経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

私の家系はおかしいのか?

私の母親は父親のことをいつもこき使って暴言を吐いて罵っている。
だから単身赴任になったと私は思う。
父親がいなくなって対象は子供に写った。
命令を聞かなければ不機嫌になって見捨てると脅かす。その度に私は不安になって命令を遂行して巧妙なご機嫌取りを開始する。
姉もしばらくして家を出ていったけど、それからしばらくして帰ってきた。
きっと、いままでの教育のおかげで周りと上手く関係を築けていないんだ。
私は死んだら解決すると思った。
この地獄も終わって、私の死を機に母親の高圧的な態度も改まると考えた。
でも変わらなかった。人の根本は変わらないことを知った。
不機嫌になったあとに謝られても、根本のごめんはきっと違う。私は不機嫌になられて私自身の行動を強制されたことに怒っているのに、母親は自身が強制したことに気がついていない。本人は無意識でやっているのか分からないけど、どちらにしろそれで子供が苦しんでるのは事実で、
周りから見たら私の母親はいい母親らしい。だから私が母親について相談すると変な顔をされてそういう年齢だから〜と子供扱いしてくる。
姉もそうだ。姉も私がその場で誤解をとくのが上手くないから、発達障害だと思って子供に教えてくるみたいな口調で私の間違いを教えてきて心底腹が立つ。
私は自分を表現しただけなのに、相手の理解力がないから意味不明なものとして処理されて発達障害にたどり着く。所詮分かりやすいことに頼るのが人間。
子供の時から習い事という労働を1週間の内の1日だけの休みで続けていた。
放課後に遊びたかったのに遊べず、習い事の労働をする毎日。給料は衣食住。命令を聞かないなら家から出ていけの毎日。文で見るとそこまで悪くないように感じるけど、実際に立って生活してみると自覚なく心が削られていく。
親が本気で私のためを思ってやらせてくれたのは分かってるけど、私は頼んでない。
頼んでないから拒否すると親は悲しい顔を使って私を黙らせた。
優しいねという呪縛を使って。
当時は親が全て正しいと思って、嫌だと思っている自分がおかしいと思っていた。今でも潜在意識に刻み込まれて、今ではわかっているのに肉体が自分の嫌だを否定している。

感想1

親からの言葉や態度に振り回されてきた記憶や反射が今もなお投稿者さんの心や身体を脅かしているように感じました。子どもは親に頼らないと生きられない期間があるにも関わらず、それを利用して不安を煽る言葉かけは、投稿者さんの生き方や本能に影響を及ぼすには十分すぎることだと思いました。今回書かれた内容のほかにも、まだまだ多くの様々な不安や疲労、地獄のなかで耐えるしかできないことへの絶望感があったのではないでしょうか。
自分の意思を抑えて場に適応するしかなかった子ども時代、その傷や痛みをまずは受け止めたい思いになりました。

親がどんなふうに子どもに対して接するか、そこに「子どものためを想って」という意思が介在しているか・いないかは、子ども目線で完全に把握することは難しく、また親子というそもそもが対等になりきれない関係性においては「自分のことを考えてくれているはずだ」という半分願いのような期待をもって受け入れるしか適応のしようがない気もします。互いが完全に分かり合うことは難しいとしても、衣食住を人質に取るのは明らかなルール違反ですし、親の意向と子どもの思いは切り離して扱われるべきものだと私は思います。

子ども時代を経て、今も頭での理解と心の反応が連動せずにもがいている投稿者さんの日々を想像しています。自分の「嫌だ」を否定せずにいられない、それは偏に苦しいことだと思う一方で、「当時はそうするしかなかったんだよな」と嫌だと思うことのできない悩ましささえ少しずつ受容していけたら、ほぐれていくものもあるのかもしれないと、そんなことを思いました。

感想2

小さな頃から安心できない環境で過ごし、今でもそのときの経験や、その環境から学んで身に付けざるを得なかったものにがんじがらめにされている印象を受けました。

家庭での出来事や、そこから学び取ったものがずっと自分の中に存在していて、その影響が理性の範囲に留まらず、肉体レベルまで染みついている感じ、そしてそれが拭おうにも拭えない感じ、とてもよく共感しました。特に「今でも潜在意識に刻み込まれて、今ではわかっているのに肉体が自分の嫌だを否定している。」という最後の一文が刺さりました。
私もずっと両親の喧嘩や機嫌に振り回されていて、他人の顔色を窺う癖や、自分の気持ちを押し殺して他人の言うことに合わせる癖が全然抜けません。「自分の意見を言っていいんだよ」と相手に優しく言われようが、身体が勝手にそう動いてしまいます。これ、私の「本能」になってしまったのかな……と落ち込むこともよくあります。私にとって、親の機嫌は本当に死活問題だったので、確かにそれは日々を生きていく上で重要度の高いスキルでした。「仕方なかった」と思いつつ、「なんてことをしてくれたんだよ……」と腹が立ったり悲しくなったり、中々やりきれないです。

「給料は衣食住」という表現も的を得ていると思いました。家庭内で子どもは圧倒的に力が弱くて、親という上の立場の人間に従わなければ生活が保障されないかもしれません。「あなたのため」と思っていたとしても、子どもの意思を尊重せずに、自分の機嫌や「見捨てる」という最悪の脅しを使ってまで「良いと思うこと」に従わせるのは、子どもの心をずたずたにするのに十分すぎる行為だと感じます。

「親が全て正しい」「嫌だと思っている自分がおかしい」ということが違うと分かったことは、投稿者さんにとって明確な一歩だと勝手ながら感じました。でも、肉体にまで染みこんだ呪いを解くには何をすればよいだろうか、と私は試行錯誤の日々です。「嫌」という気持ちを認めようとすると、やっぱりどうしてもソワソワしてしまいます。投稿者さんも、少しずつでも、自分のありのままの気持ちを大事にできる場面が増えたらいいなと思いました。

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