経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

女の体で生きていかなきゃいけないの?

違和感を覚え始めたのは、小学生高学年。第二次性徴の直前だった。
姉が生理を迎えて、授業でも性教育を扱うようになった。大人になった証明として生理が来ることを望んでいた半面、ももが太くなったり胸が出始めるのが気色悪いと感じていた。
その頃に、腰幅が遺伝で広いことを「安産体型だね」と言われた。子供を産むことを前提にした発言だと思う。
その後、初潮を迎え変化していく体に、心が追い付いていないだけだと感じるような時期があった。今思えば、それが本当の違和感の発露だった。
中学生になり、制服のスカートを半ば強制的に履くようになり、自分は女なのだと抑え込むようになった。高校生で通信制に通うようになるまで、それは続いた。
通信制高校では私服登校が当たり前だったので、ズボンを履いて登校していた。それが、余計に性自認を混乱させたのかもしれない。今まで女だと思い込ませてきたのに、女の象徴のように捉えていたスカートを急に辞めたから、女じゃなくてもいいのか?と混乱した時期もあった。
大学生になって、アルバイトで稼いだ金をうつ症状などの問題を解決すべく病院代などに使うようになった。一度、その延長線で下着を買ったことがある。高かった。そこから一気に、「自分は望まない体に投資して生きてきたのだ」という感覚に襲われるようになった。
風呂上りや着替えの瞬間に、「女の自分」を認識しては死にたくなる。できることなら、胸と女性機能を持つ内臓を切除してしまいたい。金がかかりすぎて、保険が効いたとしても決断できない金額になる。
ただでさえうつ症状や不安症状などで労働が厳しい中、そんな金は出せない。自分が女だという事実でまた精神的に不安定になり、働けない。負のループだ。
今、望まない体で、安らげない場所で、必死に生きている自分を、なぜか肯定できない。この先もこの地獄が続くのかと思うと、今この瞬間にも消えてしまいたくなる。

感想1

私も似たような思いを抱えているので、とても共感しながら読みました。「女の体で生きていかなきゃいけないの?」は、自身の二次性徴を認識した頃から毎日毎日思っています。周囲を見ると、自分の身体の変化に伴って柔軟に心を変容させているように思えました。しかし、私はいつまでたっても身体のかたちに心がついていきませんでした。今も合わない身体に、心をむりやり閉じ込められている感覚があり、とても窮屈でいます。身体から「女性」と見做される機能や外装をすべて取り除いたら、さぞ生きやすいだろうと思っています。

この苦しさを大きく助長しているものには、外部要因があると思います。それは、「女性の身体」を持っているというだけで、「女性の身体」にとどまり続けることや、振舞いや心にも女性性を要求する社会です。
「安産体型だね」の言葉は、あなたの言うとおり、勝手に子供を産むことを前提にしている、目の前のあなたの考えをまるきり無視した発言だと思います。個人の身体を勝手に性役割に結び付けるようなこの類いの発言については、到底許すことはできない気持ちです。
「女性の身体」を持つからと半ば強制的に着せられる制服のスカートは、とてもシンボリックだと思います。私は、女性ならではの装いや振舞いをしていると、女性の身体からそうではない心が溢れ出さないように外から抑えつけられているようだと感じます。もしかして、あなたも制服を着なくなったとき、心を身体へ縛り付ける外圧が少しおさまったため、混乱したのではないかと勝手ながら想像しました。

望まない身体は、心にとって「安らげない場所」であると感じます。だから、この身体に収まっているかぎり、私には安心や自己肯定感は永久に訪れないような気がしています。
身体を心に合ったかたちに改造するのは、肉体的にも精神的にも経済的にも困難を伴います。けれど、もう一方の苦しみの要因である、この狭苦しい性別二元論や性役割規範の外圧は無くしていけるものだと思います。私は、性に関する規範はセクマイだけでなく、誰にとっても不合理に働くと思っています。
身体の特徴を雑に二分して、それぞれに固定の社会的役割をおく必要もないし、心を生まれつきの身体に囚われたままにする必要などないのに、と投稿を読んで改めて思いました。

感想2

「安産体型だね」という言葉が「子供を産むことを前提にした発言」というのは全くもってそうで、この言葉をみていてぎゃーーー!と叫びたいような、暴れたいような気持ちになりました。幼い頃に実際に言われたあなたへの影響力はこんなものではなく大きかっただろうと思います。世の中では毎秒ごとにも「女であるか男であるか」「性別がどうか」ということを押し付けられるようなメッセージが発されていると思います。なんで?ってずっと思っていますが、現状の私の認識としては、家父長制的な構造を維持するのに便利なおとぎ話の一つが男女二元論なのかなと考えています。私は家父長制的な文化はなくなったほうがいいと思うし、そもそも男女二元論が世の中のすべてではなくて、性別に限らず、本来そんな二元論で決められることなんてあまりないと考えています。
「女の体で生きていかなきゃいけないの?」という言葉にはあなたのこれまでの苦悶が織り込まれているように感じました。本当は、あなたの体は「女の体」ではなく、ただ「あなたの体」だと思います。それ以上のことなんてないし、あとは自分が決めたいように決めたり、自分の納得のいく呼び方や関わり方をすればいいだけなはずだと私は信じています。
だけど子供の頃から「女の体」と決められて「女は⚪︎⚪︎」という「らしさ」を押し付けられて、様々なことを勝手に決めつけられてしまう現実があるとも感じています。その中では自分自身も違和感を押し殺して「女だ」というなにか架空のイメージを自分自身に纏わせなければならなくなることがとても多いと思います。制服のスカートとズボンについてのエピソードもすごく印象的で、あなたが、性別そのものというか、性別による規範に押し込められながらサバイブしてきたということだと感じました。
私自身は、私は私でしかないのに、周りや社会に「女」のコスプレを期待される、という感覚があります。シチュエーションや状況や気分によって、それに乗ることもあれば、絶対に乗りたくないときもありますが、今はあまり「女」を期待されない環境にいるので、ただ「私」をやっていられる時間が長く済んでいて、そういう環境が増えるにはどうしたらいんだろう……と考えています。そんなこともあり、私の場合は私の体そのものになにも感情がないのですが、あなたの場合は、体という24時間切り離せないものによって苦痛を感じる状態で、その大変さは常にじくじくと攻撃され続けているようなものだろうと思います。
「女の体で生きていかなきゃいけないの?」そんなことないと思います。そもそもあなたの体を「女の体」と勝手に決めつけてくるだれかがいるだけで、あなたの体を「女の体」と決めなくてもいいと思います。そしてあなたの体があなたにとって居心地よくなるために、手術やホルモン治療などの選択肢もあると思いますが、たしかに金銭的負担がすごいですよね……。なぜ苦しめられている側がさらにお金を支払わないといけないのか?と悔しい気持ちになります。「望まない体で、安らげない場所で、必死に生きて」きたあなたが、少しでも安らげる場所を見つけられることを祈っていますし、この世の中でどんなふうに生き延びていけばいいのか私もわからない中で、あなたともっと話してみたいと思いました。死にトリに経験談を投稿してくれてありがとうございました。

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