ずっとずっと4年間辛い思いに耐えてきた。表では普通のふりして、何でもないように、明るい人のように振舞ってきた。でももう限界。この前、精神科の予約をとった。全て話すつもりだけど、医者に「あなたは病気でもなんでもない。ただの打たれ弱い怠け者の健常者」だって言われるのが怖い。もし、私が病気じゃなかったらどうしよう。この辛さの理由がないじゃないか。でも、行かないと薬は貰えない。辛さは和らがない。
私よりももっと辛い環境で、苦しい思いをしている人がいる、なのに私は?ただ鬱がりたいだけじゃないか?病んでる自分が可愛いだけじゃないか?ただサボる免罪符が欲しいだけじゃないか?こんなことを考えてしまう自分も嫌いだ。さっさと死にたい。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
病院に行くのが怖い
感想2
たくさんの辛さが積もり積もっているのに、それが本当に「辛い」と言っていいかすら自信がなくなってしまうような状況を想像しました。精神科の予約をとるのも勇気のいることだっただろうと思います。この投稿から数週間が経って、その後どんなふうに過ごしているのでしょうか。
私は苦しさに病名も理由もなくても苦しさが「サボり」なんて勝手な評価をされず、すべて認められたらいいのにって思います。感覚や感情はその人のベースとなるものだからこそ、他の人に否定される理由なんてまったくないと思うからです。
でも、きっとあなたはこれまで否定されたり、軽んじられたり、あるいは周りで「その程度のことで」みたいに言われるのをたくさん見聞きしてきたりしたからこそ、自分でも「辛い」を信じるのが難しくなっているのかなと思いました。私自身も「このくらいの辛さで」って思って自分の気持ちを否定したくなることがあるのでむずかしいなぁと考えていました。
診断のことは医師でない私にはわからないけれど、あなたが辛かったことや現在辛いということは他のだれにも否定する権利のないことで、それだけは私にも言えることだと思いました。
感想1
あなたが辛い思いをしてきたこと、それを外に出さないように無理をしていたこと、どちらも誰の許可も評価も必要ない事実として、私は受け取りました。同時に、自分が辛い時に、「これは本当の”辛さ”じゃないのかもしれない」って自分の気持ちを疑い続けることもまた、とても苦しいことだろうなと想像しています。
気持ちの苦しさを含めた「調子の悪さ」はすごく主観的なもので、一律に評価したりできるものじゃないからこそ、本来なら比べられたくない、相手の物差しではなくこちらが伝えたとおりに伝わってほしいものだと感じます。ただ、世の中ではわかりやすい理由や客観的な評価が無いと休めなかったり、「本人の問題」だと一蹴されてしまう風潮が根強いなと思います。病院という頼れるはずの場所さえも、そうした世の中の評価を含めて診られてしまうのではと思うと、ものすごく怖くなってしまいますよね…。医師に限らずとも、あなたをあなた個人としてきちんと見ようとする人に出会ってほしいと、勝手ながらに感じました。