経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

受験生

今中学3年の受験生です。辛いです。受験って悪いのがぜんぶ自分なんですよね。不安なのも、頭が悪いのも。そのせいで過去の思い出、辛かったことがどんどん溢れ出てきます。あと10日で私立入試です。もうよく分かりません。言葉が出ません。私はずっと頑張ってきたつもりです。小学校の頃はいじられキャラでよくものを投げられたり、変なあだ名をつけられみんなに笑われました。仲の良かった友達のAちゃんとBちゃんは2人で私の方を見ながら笑って帰っていきました。靴を隠されました。でも私は笑いました。「裸足で帰ろっかなー、上履きでも行けるかな笑」と言いました。いつだって笑いました。だって辛いと言ってもお母さんは、「みんなは遊んでるだけ。我慢しなさい」と言うからです。でも最近友達に「昔の○○いつも焦ってたというか怖がってたよね」と言われなんだか上手く笑えませんでした。自分が頑張っていたことはそう見えていたんだ、ああなんだか惨めだな。と思いました。でももう今は無意識に人の気分や考えること、何が嫌だったのか、分かるようになりました。これは自分で思っているのではなくて周りから、親から言われるようになりました。自分で空気読むのが得意です!人の表情汲み取れます!なんて傲慢ですよ。
母は子供の頃人をいじめ、怖がられていたそうです。椅子を蹴り、通りすがりの友達に集団で悪口を言う。だから私にはそんな子になって欲しくないと。いじめてきた側として怖がられ煙たがられるのは辛かったと。私は心底がっかりしました。この人は何を言っているのかと思いました。まずあなたが大人になって感じた、気づいた考えを幼い私に押し付けるのはエゴではないのか。今でもそう思います。
親戚と会った時、いつも優しいいとこのお母さんが少し無表情の時が多いように感じました。気のせいと言われればその通りのレベルだったし、いつも通りだったので特に気に停めませんでした。数日後私の母から「○○さんちょっと機嫌悪かったの気づいてた?」と言われやっぱりかと思いました、夫と数ヶ月口を聞いていなかったそうです。気づいていたことを伝えると、「どーやったらこんな子に育つんだろ笑怖いよ笑」と言われました。どんな意味で言ったのか分かりませんが決して傷つけようとして言ったのではないと思います、でも私はなんだか嫌な気分になりました。あなたがそう仕向けたのに、そう伝え続け、それがいいと言い続けたのに。
中学に入りテストも部活も友人関係も頑張りました。多分一般的に見て幸せな子供でした。大好きな先生も出来ました。学級委員長を2年間務めました。でも1年生の最後同じグループの友達がAちゃんの悪口を言っていました。そしたらAちゃんに私が悪口を言ったと誤解されました。大好きだったから、傷つけたことが悔しかったから私は言ってないと泣きながら精一杯謝罪しました。
わけも分からずBちゃんに半年避けられました。悲しかった。これだけ人のために頑張ってきたつもりだった自分が気づかないところで大切な人を2人も傷つけていたことがすごく恥ずかしかった。
今は中学三年生です。もう分からないです。自分の本音が分からないです。お母さんには本音を言えません。辛いと言えば偽善者ぶるな、悲劇のヒロインになりたいだけ、あんたはこーゆー所がある。そう言われたらお終いです。そう受け止めるしかないから。中二の時に離婚してお父さんもいません。お姉ちゃんも私が嫌いです。
もう自分が何を考えてるのか分かんなくなります。お母さんに私はこうだ、と言われ続け、私は判断がすごく苦手です。何がしたい?何がしたい?分からないです。相手が欲しいものを答えてきたから。貴方のしたいようにしてほしい。今だって何が言いたいか結局分からない、私は中途半端な自分が嫌いです。特別頭も良くなく、準備が長いのでひどいときは5時に起きて8時半に家を出ます、それなのにあの子の隣に並ぶと私の欠点が顕著に現れすごく惨めで恥ずかしい気持ちになります。何かに対して真剣に向き合えるほど精神も強くもありません。失敗するのが怖いから。
だから可哀想な自分に価値を見出しました。辛い自分は特別だと考えるようになりました。でもそうなると辛さが消える瞬間が怖いんです。価値が無くなるから。さっきまでの感情が嘘みたいになるから、また悲劇のヒロインぶっていただけかもしれないから。
でも自傷行為をすることで心の傷が目に見えます。証明されます。自分はこれくらいしんどい、そう思えます。証拠のない辛さなど嘘だから。私が作り出した偶像。可哀想だと思われたいから、心配されたいから。だからリスカをします。
どうすべきでしょうか。どうもできません。ただ勉強を頑張るだけです。あと少しの辛抱です。今これだけ死にたくても朝起きればまた消えています。受験が終わればこれも消えます。そうなると私が今辛いのは嘘なんでしょうか。私がしたいことはなんなんでしょうか。でも卒業式まで生きます。大好きな先生に花束を渡す役割になれたから。最後先生と話したいから。
辻褄もあっていない、拙い文章すみません。話を聞いてくださりありがとうございました。みんなの人生が幸せでありますように。

感想1

あと10日で私立入試というプレッシャーや不安、緊張が入り混じる中で、こうして過去のことや今の苦しい胸の内を書き出してくれたのだと想像しています。これまで一人で抱えてきたしんどい気持ちが、入試という大きな不安を前にして、限界を超えてあふれ出てきたのかな…とも思っていました。あなたが今日まで一人で背負い続けてきたものが、それだけ重たくて苦しいものだったのだと私は感じています。一つ一つの言葉から伝わってくるあなたの思いを受け止めたい気持ちで読んでいました。

小学生の頃のお話や中学生の頃のお話を読んで、本当はすごく傷つく出来事があったときも、「自分が我慢すれば」と自分の気持ちに蓋をして、一人で耐え続けてこなければならなかったしんどさを私は感じていました。あなたが今、無意識に人の気分や考えることが分かるようになったのは、そうしなければいけない環境、相手の正解を探さなければいけない環境に身を置いていたからこそ、ご自身の心を守るために身につけてきたものだったんじゃないかなと、勝手ながらそんな風に思っています。
お母さんに本音が言えなかったり、自分の思いが優先されなかったりする経験が積み重なってきたのなら、「自分の本音が分からない」「判断がすごく苦手」となるのも、ある意味とても自然な気持ちのように私は思っています。だからこそ、その「分からない」というありのままの気持ちを伝えてくれたこと、私はそのままじっくりと受け止めたいな…と思っていました。

この文章を書いてから、少し日にちが経ちましたが、今はどんな風に過ごしているんだろうと考えています。
文章の最後に、「卒業式まで生きる」「大好きな先生に花束を渡したい」と書かれていましたね。あなたにとって、その先生はどんな存在なんだろう、少しでも心を許せるような、大切な存在だったりするのかな…と、勝手ながら想像していました(違っていたらすみません)。先生とのお話も、少しだけお聞きしてみたいな…という気持ちになっています。
そんな先生のことでも、ふと思い出してしんどい気持ちになったときでも、いつでも大丈夫です。どんな気持ちでも、またここに書きに来てくれたら…と思っていました。経験談の投稿ありがとうございました。

感想2

経験談への投稿ありがとうございます。

人知れず抱えている迷いや葛藤を、まっすぐに綴ってくれた文章だと感じました。このお返事が届く頃には、試験も終わって、結果を待っているのかなと思っています。
「受験って悪いのが全部自分なんですよね」と書かれていましたが、そう思わされてしまうシステムや社会の意識のあり方には、常々疑問を感じてしまう私がいます。受験のしんどさがトリガーになって、これまでのつらい記憶が次々と引き出されてしまっていることを感じました。

「私はずっと頑張ってきたつもりです」との言葉が、印象に残りました。たくさんの犠牲を払ってきたことを自覚しつつも、どこかで自分の苦労を認めてもらえないんじゃないかといった不安があるようにも読みました。あるいは、「もうこれ以上何を頑張ればいいの」といった疲労や怒りも滲んでいるようにも思いました。学校の友人関係もですが、のちに登場する母親との関係が、大きく影響していることを感じました。

母親が、自身の経験を通して養った価値観をあなたに投影していることについて、「大人になって感じた、気づいた考えを幼い私に押し付けるのはエゴではないのか」と書いていましたが、確かにそうだなと私も思ってしまいました。
大人は「あなたのためだから」と、一見正しく聞こえるような理由を掲げて考えや価値観を伝えることがありますが、実は子どもを自分の思う通りにコントロールしようとしていないかどうか、大人自身の自覚が必要なことだと私は思っています。
母親の言動に透けて見える何かを、あなたはずっと、防御することもままならないまま受け取らざるを得なかったのかなと想像しました。
「あなたがそう仕向けたのに、そう伝え続け、それがいいと言い続けたのに」との言葉には、胸が詰まるような感覚がありました。求められる役割をこなし、応え続けてきたのに、なんで笑うの?と、どこからともなく聞こえてくるように感じました。

行方不明になった本音は、きっとどこかにあったはずだけど、ないものにされてきたのかなと考えました。本音を出す前に一方的に意味づけをされてしまうことが続けば、話すことへの気力も奪われてしまうように思いました。徒労感は、やがて「どうせ言ってもしょうがない」といった諦めに変わっていくようにも思いました。

可哀想な自分という価値を失うことへの恐怖について書かれていましたが、ふと、アルプスの少女ハイジを思い出しました。ハイジが「クララが立った!」と叫ぶ有名なシーンがあります。クララは、医師からすでに足は治っていると言われていましたが、しばらくの間立つことができませんでした。なぜ立つことが難しかったのかについて、諸説ありますが、母親を亡くし深い孤独に苛まれながら、無意識ながらも足が不自由であることで多忙な父親に関心を向けてもらえていた、という考察があります。
壊れそうな自分の心を守るために見出したセルフイメージを手放すことは、とても怖いことだと思います。あなたが語ってくれた苦しさは、悲劇のヒロインでも、嘘でも、わざとでもなく、切実なSOSとして聞こえています。

積み重ねてきた苦しさはそう簡単に解消できることではないかもしれませんが、またよかったら、あなたの声を届けてほしいなと思っています。

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