定で支援にもうまくつながれない父親との関わりを続けてきたのですが、ここ数年でいろいろあり、連絡も住所も教えずブロックして、ほぼ絶縁に違い状態になりました。親を助けないことの罪悪感もありつつ、助けきれるものでもない個別の人として生きる上で、物理的にも心理的にも距離が取れたことでしんどさは減ったのもたしかだと感じています。
そんな自分の経緯もあり、あなたが物理的に距離を取れていることにはまずよかった……という気持ちにもなりつつ、扶養のことなどもあり、これだけ密に20年以上関わってきた人との関わりは単純ではないから、簡単には切り分けられない部分もあるだろうと感じました。母といるあなたではない瞬間の、翻訳者としてではない、あなた自身の要素があなたの中で増えてゆくのがいいのかなぁと思ったりもしています。
感想2
常に母親の様子を窺わずには暮らしていられなかったあなたのことを想像しました。とても怖い思いをして生きてこられたと率直に思いました。しかしその中でもあなたにとって祖母が頼れる人であったことと、現在、母親とのつながりは完全に切れないとはいえ、物理的には距離を置いて暮らせていることに、少しほっとしました。
私も現在、進学を機に母親と距離を置いていて、ちょうどあなたと同じような状態にあります。まだ繋がりは切れていないし、金銭的な援助を受けているけれど、一緒に暮らさないことによって、驚くほど生きやすくなったぞ!と感じるようになりました。かつてのように、もう自分の生活の全てを握られているわけではなくなり、親の機嫌を損ねれば自分の生活が損なわれるという脅威が軽減されたことで、嫌な気持ちを押し殺して一緒にいたり、気遣ったり、つながりを保ったりする必要がなくなったことに気づいたところです。
また、「翻訳者としての私」というタイトルにも共感しました。翻訳者仲間を見つけたなと勝手に思っています。母親とのコミュニケーションで、あなたがとても苦労していることが痛いほど伝わってきましたし、こちら側だけ慎重になったり気を遣ったり、それでも意図が伝わらない・理解されないもどかしさ、つい感情的になったりなられたり、とても身に覚えがあります。母親とやりとりした後、あなたがどっと疲れている様子が浮かんできました。そもそも自身の特性と相手の特性が合わないこと、相手が自分ほど自己改善したり、関係維持にコミットメントしてくれないこと、これではうんざりしてしまうのも無理もないと思いますし、あなたは既に、これ以上ないほど相手に歩み寄っていると私には感じられました。
いま私は、親子と言えど、所詮は「人と人」の関係にすぎなくて、どうしてもうまくいかない人とは「相性が悪い」と諦めて適切に距離を取ることの重要性を感じています。私の親も「子供」の部分があって、親になりきれない部分があったのだと思います。その事情は理解していますが、親と自分とは別の人間であるので、それを私の問題として抱えこまないようにしています。できれば、おたがいを理解しあって良い関係を築きたかったという悔いもありますが、とにかく自分の身の安全を最優先にしています。お互い、疲れる人付き合いに対応せねばならないことが少なくなればいいなぁと思いました。翻訳業を廃業できる日を願っています。
感想1
投稿を読みました。私の中で印象的に感じたのは、あなたの「母親」を描く眼差しの落ち着きと距離の感覚です。なんというか、すごく「大人」だと感じたのでした。それは同時に、あなた自身の困難や大変さに対する言葉の距離にもなっていて、俯瞰する習慣がついているような気がしました。そしてそれらは、そういう距離感でなければならないような状況があなたをそうさせたという要素が大きいのかなと想像しました。
個人的に、私自身がADHDの診断を大人になってから受けたこと、話の通じない親(私の場合は父ですが)に振り回されながら生きてきたこともあり、共通項を感じながら読んでいました。
「子供が子供を産んだようなもん」、そういうことは、きっと大昔からたくさんあったのかなと思います。その頃の人権意識が低かったという問題はもちろん前提にありつつも、少なくとも親子で孤立はしづらい環境があったのかなと想像しています。現代社会では子育ては親がするものということになっていて、それ自体が問題の一つではないかと私は思います。私自身、父親がもっとケアを受けられていれば、周りにもっと安全な大人がいれば違ったようにも思うのですが、自分から望んで調べて制度を理解していかないと支援が受けられない中で、ケアの範疇から振り落とされてしまう人は「親」の中にもたくさんいるように思います。
「翻訳者」をいつも自分の中に住まわせていることを感じました。それは単純な言語のことだけでなく、母親さんがどうしてこのような表現をするのか、なにがコミュニケーションを阻害しているのかなどのメタ的な視点を持ち続けながら、あなた自身として関わるというむずかしい作業のように思いました。
私自身の話をすると、認知が独特で精神的にもすごく不安定で支援にもうまくつながれない父親との関わりを続けてきたのですが、ここ数年でいろいろあり、連絡も住所も教えずブロックして、ほぼ絶縁に違い状態になりました。親を助けないことの罪悪感もありつつ、助けきれるものでもない個別の人として生きる上で、物理的にも心理的にも距離が取れたことでしんどさは減ったのもたしかだと感じています。
そんな自分の経緯もあり、あなたが物理的に距離を取れていることにはまずよかった……という気持ちにもなりつつ、扶養のことなどもあり、これだけ密に20年以上関わってきた人との関わりは単純ではないから、簡単には切り分けられない部分もあるだろうと感じました。母といるあなたではない瞬間の、翻訳者としてではない、あなた自身の要素があなたの中で増えてゆくのがいいのかなぁと思ったりもしています。