母はヒステリックな人でした。こどもは「自己顕示欲を満たすための道具」に過ぎなかった…だから異常な程に子供の成績に執着したし、ピアノを教えたり(スパルタ特訓)されてました。幼少期から「出来ないと体を強く叩かれる」「出来ないと罰を受ける(大切にしている人形の耳を切り落とされる)」などの刷り込みが激しくて、それが現在の生活においても、何かを暗記して実行しなさいとなった時に、トラウマとして蘇り軽くパニックになることがあります。今は精神科で投薬を受けてパニック発作などはマイルドになりましたが、やはり仕事が重くなると急に死にたくなるほどのメンタルの落ち込みがやってきます。自信を持てないこと、ミスした時にどんな罰があるか考えてしまう(強迫観念)から逃れられないんです。幼少期に虐待母の周りの大人たちは見て見ぬふりで助けてはくれなかったし、兄弟が同じく虐待に会う様子を見るだけでも辛く、時に虐待の手伝いなどさせられて、それも反抗したらご飯が貰えなくなるかもしれなかったし、叩かれるかもしれなくて怖くて手伝ってしまったことがあり、それについても罪悪感があります。三姉妹ですが私含め全員精神科通いです。
私は職場で声を出すことも非常に苦手です…喉の奥がつかえたようになり心臓がバクバクします。昔から母に言われていた「あなたは声も容姿も汚い」その言葉が脳にこびりついているのか、もう反射的に声を出そうとすると喉がギュッと締まるんです…。やる気のない人だと思われるでしょうか…。幸い今働いているところの上司は私が鬱を患っていることを知ってくれていますし、ご本人も鬱だったことがあるようで、冷たい対応をされることはありません。
虐待を生きのびてもなお社会で生きるとなったときに、トラウマで苦しんでいる方多いでしょうか?もっとこういった経験をした方が、どうやって復帰というか、社会性を取り戻していけるのかを知りたいです。
私はどうしてもフラッシュバックがつらいときは、処方された睡眠薬を規定量通りに飲めなくて、倍量飲んで脳を麻痺させたりしてしまっていますが…この間は本当にやりすぎたと分かっています。たくさんの薬を飲んでしまい、数日間意識がなかったのです。意識が戻った時も「ああ…死ねなかった」というか自分の体のしぶとさに嫌気がさしたくらいで、また繰り返してしまいそうで今怖いんです。拙い文章ですみません、初めてこういった経験を書くので辛いことも思い出してしまったし、とても読みづらかったと思います。読んでいただきありがとうございました。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
毒親(母との)幼少期のトラウマ
感想2
私の母親もヒステリックな人でした。いつも顔色を見ていました。上の兄2人が金切り声で怒鳴られたり、逆に猫撫で声でなだめられたりするのを聴いて自分の振る舞いを気にしながら育ちました。だからほんの少しかもしれないけれど、あなたが育った環境を想像してみることができました。
あなたの意思も感情も無いものにされてあくまでも母親が願うあなたでいなければならなかったのかなと思います。○○できたら○○してもいいという条件付きで承認されるのは子どもにとっては必死に応えようとするけれど、とても深いダメージになると思います。どんなにあの時のできごとが過去になろうとも、その時に受けたこころのダメージはまるで昨日のことのようにいつ生々しく再生されたとしても何も不思議ではありません。だからこそ耐えられずに薬を多く飲むことで何とか感覚を鈍らせているのかなって私は感じました。それはあなたがあなたを守ろうとしている行動に思えました。あなたが書いてくれたように、過去の傷を乗り越えて社会に出ると様々な場面で起こる身体的な反応や反射にしんどくなることでしょう。そういった感覚は、子どもが育つ過程でダメージを繰り返し受けたことにより身体に記憶された自然な反応だそうです(本で読んだことがあります)
今回こうやってあなたの胸の内をここに書いてくれたことはあなたの回復につながるできごとのように私は思います。薬を飲む以外にもこうやってあなたがあなたを助ける方法があるように思いました。安全を保ちながら互いを知ろうとしたり、自分の言葉で表現できたり、確認できたりするこういう機会が大切かなって私自身も思います。(あなたとこうやって対話しながら私も自分をケアしているようです)
実は私は母親にずっと違和感を覚えたまま育ちました。結構大人になってからそれを初めて身近なひとに話した時に黙って聴いてくれて「いいんじゃない?それで」と言われてホッとしたのを覚えています。親のことをそう思う自分がどこか間違っていると思っていたからです。でも自分が感じていることは別におかしいことじゃないって思えたことがある意味回復につながったと言えるかもしれません。あなたが感じていることをすべて聴けた訳ではないけれど、きっとあなたが自分を「これでもいいのかも」って認められた時に少し楽になるかもしれません。でもそれはひとりでは難しくて、こうやって誰かと話してみることだと思うんです。理解のある上司さんがいる職場で働けているんですね。回復や苦しさを感じながらも1日1日生きて、その先に気づいたら少しいいかも?…そう思える日が来ることを私は願っています。
よかったらまた死にトリを立ち寄ってみてくださいね。ありがとうございました。
感想1
過去に向かって自分の人生と母親との関わりを長らく見つめ直すことで、あなたは「現在」を生きてきたのかなと思いました。そう感じたのは、母の自分への言動に対する分析の言葉がまとまっている印象があったからで、逆にいうと、傷ついた多くの体験を言葉にするにはいろいろなプロセスが必要なことも多く、簡単ではないと思います。あなたが生き延びる過程に過去の再理解のようなことが必要だったのかなと思いました。また、母親さんの加害行為や言葉などがなぜ起きて、そして止められることがなかったのかも気になりました。周りの大人があなたを助けてくれなかったことに悔しい気持ちになります。周りに全体的に余裕のない状況があったのだろうか、なぜそこにサポートの手が入ることができなかったのだろう……と考えています。
発話はリアルタイム性があり、表現の中でも原始的である分、身体反応として出やすい部分の一つかなと思います。あなた自身の表現を幾度も否定され、母に沿う形を強制されてきたと考えれば、職場で声を出すことが難しくなるのも無理はないように感じました。私も精神科にずっと通っている人生ですが、心身はつながっていると感じることが多々あります。自分では自覚していなくても、体がずっと緊張して強張っていたり。喉がギュッと締まる感覚自体きっとしんどいものではないかと思うのですが、もしかしたら、それ以外のときにも、あなたの身体はギュッと身をかたくしてあなたを守る姿勢をとり続けているのだろうかと考えていました。上司から冷たい対応をされることはない、という部分には少し安心しつつ、だけどあなた自身が身構えずにいられる環境ということでもないのだろうな……と気になっています。
社会復帰について問いがあり、そもそも社会復帰ってなんだろうと考えていました。私はここ数年極力無理しすぎないように心がけていますが、そうしたらフルタイムではとても働けないし、体調も常に悪く、精神的にも刺激に反応して不調になりやすいため、限られた中でぼちぼち働ける日には働くという感じで生きています。それは一般に「社会人」らしからぬ姿かとは思うのですが、「社会」は本来人間全員のためのものなので、どんな状態でも「社会にいる一人」として生きていいということと、その中で「普通」ではなくとも生きていける方法が増えていくことが大事なのかなと個人的には感じています。(理想論かもしれませんが……。)
私は30代半ばなのですが、いまだに制御できない自分に苦労することは多く自分研究が続いています。本や他の人の経験を知って自分のことや困難の対処法に気づくことは結構ある気がします。たとえば「ケアをひらく」という書籍シリーズがあります。その中の『その後の不自由「嵐」のあとを生きる人たち』『安全に狂う方法』などいくつかの本は、個人的に自分のことを理解し調整するのに役に立ったので、あなたに合うかわからないですが「自分の状況をとらえる」プロセスにあなたが取り組み続けている人のよう勝手に感じたので紹介してみました。あなたの研究と、率直な気持ちを聞かせてくれてありがとうございます。あなたが感じたことや考えていることを、また聞いてみたいです。