ASDを持つ私が思うのは、「人生落差が大きくて辛い」ということである。
私は今これを書いている中で、消えたいという気持ちが出てしまっている。
心がどんなによく見えても実際には出歩きたくない、なのに強制的に連れて行こうとする家族の姿だってある。
今自分は一人で引きこもりたいという、そういったこだわりや自分に必要なことさえもかなぐり捨てることが必要なのだろうかという「闘い」もある。
無理をしないで生きていくことを実現することがどんなに辛いことであるかを体感している。何度も何度もそういった消えたいという欲望という大きな波が押し寄せてくる。
暖房節約といった理由で連れ出そうとする家族には納得はいく。だがそういった精神状態であるということを伝えてもなおやはり経済が優先されてしまう、そんな世の中に私は憎しみすら覚える。 高機能型のASDとはいえ、生きるのに必死なんだっていうことを知ってもらいたい。 私のような発達障がいを持つ方は、どれほど生きづらさを覚えるのだろうか。同じ一人の「人間」なのに、なぜここまで苦しまなければならないのか。
私は「消えたい気持ち」、「自分の障がい」、「周りの環境」、詳細な記載はしなかったが「孤独との闘い」 というこの主な4つの項目で板挟みになっている。もはや四方を鉄板で囲まれ、ストレスが加われば天蓋さえ覆われ私が圧縮されるかのような苦しさばかりが出てくる。その中で生きていけない、そんな自分に腹を立てる事もある。だからこそ時折消えたくてどうにもならない時がやってくる。
これからも五面を鉄板に囲まれた状態は続いていく。 それらは全て過酷なものであるが いつしかその板を何かしらの方法で割って脱することができるだろうか、これからも私とASDとの「闘い」は続いていく。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
ASDという過酷との闘い
感想2
闘いという表現は、あなたにとって自分の人生にしっくりくる言葉なのかなと思いながら読みました。私はADHDの診断を受けていて、自分でもその特性がかなり強いことを感じながら生きています。特性としては異なると思うのですが、私自身が自分にとってしっくりくる、納得のいく言葉や行動を選びたくてそれ以外はとてもしんどいという感覚があるので、そんなことにも想いを巡らせながらあなたの生活を想像していました。
私たちは森や浜や砂漠で単独行動で生きる生物ではなく、社会的なライフラインや公共の福祉に助けられながら生きる生き物で、それは生まれながらにして社会というコミュニティに依存しているということなのだと思います。人類学や社会学の本を読むと、いわゆる「定型発達」的な人たちがどんなふうに暮らして、どんな特性を持っているのかを垣間見られる気がしていますが、社会集団の中では(発達障害に限らず)マイノリティであるということは、それだけでわかってもらいにくかったり、自分たちに合った方法が確立されていなかったりすることが多いと思います。現代はニューロダイバーシティという考え方も増えてきていて、捉え方の転換点になってきている過渡期なのかなと思います。
「同じ一人の「人間」」という言葉が印象的でしたが、あなたについても、ASDという特性はあなたの一部ではあっても全部ではないのだろうと思いました。ただ、特性が周りに理解を得られない中で、あなたにとってASDという特性自体が呪縛みたいな感覚もあるのかなと想像しました。私はADHDの特性や自分自身の生きづらさが扱いづらすぎて疲れて死にたくなることも多々あるのですが、現状自分用の取説を少しずつアップデートしながら生きています。あなたが闘いの中でも、時には休んだりもしながら生きていけるといいのかな…と感じました。
感想1
私もASDを持っている人なので、勝手ながら仲間の立場で読みました。
内容はわかるように感じる部分と、ちょっとまだ読み取りに自信がない部分と色々混ざっていて、わかる…!と言えるわけではないですが、生きるのに必死なんだという言葉に、シンクロするものを感じています。
「孤独との闘い」というのは、自分のあり方や生きづらさが誰にも伝わらない、疎通できないといった感覚なのだろうかと想像しています(全然違ったらすみません)。また、消えたいを「欲望」と書いてあったのが印象的で、そこには欲する気持ちが止められない、まるで自分を飲み込むような激しさがあることが伝わってくる気がしました。
私はASDはとても自分の感覚に対して忠実に言葉を使うと思っていて、「ストレスが加われば天蓋さえ覆われ私が圧縮されるかのような苦しさばかりが」「これからも五面を鉄板に囲まれた状態は続いていく」などに、あなたらしさをとても感じました。自分らしさがあることは、経済を優先するような今の社会では苦しみを生み出すものにもなってしまいますが、私にはその人らしさというのは代わりがいない一つの魅力だと捉えています。
ASDでも、その他どんな個性でも、問題は自分の個性ではなく、その個性を尊重されない環境の方にあるのだと私は考えています。この世の中に憎しみすら覚えるのも自然な感情だと私は思いますし、ASDはその感情をもっている人が多いようにも感じます。それは、自分なりにこの世の中を理解し、寄り添って従ってあげようとしているからこそ、生まれる痛みや叫びであるかもしれないと思っています。
自分が自分でしかない限り、闘いはもしかしたら終わることのないものかもしれないと思ったりもしますが、一人ぼっちで闘う人がいない世界を私は願っています。