経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

私は人間のクズ、愛が欲しい

幼少期は抑圧の強い人生、反発すれば怒られる怒鳴られるこわい自分の気持ちを抑えなきゃ隠さなきゃ殺さなきゃじゃなきゃ怒られる死にたい死にたい死にたいずっと思ってた。私のことを好きって言ってくれる子を利用した。だめってわかってる傷つけたこともわかってる許されないことだって分かってるごめんなさいごめんなさいごめんなさい私も利用されたからダメな事だって分かってたはずなのに。思わせぶりな態度で振り回したごめんなさいごめんなさい傷つけてごめんなさい
小学生、高校生の時非行をした。ダメってわかってた。止められなかった怖かったつらかったでも誰にも相談できない自分が全部悪い一時的な感情に振り回されて正しい決断ができなかったそんな自分が気持ち悪い
理想が高くてその理想のためなら自分を犠牲にするぐらい頑張れたこのやり方もダメってわかってる気持ち悪いでも助けてって言えない全部自分がまいた種全部自分が悪いことをした助けを求めたら自分がダメな人間ってことを知られてしまうこわい苦しい死ぬより怖い自分だったら軽蔑する気持ち悪い
愛が欲しい見返りのいらない愛一方的に愛して欲しいでもそんなの無理って知ってる気持ち悪い決断しなきゃでも出来ないどうすればいい苦しい自分が悪いのに死にたくなってる相手はもっと辛いはずなのに気持ち悪い
禁止が多い幼少期、親が過干渉で監視されているみたいで気持ち悪い何を話しても否定された許せない。でもままは親からの愛情を受けて育ってきてないそれを知った時怖かった私から聞いたのに。同情するべきなのかでもそれを理由にされたくない私は傷つけられたそれは事実
お母さんから離れたい苦しいうるさいストレスが溜まる離れなきゃお互い潰れてしまう離れたい自分の限界が分からないどう休めばいいかも分からない努力してる時はたのしい努力できてない自分が嫌誰に何を言われようと私が満足出来なきゃ頑張ってないのと一緒ハードルを下げたい下げなきゃいけないのはわかってるでもそしたら私が行きたい学校に受からない全部自分で自分の首を絞めてるわかってるそんなことうるさい
愛が欲しい否定もされない世界がいいいっぱい愛されて育ちたかった周りから見たら愛されてるわかってる虐待はされてないでも精神的虐待は受けてたって言える苦しかった親が許せない
愛が欲しい愛されたい
恋人がいる最初は楽しかったでもそれはだめなこと歳の差がある法律に引っかかっているのは分かってる好きになった私が悪い優しい人だから困ってる私を助けてくれた手を差し伸べてくれた恋人らしいことが出来て楽しかった恋人になってからも迷いながら付き合ってた
私はまだ学生相手は社会人これは私たちだけの秘密だけどもう苦しい友達に隠したくない隠し事をして距離を作ってるのに離れられたら苦しい寂しいこわい別れなきゃ別れたいでも私からその関係を始めたのに優しい人を利用している自分が気持ち悪い
今の状態は浮気好きな人がふたりいる恋人がいるのに、もうひとり好きな人が出来てしまったでももう分からないいっぱい悩んだどう決断したらいいのどっちかの手をとり続けたい
好きな人の唯一無二になりたい依存はしてはいけない苦しくなるから捨てられるら重いって言われるから別れられるから怖い自分が振る側になるのがこわい苦しい相手から振られたいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい私が悪いのに
将来結婚したい結婚してずっとその人と居たい子供はいらない絶対に苦しめてしまうから今の私と同じことになってしまうから繰り返してはいけない死にたいでも怖い殺されたくない生きていたい夢がある叶えたい人助けがしたい人の役に立ちたいでも利用されたくない気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い
愛されたい独占されたい依存されたい束縛はされたくない1人時間は欲しいでも愛されたい好きな人に包み込まれたい安心するから怖くなくなるから苦しくないから抱きしめられたいそんな資格ないのに人間のクズだ
恋人がいるのに、ほかの人を好きになってしまった恋人も好きその人も好き同い年で優しくしてくれるその人が好きでも幸せになれるか分からない今の恋人は幸せになれるでも我慢させてしまう苦しい怖い助けて気持ち悪い
自分を愛する努力をしたいっぱい頑張ったでも結局こうなって嫌いになる真実を伝えて別れたくない傷つけたくない静かに離れたい助けて
別れよう好きな人ができてからそう思ってたずるずる引き引きずった自分が悪い上手く別れられそうだったのに振られる不安があるって言われたから反射的に絶対にそんなことはないって言ってしまったでももう苦しい開放されたいしにたい罵倒されたらいっその事楽なのにその人たちのせいにできるそんなこと考える自分がきもいこわいそんな自分いなくなって欲しい
救いようがない落ちていくだけ
別れようこの関係を終わらせるそうしなきゃいけない相手に迷惑をかけてしまっていた気づけてなかったバレなきゃいいと思ってたバレたら酷いことになるのに苦しい

感想1

ずっとせき止めていた思いが一気にあふれ出したような文章だと感じました。何度も謝りながら、それでも自分が求めているもの、望んでいるものを言葉にして伝えようとする文章は、言葉以上の温度と質感を伴ってこちらに届いてきました。
幼少期から今に至るまで、自分の気持ちやその振れ幅に苦しみ、振り回されながらどうにか生きてきた感じがしました。その過程で自分がしてきたことを「自分のせい」「だめだとわかっているけどやってしまう自分が悪い」と繰り返し表現していたのが印象的でした。たしかに、人を傷つけたり良くないことをするのは「いいこと」とは言えないのかもしれませんが、読んだ私からすると「その時のあなたが生き延びるために必要なこと」だったのではないかと感じました。自分で自分をどうにかするしかなかったというか…。それは言い方を変えれば、本来1人で抱えきれないような重さや大きさの感情を、あなたが抱えてきたということだとも思います。

あなたが自分を繰り返し責めているその背景には、「悪いとわかっていながらやるのはおかしい」「自分で選んだものは自分のせい」というような価値観があるのかなと想像しました。幼少期から自己主張が許されない環境であったり、自分の気持ちを誰かと一緒に考えたり、確認したりする機会もなかったのかなと思います。だからこそ自分の行動や考えを見よう見まねで自己点検するしかなく、それが結果として「自分の判断はすべて自分に原因がある」という考えになっていったのかなと推測しました。あなたが自身に向ける言葉の刃は、自分を痛めつけているように感じられる一方で、なんだかものすごく疲れていそうで、「こんなことやめたい」という叫びが詰まっているようにも感じました。
同時に、「自業自得」的な価値観や、「自分でどうにかしなきゃ」という価値観は、社会全体を覆っている苦しみの根幹でもあるように感じています。あなたの経験談を読みながら「社会がもうすこし個人を見てくれる、寛容な雰囲気だったらな…」と感じざるを得ないところが何度もありました。「誰か(社会や特定の他人)のせい」と思うことをあなたは望んでいないような気もしますが、少なくとも「あなた」という存在の外側にもあなたを苦しめているものは色々ありそうだと、私は感じました。

率直に「愛がほしい」「自分はこういうところが良くないんだ」と言葉にして表現することは、それ自体が苦しい瞬間もあるのかもしれませんが、それでも自分の求めているものを探していく引力の1つであるように感じました。ここに私がどんな言葉を置くべきか、今もまだ迷っていますが、あなたが必死に生き延びてきたことをしかと受け取ったことは伝えたいと思います。

感想2

不安に駆られた時に、何をされなくても「わたしは愛されている」という確証があったらどれだけ安心するだろうな、とそんなことを思っています。不安になるから好かれる人になろうとしてしまうし、不安になるから求めてしまうし、不安になるから壊してしまう。そんなことを考えていると本当は欲しいのは愛情という名の、安心なのかもしれないなと思えてきます。

恋人がいるけど好きな人ができてしまう、その気持ちは誰にも止められないことだなとつくづく思います。その気持ち自体はしょうがない事だとわたしは思うのですが、大切なのはいかに双方に誠実でいられるかかなと思ったりします。「傷つけたくない静かに離れたい」それが叶うならそれも一つの方法かなあと思ったりするのですが、なかなかその願いが叶わない状況なのかな。

そうした中でずるずると時間が過ぎてしまって、彼から振られる不安があることに対する反射で放ってしまった「絶対にそんなことはない」という言葉に自分の首を絞められているような状態、とても苦しいだろうと思います。なぜあなたはその言葉を反射的に言ってしまったのだろうと考えると、彼を傷つけたくない思いとその裏側には、自分が嫌われたくない、傷つきたくない思い(好かれる人になろうとしてしまう)があったりするのかなと思いました(他にも色々な背景があるかも知れません、)。

罵倒されたらいっそのこと楽なのに、嫌われることも選べないそんな苦しさの身に覚えが私もあります。そんな中、出会った考え方がありました。相手に自分の意見を伝えることは自己中で、自分の意見を言わないことが優しさだとどこかで勝手に思っていたのですが、実は「自分の意見を言わないこと」も自己中心的なんだそうです。先ほどの話しでも「嫌われたくない、傷つきたくない」とありましたが、実は相手に合わせているようで、見つめているのは自分という考え方に、目から鱗が落ちる思いでした。

自分も相手も尊重しながら、自分の意見や気持ちを率直かつ誠実に伝えること、それをアサーティブコミュニケーションと呼ぶそうです(もしよければインターネットなどで調べてみて欲しいなと思います)。実は自分の意見や気持ちを誠実に伝えるには、相手のためにもなる優しさであったりするんだとその考え方に出会った日から、伝え方を試行錯誤しながら相手を尊重しながら、自分の意見や気持ちを話す練習をしています。(うまくいかなくて傷つけてしまうことも、傷つくこともあります。)

幼少期の経験から、あなたは自分の気持ちを抑える練習をずっとされてきたのではないかなと思います。その中で好きな人を利用したり、思わせぶりな態度をとることは、あなた自身を助け、サバイブするための処世術のようにも思えました。突然、自分の気持ちを正直に話せるようになることは難しくても、少しずつ練習して一緒に取り戻したいなという気持ちでいます。

自分の正直な気持ちや意見を受け止めてもらうこと、一緒に解決策を考えること、それは総合的な安心感につながる気がします。もちろん相手がいる場合はお互い様なのですが、そんな風に向き合える関係性の中に、積み重なっていく愛情と、未来に対する安心感、あたたかさを感じるのかもしれないなと思いました。

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