経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
伝えたいことを言語化するのが難しい。
特に文字や文章で伝えるとき。
相手に意図が伝わらず、何度も説明したり伝え方変えたりしてみても、誤解されたり、聞き返されてレスが増えることが多い。
多分理由は複数あるけど、
私がしくじってるんだろうなって思う。
細かいことだと第三者に相談もできない。
伝わらない、受け取ってもらえない虚しさに、時々胸が締め付けられるような思いになる。
そして、受け取ってもらえないまま別の話を振られたら、自分の話はもうできないなって思う。
伝え直すための頑張る気力もない。
うまくやりとりができないなら、私は存在する意味あるのかなって思う。
飛躍した考えなのかもしれないけど、自己価値が見出せてないからこうした思考になりがち。
過去のマイナス感情が蘇ることもあって、そうなると気持ちの維持が難しい。
こうなりたいわけじゃないのにな…。
感想2
言葉にすることが私自身も得意ではないなぁと思いながら、こうして「伝わらないこと」について書かれている投稿者さんの気持ちや言葉はとてもわかりやすく綴られているように感じるのにはどんな違いがあるからなんだろうと考えながら読ませていただきました。
人が言語を介したコミュニケーションをとる生き物である以上、感じていることや考えていることが自分以外の誰かに上手く伝わらないことには相応の辛さがあるように思います。それは、投稿者さんのように自分で苦手としていることを自覚していて様々な工夫を以て伝えようとしていればいるほど、生じるコミュニケーションのエラーやギャップに疲れてしまいそうですし、度重なるシチュエーションに虚しさを抱くのも自然なことのように思えました。
個人的には「世の中で求められるコミュニケーション」がどこか効率的かつ、合理的にどうしても偏っている部分があり、誰かとのやり取りの中で言葉や自分の意識にじっくり向き合い、それを丁寧に自分の中に通して気持ちや思いを紡いでいくことがどこか「遠回りで時間のかかるもの」として蔑ろにされているからのように私には感じられます。
それで言うと、投稿者さんは自分の中で感じた気持ちや考えの揺れ動きをちゃんと相手に伝えようとしているけど、どうしても即応的で端的な反応を求められてしまうが故に中々相手に汲み取ってもらえなかったり、意図や真意が伝わらないこともあるのかなと想像しました。
一つ読ませていただいて印象的だったのが、「上手く伝わらない」ことに対して投稿者さん自身は「自分がしくじっている」「自己価値が見出せてないからこうした思考になりがち」と自分の中では感じられていることでした。人が誰かとコミュニケーションをとるときや何かを伝える時には、言語化の力や慣れ、緊張などなど様々なものが影響するように思えます。ただ、過去の体験や気持ちがもたらすものも大きいと思えるので、(ここでは語られていませんでしたが)過去のマイナスな感情が癒されたら今よりもう少し伝えることが投稿者さんの中で楽になることもあるのかなと思いました。
感想1
伝わらない悔しさ、悲しさ、疲れ…伝わらないことによるいろんな感情が浮かびながら読んでいました。コミュニケーションは二人以上の人がいて、伝える側と受け取る側がいて、伝えることが苦手な人もいれば、受け取ることが苦手な人もいると思っています。そして、考え方や文化の違いが壁になる時も実は多いような気がしているのです。しかし、なんとなくこの社会(というと主語が大きいのかもしれませんが)には、伝わらない時に「伝える側に問題がある」と思われてしまう気もしていて、そうしたこともあなたを苦しめているように私には思えました。
あなたの言いたいことが私にちゃんと伝わったのか、それは自信がないけれど(自信が無いのは私が勝手に伝わった気になりたくないからです)それでも、あなたが伝えようとしていること、伝えたいことはどんなことなんだろうと考えながら感想を書かせてもらいました。