小学生の頃からおかしい子だった。悪い子だったから、先生にいつもわたしだけ怒られて、みんなの前で泣きながら訳もわからないまま謝らされた。
中学生になって統合失調症になって入院してから、幻聴が少なくなって精神科に通院になってからも、結局おかしい子のまま。授業には出られないし、いつも早退ばかりしているし、周りの子が羨ましかった。私以上にしんどい子なんて周りにいないのに、どうして自分だけこんな目に遭わなきゃいけないのか。そんな自分勝手なことばかり考えて、到底普通の子にはなれなかった。
それでも受験勉強だけは頑張って憧れの高校に。憧れの女子校に入って、可愛い制服を着て、ここから頑張ろうなんて思ってたのに。病気は私を思い通りにはしてくれなかった。
でも、体調が悪くなって保健室に行くと、いつも担任の先生が話を聞いてくれて、隣で寄り添ってくれて、それが今までにない生きがいだった。今までにない生きている意味だった。担任の先生が隣にいてくれるから、これからも頑張ろうなんて思えた。
ふと周りを見渡した時、クラスの中には私以上にしんどい子が2、3人いることに気がついた。その子がオーバードーズをしているという話を聞いて、腕の傷も見せられた。私よりも遥かに深い傷をその子が負っているということを知った。その子は大声で、私の前で友達とオーバードーズの話をしていて、わたしは急に息が苦しくなって、過呼吸になって、気がついたら先生と保健室にいた。
数日して、その子は先生に、とある漫画コンクールで優勝して表彰されていた。わたしより遥かに苦しいはずなのに、わたしよりも頑張ってるその子を見ると、まるで自分が頑張っていないみたいだ。中学から続けている吹奏楽も、執筆も、存在さえ、その子には及ばない。
一度でいいから、みんなにすごいって言われるようなものが欲しかった。病気を忘れて、思い切り何かやりきってみたかった。その子よりも頑張れていない、価値がない、その現実を、高校に入ってから無様に突きつけられた。
わたしよりしんどい子はもっといるという話は本当だった。自分が一番きつい思いをしているから、ちょっとぐらい休んでいいんじゃないかと思った自分が憎い。
3学期からもう休まず頑張るしかない。あの子のようにしんどい思いをたくさんしていれば褒めてもらえると思う一方、病気なんか忘れて普通の子になりたいと思う。
やっぱりわたしはおかしい子だ。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
おかしい子
感想2
タイトルの「おかしい子」はどんな子のことなのかな?と素朴な疑問がわきました。経験談を読んだだけではありますが、私にはおかしい子という表現があまりピンと来ていません。真っ当に悩み苦しみ、真摯に生きる姿がまず浮かんだからです。小さい頃から先生には怒られることが多かったようですが、あなたのせいというより怒る方の先生の受け取り方や対応に問題がありそうだと感じてしまいました。たとえ、あなたが何かしらよくないと思われるようなことをしたとしても、対応法として「怒る」は適切ではないと思ったのです。時には怒ることが相手に変化や気づきをもたらすこともあるとは思いますが、あなたの場合は怒られた当事者のあなたが、怒られたことにより何かを得たり、気づいたりするというよりも、なぜ怒られたかわからない不安や自己否定を強めたように感じています。今、保健室で先生に話を受けとめられている様子を見ると、より一層、怒るのではなく受け止めることが必要だったように感じます。もっと早くに、怒るのではなくあなたの言動の意味や背景をしっかりと受け止めて、あなたと一緒に考える機会につなげてほしかった…そう感じました。
ただ、今は身近に話を聞いてくれる先生がいることをシンプルに心強く感じています。とても大切な存在だからこそ、先生が他の子を気遣う姿を見て、心が揺さぶられているのかなとも思います。その揺れ動く自分の気持ちに何とか折り合いをつけようする葛藤が私には伝わってきました。
ただ、葛藤の中であなたががむしゃらに頑張ろうとすることが少し気がかりです。私たちは時間もエネルギーも限られているので、頑張ることも大事ですが、それと同じぐらい頑張らないことも大切なのかなと私は思っています。そんなことを考えていると「平安の祈り」を思い出しました。すでに知っているかもしれませんが、もしも知らなくて興味があれば調べてみてください。
感想1
あなたが自分自身に対して抱いていた思いが、周りの人の様子を知る中ですこしずつ変化していった様子が伝わってきました。
あなた自身のしんどさや病気によって思うように動けない状況を受け入れるために、「私以上にしんどい子なんていない」という捉え方が必要だったのではないかなと想像しています。それが自傷行為という形で他者の苦しさを目の当たりにしたことで、自分が信じていたものが揺らぎ、「誰かとの比較」が始まってしまったのかなあと…。
あなたとその子、そしてそれ以外の人たちも含め、ほんとうは相対評価で頑張りは決まらず、それぞれのペースで絶対評価のはずなのに、なかなかそう思えないなあと感じます。学校という一律的な環境、みんなで合わせるという前提が強すぎて、「自分は自分なりにやっている」と心から感じるのが難しくなってしまっている、そんなことを考えました。