経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

細くて短い人生がよかった

私は、20歳まで生きること、20歳を人生の最後にしようと決めて生きてきたが、人に迷惑をかけず、悲しむ人も出さない死に方を探し見つけられず、まだまだ無駄に生き続けている普通を装って過ごし続けているしがない今年成人を迎えた者です。

これまで色んな死に方をこれまで考えてきました。
しかし、死ぬというのは最後に誰かしらの力を借りないと片付かなくて、、
しかもそのなかでも自死を選んだ場合、金銭的にも見ず知らずの人様にも迷惑をかけるということを学び、死にたいのに死ねない、死に方は色々思いつくが、どれもできないと長々と生き続けております。
死にたい理由はわからない。
自分の全てがほんとにとにかく嫌いすぎて、とりあえず人生を早く終わらせたい。
なのに悲しむ人がいるかもしれない事実、死んだ後の状況などを考えてしまい終わらない、自分が大きな病気や事故に巻き込まれることを願いながら生きているのです。

しかし、どうしても心が死ぬことを止めてしまうのです。命を終わらせることを踏み止まっている理由の一つとして家がキリスト教を信仰している家だということも関係があると思います。
私自身も、キリスト教の教え?をある程度信じてはいますが、自分から死ぬのは禁忌であるのと同時に洗礼を受けると、天国で過ごすという「永遠の命」が付いてきます。
でも私は死んで消えてしまうか、無の世界に行きたい。
何も考えず、誰かを苦しめず、勝手に小さいことで傷つかないそんな世界に行きたい。
だから洗礼は受けたくないのです。
だけど、家族や幼い頃から私を知ってくれてる教会関連の方は、早く洗礼を受けることを求めてきてくれている。そんな言葉に応えられない自分が嫌だ。
教会の歌に、「君は愛されるために生まれた、君の生涯は愛で満ちている」という歌があります。
でも、私は誰に愛されてるの、?たぶん家族だけだよね、?となってしまいます。
ほんとに他人が信じられない。
私なんかと関わって幸せになれるわけがない。
私と関わってくれた子は、明るくて優しい子だと言ってくれる事が多いです。
その言葉がほんとに重い。そんな子じゃないほんとに。
私が、そう見えるように作り出して演じてるだけ。
他人に見えてる私はほんとに私じゃないと思う。

あと、子供ぽいと言われることもあり、この言葉にも頑張ってこうなりたいというのがあるのにできなくて、こう言われて毎回傷ついて、、そんな自分がやだ。
他人が私に向けて言っていることが信じられなくて上辺だけの関わりしかできない。
他人の名前すら覚えるのが苦手なのに、誕生日まで覚えられない自分が嫌だ。

また、今回死にたいと思うまでこころが落ちている理由として、成人式の参加がトリガーだと思います。
私自身あまり気乗りはしなかったのですが、親がものすごく私が成人式に参加することを楽しみにしてて、その声に応えなきゃと参加しました。
だけど、いざ参加してみたら周りはグループができていました。
気を使って旧友が近くに来て座ってくれたけれど、私がうまく喋りかけられなかったりしたせいか気まずい空気が流れました。
なのに近くにいてくれて、そのうちその子は私が近くにいる状態で別のこと話していたりと、完全に私が邪魔してしまう形となっておりました。
また、その近くにいてくれた旧友の一人によく遊んでくれていたけれど、ときより見せる様子があまり受け入れられず悶々としてしまい、私から離れてしまった子がおり、居た堪れませんでした。
最後、その子を含めたよく一緒にいた3人が集まって楽しそうに話しているところを見て、あぁ、私は邪魔だったんだなと、連絡取らなくなった、取り方がわからなくて止めてしまった自分が悪いのに勝手に傷ついている自分が本当に嫌です。
また、人物写真が苦手で、何故かあんまり残したくないので写真を色んな人と撮らない+話さなかったのに、そのことを終わってから感想を聞いてきた人に言うと何で?と気まずい空気が流れるのがホントに苦しい。
こんなに苦しい事が多いなら今すぐ存在自体消えたい。

で、これに懲りて人との繋がりを無くせば心と身の為なのに人との関わりを求めてしまう。
そしてまた自分できっかけを作っておきながら、他人に絶望するということを繰り返しているのもほんとに辛い。

また、今年から次の進路に向けて就職先を探さないといけなくなります。
しかし、就職してしまうと簡単に死ねなくなります。
だから今すぐ死ねばいいのに、死ぬまでに届かない。
だから次の進路を探しているけど、未来なんて見えない。夢なんて思い描けない。ただ真っ暗な道を歩いてる。

また、マイノリティに関しても曖昧なのです。
恋愛対象は男だけだけれど、性的対象(まだ一度もないが)に関して、男女両方日によって求める相手が違うのです。それに攻めたい日もあれば、受けたい日もあるという、、そんな自分の中に不安定さがあるのもほんとに苦しい。

他人が見えてる自分(求められている自分)と、ほんとの自分、、
相手に心を許してきても絶対に見せられない自分がいてほんとに苦しい。
何があっても死にたいという気持ちを他人には言いたくないしバレたくもない。だから見える形では絶対に出せない。
弱いところを見せられない。
どうやって見せたらいいのかもわからない。

これまで近しい感じの相談を友達にしたことはあるが、さらっと流されることが殆ど。私は相談に乗って答えることが殆どだったけどそれでも流される。だからもう他人は信じられないというか、信じて絶望したくない。

ほんとに苦しい。なんで生きてるんだろ。早く死にたい。
そんな私を誰か助けてほしい、支えてほしいと他人に求めてしまう自分がほんとに嫌だ。
何もかも嫌だ。早く消えてしまえばいいのに。
とりあえず、死に方を見つけられずに進んでしまった大学の奨学金の返済が終わるまで、とりあえずそこを目指して苦しみながら生きていきます。

感想1

きっと今まで、ご自身でたくさんたくさん考え抜いてきたことだろうと想像しました。

他人が信じられなくて、他人とうまく付き合えないけど、本当は自分の気持ちを見てほしい。本当は誰かに助けてほしいけど、それができないし、ちょっと弱音を吐いて見たらマトモに受け取ってもらえなくてガッカリ、それでも……というループは、まるで泥沼でもがき続けるように苦しいと思います。けれども、人間に対して絶望しきっていない、むしろまだ一縷の切実な望みをかけているようにも私は思えました。
セクシュアリティに関して、対象の不安定さに苦しみを抱いているということですが、これは「性的な欲望を掻き立てる対象・シチュエーションは一貫している」という根拠のない説を支持している社会のせいで、勝手に感じさせられている無用な苦しみだと思いました。

ここから、個人的に最も共感したことなのですが、投稿者さんの仰る通り、自死するにしても、ほんとうに色々考えることがありますよね。投稿者さんも書いている宗教戒律だったり、社会規範だったり「自殺はダメ」というくせに救ってはくれない……けれど、なにより周囲に迷惑がかかるし、少なからず悲しんでくれる人もいると知っているし……とやっているうちにどんどんタイミングを逸していき、私も今があります。
というのも、私自身も自分で人生の期限を設定していまして、そういえば、「20歳」というタイミングもかつては期日だった、ということを思い出しました。今まで、その期限を守ったことは一度もありません。期限超過を繰り返して現在まで生きておりますが、これがレンタルDVDとかだったら一体どれほど追加料金がかかっているのだろうかと思います。けれども、一応今は「やるべきこと」があるので生きています。
私の場合、なるべく都合の良い死に方を探しているうちに、何でか期日直前になって「生きる理由」が見つかってしまう感じです。そんなことを繰り返しているうちに天命を全うしそうだなあ、とか、余裕のある日はぼんやり思います(余裕の無い日は「ぎゃー!うるさい!はよ消えたいんじゃ!!」となります)。
ご自身の辛さ・苦しさとぶつかりあいながら、それでも向き合い、辛さを分析して、丁寧に言語化して他者に伝える、このようなことができる投稿者さんは、おそらくとても忍耐強く理性的な方なのではないかと私は思いました。

感想2

人と一緒に過ごすことで、逆にありありと浮かびあがってしまう孤独や傷ってあるよな…と思いました。私は成人式に行かなかった人ですが、もし行っていたら、友達も少ないし写真を撮られるのもイヤだし、すごく消耗してしまっただろうと思います。
気乗りしなかった中でも、親の期待に応えようと参加した…そのように周りの気持ちを優先して自分の言動を抑えてきたことが、これまでどれほど多くあったのだろう…と私は思いを馳せています。明るくて優しい子と評価されるという話から、期待をキャッチして器用に振る舞う力を感じているので、その力が逆に内面の孤独を大きくしているのかもしれないなぁと勝手ながら切なくなりました。
ほんとうのあなたは、洗礼についてや、恋愛や性的対象について・・・周りの期待通りにならない自分をたくさん抱えているのだと思います。でも期待通りにならないなんて、当たり前のことだし、大切なことだと私は思います。だって、人間は誰も自分の思いや指向を選べないし変えられない(勝手に湧いてきてしまう)のだから、それに対して周りが期待したり注文をつけるのがひどい話だと私は感じています。

誰にも言えない悩みや感性、考えは、すごく重たいモヤモヤとして、心身に負担をかけてくると私は感じます。あなたは今にも倒れて潰れてしまうのではないかというくらい、行き場のないモヤモヤを背負っているように私には見えました。その中で、助けてほしい、支えてほしい、と求めるのは自然な感情だと私は思います。
人は誰しも助けや支えを求めるものですし、気持ちを一人で抱えているとしんどくなってしまいます。ただ、助けをうまく求められない現実があるのに対して、助けてという気持ちが強く叫ぶならどうしようもなく苦しい気がするので、もうこんなのが続くなら消えてしまいたい…と思うのも当然のことだろうと感じました。

私は無宗教でキリスト教にも全然詳しくなかったのですが、洗礼を受けると天国で過ごすという「永遠の命」が付いてくるのですね。私は「死んだら無になる」のを救いとして、いつか自然にくる死を待っているので、洗礼なんて受けたら困る…!と、読んでいるだけでそわそわしてしまいました。
「君は愛されるために生まれた、君の生涯は愛で満ちている」も、そうかなあ、と私はちょっと素直には受け取れませんでした。なんのために生まれたかなんて、ただ産まれてしまったから生きてるだけだし、せめて何のために生まれたかは自分で決めたいなあと私は思ってしまいます。

私の話ばかりしてすみません。ただ、あなたが心の中の「違う」「そうじゃない」をとても抑え込んでいる気がして、それを周りに言えなかったとしても内心では認めて叫んでいいんじゃない?と、誘いたい気持ちで私の思うことを書いてしまいました。
またよかったら、死にトリに語りを届けてほしいと思います。

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