経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
小さい頃から不器用で気が弱い性格でした。
よく失敗したり、不意に不快にさせてしまう事もあったので
人に怒られたり責められる事が多かったです。
故に自尊心が死んでいます。
身に覚えのない事で怒られたりしても、「もしかしたら自分がまた何かしたかもしれない」と思い
何も言い返せません。
そんな自分なので周りからの信頼も皆無に等しいです。
自分は常に「何かしらやらかす人」というレッテルが貼られて
他の人と比べて自分への態度が冷たかったりそっけなかったり見下されているようでも
「仕方ない」としか思えません。
そんな自分が大嫌いで早く死なないかなと日々願っております。
事故でも病気でもなんでもいいんです。
死んだらまぁいいやくらいにしか思ってません。
同情が欲しくてこんなこと主張しません。
本当に自分には価値がないと思っています。
逆に相手が何か失敗したとしても、常に失敗して迷惑かけている自分が
人のミスを指摘するなんて身の程知らずにも程があります。
そんなことしたら「お前に言われたくない」と思うでしょう。
実際に言われました。
そうやってこれからも弱い自分のままで生きていくと思います。
変わりたいと思った事もありますが、結局変われません。
毎日何かしら否定ばかりされますが、それは否定される事しかしていないのでしょう。
褒められる所もないでしょう。
そうなれば生きていく価値ってないと思います。
しんどいですが自業自得です。
思ったことを考え無しにつらつら書きましたが
以上になります。
感想1
周りから向けられるたくさんの言葉や態度にこれまで何度も傷つけられてきたこと、そしてそれらに対して怒りや拒絶ではなく強い自責となって自身に向けられていること、そんな、常に何かに矛先を向けられているような苦しさを読ませていただいて想像していました。
投稿者さん自身は自分のことを「不器用で気が弱い」と思っていて、(そしてそれらの気質も相まってなのか)「よく失敗したり、不意に不快にさせてしまう事があった」とも書かれていましたが、私にはそれらのせいで投稿者さんだけが傷つけらなければならなかったことには疑問が浮かんでしまいます。
不器用だったがゆえに、気が弱いがゆえに、もしかしたら少なからず人間関係や人との営みに摩擦を起こしていた部分ももしかしたらあったのかもしれません。ですが、だからといって怒られる、責められる、ひいては「何かしらやらかす人」というレッテルを周囲から勝手に貼られてそういった眼差しを向けられていいことにはならない気がしますし、人間関係が自分を含む他のさまざまな人との相互的なものである以上、「周囲」や「環境」やもっと言えば「世の中」が間違っている場合もあるように思えて私はなりません。
そして小さい頃からのそういったことの連続や今もなお「毎日何かしら否定ばかりされる」日々が「不器用」や「気が弱い」という投稿者さんの気質とは関係なく、強い自責や自己否定、今に繋がる死にたい気持ちを形作っている部分もあるのかなと私には思えました。
ただ、経験したことや今も続く否定の日々に対して、投稿者さんが自分自身のことを把握していたり、「変わりたいと思った事もある」と書かれているように自身の中で何かしらの変化を起こそうとしていたことは、起こった出来事や現状を自分の中で蔑ろにせずに、つらくとも投稿者さんが内省を試みてきたことに他ならないように感じた私がいます。
自分に変化をもたらすことは時間も労力も必要なことなのかもしれません。ですが、すぐには何かを変えられなくても、ときにはこうして吐き出しながらでも投稿者さんの中で自他との付き合い方や向き合い方が見つかっていってほしいなと思いました。
投稿ありがとうございました。
感想1
周りから向けられるたくさんの言葉や態度にこれまで何度も傷つけられてきたこと、そしてそれらに対して怒りや拒絶ではなく強い自責となって自身に向けられていること、そんな、常に何かに矛先を向けられているような苦しさを読ませていただいて想像していました。
投稿者さん自身は自分のことを「不器用で気が弱い」と思っていて、(そしてそれらの気質も相まってなのか)「よく失敗したり、不意に不快にさせてしまう事があった」とも書かれていましたが、私にはそれらのせいで投稿者さんだけが傷つけらなければならなかったことには疑問が浮かんでしまいます。
不器用だったがゆえに、気が弱いがゆえに、もしかしたら少なからず人間関係や人との営みに摩擦を起こしていた部分ももしかしたらあったのかもしれません。ですが、だからといって怒られる、責められる、ひいては「何かしらやらかす人」というレッテルを周囲から勝手に貼られてそういった眼差しを向けられていいことにはならない気がしますし、人間関係が自分を含む他のさまざまな人との相互的なものである以上、「周囲」や「環境」やもっと言えば「世の中」が間違っている場合もあるように思えて私はなりません。
そして小さい頃からのそういったことの連続や今もなお「毎日何かしら否定ばかりされる」日々が「不器用」や「気が弱い」という投稿者さんの気質とは関係なく、強い自責や自己否定、今に繋がる死にたい気持ちを形作っている部分もあるのかなと私には思えました。
ただ、経験したことや今も続く否定の日々に対して、投稿者さんが自分自身のことを把握していたり、「変わりたいと思った事もある」と書かれているように自身の中で何かしらの変化を起こそうとしていたことは、起こった出来事や現状を自分の中で蔑ろにせずに、つらくとも投稿者さんが内省を試みてきたことに他ならないように感じた私がいます。
自分に変化をもたらすことは時間も労力も必要なことなのかもしれません。ですが、すぐには何かを変えられなくても、ときにはこうして吐き出しながらでも投稿者さんの中で自他との付き合い方や向き合い方が見つかっていってほしいなと思いました。
投稿ありがとうございました。