私は中学校で吹奏楽部に所属していました。トランペットのパートリーダーでした。あと2人同期がいて、1人とはとても仲がよく、もう1人は練習を30分で早退する子だったので、少し嫌いでした。
顧問の先生は私の嫌いな子を好いていました。思えば、音を取り違えられていたのでしょう。よく私は合奏で名指しで怒られました。「音が飛んでない」「音程おかしい」色々言われましたが、辛かったのは「もっと〇〇に合わせて」でした。私のほうが音程は合っているんです。その子がおかしいんです。なのに合わせないと怒られる。合っていないものに合わせるのはとても難しいんです。でも私は合わせようとしました。それで失敗して、先生の言う事なので周りも先生を信じて、信頼していた部長や他パートの友達にまで「練習してるの?」「サボってるんでしょ(笑)」「ちゃんとやってくれないかな」「他パートだけど私のほうが上手いかも(笑)」と、たくさん言われました。リーダーの自覚を持てとも、何度も言われました。…少し話が逸れましたね。とにかくあの時の私に味方はいませんでした。もう、仲間も先生も誰も信じられなかった。誰にも相談できなかった。先生は私を怒る時よく、「ほら、また眉下がってる。悲しいよーって(笑)もっと前向きに「頑張ろう!」くらいで行かないと(笑)」「え、泣かないでよ、私が悪いみたいじゃん(笑)」と言っていました。元々下がり眉気味の顔だったけど、メイクして意識して眉を上げるようになりました。凄く傷つきやすくて涙脆いけれど、自分の部屋でしか泣けなくなりました。自分が上手くなったと思えなくなりました。頭の片隅でいつも「練習しなよ」「下手」「私のほうが上手い」と鳴り響き続けてます。誰も信じられなくなりました。捨てられたらどうしようといつも不安です。演奏中の視線が怖くなりました。仲間の視線は特に。指揮棒の音が怖くなりました。先生がイライラしているときの合図だったから。精神論や感情論が苦手になりました。先生の熱意を思い出してしまうから。
楽器に真摯とは言えないほどに、私は音楽に向かない特質を抱えるようになりました。それでも自分は吹奏楽が好きなのだろうと思って、高校でも吹奏楽団に入りました。
最初の半年は良かったんです。
1年生の中で、2年生や3年生も数人差し置いて、数少ないコンクールメンバーになりました。自分は上手かったのかもしれないと、視線や考え方の癖を克服しました。大好きな先輩、良い指揮者、良い指導者…全てが完璧でした。
コンクールが終わり、代が変わりました。新たなリーダーは、精神論と感情論の人でした。指揮棒を鳴らして「そこピッチ合ってない」、週6で練習してるのに「もっと練習したいよね」、疲れ果てて休憩すると「疲れてるって思わないで!まだいける!」
私にはもう限界でした。学校までは片道1時間、進学校、ついていけない勉強に、成績の良い周りの人たち。
ダメ人間だと言われている気分でした。視線恐怖も復活しました。「下手」という声もまた響き始めました。
この時には既に限界を迎えていたのかもしれません。
そんな中、ついこの間のアンサンブル練習で先輩は言いました。
「ほんとに練習した?どうして昨日配ったのに譜読みが終わってないの?」
いろんな記憶が蘇りました。「ほんとに練習した?」の部分しか聞こえていませんでした。
やっぱり、やっぱりダメだった。
死にたい
もう無理
私には吹奏楽はできない
ごめん、ごめんなさい
こんなのでごめんなさい
たくさんの言葉が頭を駆け巡り、軽いパニックを起こしました。
中学校の時に、私は軽いパニックと悪夢症、過敏性腸症候群を発症していました。
幸いにも息を切らす前に教室を離れることができ、誰にもバレませんでした。ひとりぼっちの教室で泣きました。譜読みに1週間はかかってしまう自分が嫌になりました。下手な自分が嫌になりました。3階の教室で、フラフラと窓枠に向かう途中、同期が現れました。同じパートの仲間には恵まれていて、先輩も同期も大好きでした。信頼しているかは別として。「ここで練習してるの?廊下寒くなーい?」と問うてきたその子に対し、私は笑顔で「うん、中で練習しよっかな」と言いました。さっきまで泣いていたのに、人が来ると笑顔になります。暇さえあれば口角を指で上げて笑顔の練習をしている成果か、いつでも自然な笑顔を作れます。
でも、ほんとに辛いとそれもしんどいです。…また話が逸れてますね。
とりあえず、私はまだ生きています。
ただ、下手だと囁いていた声は死ねと囁くようになりました。リーダーの先輩の声だけで脈が上がるようになりました。悪夢症は酷くなりました。
それでもパートの先輩が、トランペットの仲間が大好きなので部活を続けています。お医者様にもチューターにも辞めたほうが良いと言われたけれど、3月に辞めるとその人たちには言ってしまったけど、私は夏まで居ようと思ってしまっています。大好きな大好きなたった2人の先輩のため、ただそれだけのために。
この選択がこれから私に何をもたらすのかはわかりません。まだ選択も悩んでいます。とりあえず明日も部活なので、私は傷つくとわかっていながら明日のために寝ようと思うのです。
ここからは少し話が逸れます。
ここまで辛い部活を、辛い毎日を、私はゲームをすることで生き抜いています。ネット上にたくさんできた友達は私の心の支えです。それでも最近思うのは、私はおそらくネット依存なんだろうな、ということです。私の精神状態はネット上のおにいちゃんに依存しています。もともと依存気質でした。中学の時に一人の友達にずっと依存していました。部活も同じで塾も同じ、大人びた友達に。その子に迷惑だと、そういうのは苦手だと言われて以降、同じ高校に進学し、同じ部活に入ったにも関わらず、私はその子にほとんど近づきませんでした。恐らく高校に入って急に弱くなったのも、少しそこに理由があるのでしょう。お兄ちゃんと知り合ってからは少しだけ気分がマシになりました。悪夢が怖い日はいつも寝落ちしているお兄ちゃんのVC部屋で寝るようになりました。でもたぶんこれってあんまり良くないんですよね。勉強時間はゲームで食われてるし、ネッ友に親は否定的だし…。
ただ、私はお兄ちゃんがいなかった日々に戻るくらいなら死んだほうがマシだと思っていますし、実際依存先を失ったら今度こそ死ぬでしょう。(依存してた友達から離れた時も病んで病んで大変でした)心の健康と将来、先輩が好きな自分と部活が苦手な自分、何をとるべきなんだろう。悩みが全くつきません。「死ねば悩まなくていいのに」「そうやってここに打ち込むことも誰かの迷惑だよ死ね」「死ねよはやく」こうしている間にも頭にはたくさんの声が響きます。
ネット上のお兄ちゃん達と友達にしか私は助けられません。
リアルなんて知ったことか。
全て滅びてしまえばいいんだ。
そうすればこのうるさいうるさい頭の声も消えるはず。
悪夢も見なくなるはず。
迷惑をかけなくて済むはず。
…ああ、消えてしまいたいな。
毎日夜に考えることを書き出してみれば、少しはまとまるかもしれないと思った次第です。ネットのお兄ちゃん達は最高で22歳で、誰も会おうとしない極めて安全な人たちです。
ここに書いたことで、少し頭が整理されて「死ね」コールも小さくなった気がします。長文乱文失礼しました。
読んでくださった方、嫌な思いをさせていたらごめんなさい。こんな意味の分からない気持ち悪い自語りを読んでくれてありがとうございます。
頭で流れていることを書き連ねているだけなので、きっとところどころおかしいと思います。それでも、ここに書いたことで少しだけ救われました。
今日の悪夢ではきっと、私は死ななくて済むでしょう。
経験談のカタチを成していなくてごめんなさい。ありがとうございました。
感想1
いくつかの鮮明で詳細な記憶たちがあなたを苦しめていることが伝わってきました。おそらく、今回は書いていないことでも日々チリのように積み重なっているダメージのようなものがあなたの中にあるように感じています。あなた自身の「もともと依存気質」という自己分析の背景には一人きりで処理しきれないつらさの負債のようなものがあるように思われました。それを、何とか自分ができる範囲でいろいろなもの(依存する先)の力を借りながら、やり過ごしているのかなと思っています。そのつらさは「死ね」コールであったり、悪夢であったり、軽いパニックであったり、過敏性大腸炎であったりと、いろいろな形でSOSを出しているように見えます。ただ、周囲から見えるあなたはそれよりも随分と明るく元気で頑張り屋さんなのでしょう。そのギャップがあるからこそ、あなたは自分を何とか守り続ける必要性が強くなるように思いました。
そして、あなたが明確に教えてくれているネットとリアルの違いについて興味深く思いました。ネットでつながっている人たちは自分を助けてくれると断言できるけれど、リアルは「知ったことか」「全て滅びてしまえばいい」と言うその違いは何なのかなと考えています。経験談を読んで私なりに考えたのは、ひょっとしたら、リアルの関係によって生じる情報量の多さや複雑さがあなたにとってはストレスで、ネット上の一定の条件下での関わりではその複雑さや情報の多さがないからなのかもしれないと仮説を立ててみています(全然違っているかもしれませんが…)。というのも、最初の方に書いてあった吹奏楽のエピソードはとてもたくさんの情景や状況が想像され、読んでいる私にも出来事以上に混乱や目まぐるしさが伝わってくるように感じたからです。適当にやり過ごせないたくさんの情報やタスクがそこにはあり、その処理に疲れてしまっても無理はないと思いました。また、リアルには自分の想定できないこともたくさん起こります。学校という必ずしも自分が選んだわけではない人間関係で、簡単に逃げ出せないという状況も考えてみたら特殊だと思います。それに引き換え、ネットはあなたが自ら選んでつながっているものでしょうし、どうしても付き合わなくてもいいという強制感がないことも力が抜けていいのかもしれません(いろいろ、想像していますが、的外れだったらすみません)。
そう考えるとあなたにとって、「助けてくれる」というのはどういうことなのか考えています。ネットの人のつながりももちろん力にはなっていると思いますが、リアルにおいてもネットの力を借りるにしても、あなたを一番助けている(助けてきた)のはあなた自身なのだろうと感じました。そして、自分をこのまま助け続けることに不安や迷いがあるのかもしれません。リアルは刺激が多く、疲れ果ててしまうかもしれませんが、あなたには自分を助ける力があります。ネットも上手くつかいつつ、リアルにもあなたの力が発揮できる環境はあると私は思いました。