経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

好きなことも何もできない

私には病名も何もついてない
だから自分が怠惰なのか、病気のせいなのかわからない。

昨日は学校を遅刻して行って、今日は休んだ。ここ最近ずっとしにたい気持ちだった。

ずっとなんでだろうと考えている。
特別な出来事があったわけでもない。
ただ、日常の延長に積み重なった希死念慮、、。

どんどん世界が嫌いになってゆく感覚。
些細なストレスも私に深く刻まれる。

好きな趣味も何も出来ず、
寝るか、食べるか、スマホしかしない。

私はいつもクラスで大声で騒ぎ散らかしゲームをする者、自習中にくっちゃべるギャルを冷笑してる。

でも、普通に学校に毎日行けているだけで私より偉い、。

不幸な自分を必要としてるみたいだ、
なんだこれ、。

こんな「できない」自分を作ることで、
周りから心配してもらえ、腫れ物として扱われる。
怠惰な自分を受け入れられる。

上手くいっている時は
早起きして勉強して、学校行って部活して、楽器の練習して勉強して早寝して、、。

なんでこんなに差が激しいのだろう。
やる気が出ないときはスイッチが切れてしまったように何もしたくなくなる。

やる気のある時に予定を詰め込みすぎて、辛くなって学校を休む。

どうすればいいのだろう。

感想1

動けるときと動けないとき、その落差に「自分」の状態がよくわからなくなる感覚について、勝手ながら共感を覚えて感想を書いています。動けるときの理由もよくわからないし、かといって動けないときも原因がはっきりしない。そんな掴みどころのない不安定さの中で、どうにか1日1日を判断して過ごしている感じがしました。
同時に、「生きているだけで消耗する」ような感覚もあるのかなと想像しています。言い表せないストレスが何かをしようとする気力を削ぎ、心がしにたい気持ちに沈み込む、その重苦しさを堪えることにまたエネルギーが奪われる…そんなループにじわじわ疲れ切っているようなイメージも浮かびました。

個人的に、「クラスメイトを冷笑している」という一文が印象的でした。というのも、私が自分に余裕のない時に、他者を咎めるようなまなざしを向けてしまう自覚があるので、「私は冷笑している」とあなたが打ち明けてくれたことに正直に言えばほっとしてしまったのです。そもそもクラスで騒いだり私語をされることに嫌な気持ちになる、というのもあるかもしれませんが、それに反応する自分(投稿者さん)の心を「冷笑」と呼んでいるのは、どこかで自分自身のことやその環境をメタ的に捉えているからなのかなと感じました。そして、だからこそ「自分はどういう人間なのか」というような問いを、人よりも長く、厳しく、自分に投げかけ続けていたりするのかな…と想像しました(全然違ったらすみません)。

私自身も日々変わるコンディションとやる気の波に翻弄されている1人で、できることならその波が何によって起きるのか解明したいと思っています。一方で、コンディションに一貫性のある人ってどれだけいるんだろう?という思いもあります。特に学校など集団の場では、それぞれの振る舞いや成績などがキャラクターとして定着することで、他者に対しても・自分自身に対しても、「〇〇な人」という揺るがないアイデンティティが存在しているかのように思いがちな気がしています。一貫性があることが前提にされているというか…。でも「今日は誰とも話したくない」とか、「上手く頭のまわらない」という日もあるんじゃないのかなと思うし、できない時もできる時もどちらも「その人」であることに変わりは無いはずなのに…という思いがあります。なので、「自分」が日々揺らぐことはとても自然なんじゃないかということと、そんな変わりゆく自分を周囲の人にもほどよい距離感で見守ってもらえたら、少しは落差にがっかりせずに済むのかな…と、そんなことを考えました。
どんなコンディションのときでも、よければまたお待ちしています。

感想2

ここに書いてあることに身に覚えがありすぎて、勝手にびっくりしています。調子に浮き沈みがあるからこそ、やる気のある時に何でもかんでもやろうとして潰れてしまうとか、学校に行けなくて落ち込む気分とか、些細なことでも大ダメージになってしまうとか……とても共感しました。とても共感してしまったので、今投稿者さんは好きな趣味にも打ち込めないほど落ち込んでいる状態でさぞ辛いだろうな……という想像がありありと浮かんできてしまい、胸がぎゅーっとします。

私も学校に居ることがしんどすぎて登校できなくなってしまった経験があり、その「しんどさ」を作っている一因である騒がしい人たちを冷笑していました。その反面、「普通に毎日学校に行っている」点で彼らより自分の方が下だという風にも思っていました。「なんでちゃんとしないのか」「なんでちゃんとしないでもそこに居られるのか」という憎らしさと羨ましさがあって、そういう気持ちを抱いていること自体にも自己嫌悪が発生していました。

その当時の私は、学校に行けない自分を責めていましたが、今振り返って色々考えると、そもそも、週5日登校することができる人たちって実際どれほどいるのだろうかと思います。
それに、病名がついていなかろうが、しんどいときは素直にしんどいでいいじゃないかと感じます。
けれども週5日登校は「当たり前」とされているし、心身の調子が優れなかろうができるだけ出席するべきという謎の雰囲気があるし、それができなければ何故か腫物扱いだしで、ほんとうに息苦しい社会だと思います。こういう「頑張らなきゃダメ」な雰囲気があるからこそ、かつての私や、今の投稿者さんは要らない落ち込みを感じさせられていて、必要な休息も上手く取れないのではないのか?と勝手にひとりプンプンしています。人にはそれぞれ調子の波があるはずで、心身の調子が優れないときには休んでほしいし、きちんと休める優しい社会になってほしいなと強く感じました。

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