経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

野外のしごと、しょくばのシスジェンダー女性

野外での仕事が多い仕事で、泊まりもある、土曜日も動く、その間に内業を進めないといけない、指示を待つのでは駄目、指示する時も内容を分かってからじゃないとだめ、それはそうだと分かるしそれがありがたかったけど、自分がやる側になるとなると途端に難しくて、どうしようもない。体力は比較的ない。そのつらさは、女の先輩たちともちがう。長く働きたい、子どもは要らない、そういう覚悟があるのに、周りから普通の女の子だと思われる時のやるせなさ、山でもどこでも男性といっしょに泊まれる男の一員として見られるときの言葉にならない怒り、どんなに頑張りますといっても一人前の人間として認められなかった一年目に比べると人権意識のある部署だけど、求められることと自分のギャップに落ち込んでいるのは三年経っても変わらない。

信頼は砂のようにに積み重なるものでそれがあるから………言われる言葉に重みがあるのかもしれない
でもまだ死にたいな!

鉄の蝶にはなれないけど、ガラスを破れる気もしないけど、賛美されたり期待されたり疎まれたりするけど、そういう言葉なしで積み重なってる周りからの信頼とこちらからの信頼も確かにある。

でもしんどい!
わたしの感受性のせいで。
助けて欲しいし仲間が欲しいが、私が私の困りごとを言語化して手伝ってもらえるように手配しなきゃならないのが仕事だけど、思いやりと言うなの遠慮あるいは現実逃避により、仕事がしたくなくなっています。
仲間が欲しいなぁ
でも女性の後輩のことは、あんまり、複雑な気持ちで、私のしにたさがむくわれないなという気持ちで見ているし、彼女らが業務中に先輩からの指導のもとでわたしの同期から身体を触られているのを見ても何も言えなかった。私も共犯になってしまった。助けられなかったな。

仲間が欲しいと言っときながらアクティブに離れない私は、なんなんだな、疲れた。

感想1

仕事そのものに対する悩みと、自分自身のジェンダーと職場環境とのバランスに対するもどかしさ、そのどちらもが率直に表現されていると感じました。仕事が3年目になり、少しずつ仕事が見えてきた反面、経験や信頼、ある種の”慣れ”のようなものではどうにも解消されないものも浮き彫りになってきたタイミングなのかなと想像しました。仕事に対してきちんと向き合おう、積み重ねていこうという思いがあれば尚更、自分の意思と無関係なところかつ他者から勝手に見られる要素で何かが変わるのはまず納得がいかないと思いますし、簡単にフラットにできるものでもないように思います。

(私自身の体感としてズレがなく、今回はタイトルにもそう書かれていたので「女性」という主語を使って書きます)
投稿者さんは、女性であること自体には違和感を持っていないけれど、「周囲から女性として扱われること」、その塩梅については色々と感じる部分が多いのかなとイメージしています。社会では「男女差別をなくそう」と言ったりして、たしかに不当に低く見られたり権利が無かったりすることは「差別」だと思いますが、それでもやっぱり「違う」部分、「違うからこそ気になる」部分もあると思います。勝手なイメージですが、投稿者さんが職場で受けてきた扱いへのもやもや感は、その「差別」と「区別」の間を反復横跳びするような、絶妙にズレたものだったのかなあと感じました。同時に、そのもやもや感によって投稿者さん自身が苦しんできたこと、それをどうにか耐えたりやり過ごしたりしてきた今までがあるからこそ、後輩女性に対して複雑な感情を抱くのも自然なことのように思えました。自分がされて嫌だったことや受けてきた理不尽は、一聴すると「見過ごせない」「抵抗すべき」ものと捉えられがちな気がしますが、私は、自分が受けざるを得なかった(そのときに救われなかった)ものほど、他者に向きがちだったり、抵抗することが難しかったりするのではないかな…と考えることが多いです。
全体的に自己矛盾との闘いが表れた文章のように読ませてもらいましたが、見方を変えれば、矛盾していない・まっとうな心の働きとも言えるのかもと、そんなふうに感じました。

感想2

新卒1年目の時と三年経った今、職場に対しても社会に対しても、見え方は変わっていったのではないのでしょうか。社会人として働くうえでのしんどさ、そして女性として働くうえでのしんどさ、どちらも複雑に絡み合っているのかなと思いました。(だからこそ後輩に対しての目線が生まれるのかなとも感じています。)
入社して数年経ち、教えられる側から指示される側へ、任される業務も増え、行き詰まる場面も回数も変化したのではと想像しています。私は人を頼るのがあまり得意ではないので、「思いやりと言うなの遠慮あるいは現実逃避」の部分になんとなく共感を寄せています(解釈が違っていたらすみません)。また個人としての体力、情報処理能力、得手不得手なども勿論ありながら、これまでの社会が男性ベースで制度設計されてきていますから、女性の身体構造上適応できないところ、女性が不利になってしまっているところは存在しています。社会側の意識も令和になって随分と変わったのではないかと思いつつ、それでも未だ、長く働きたいと思っているのに、どうせ妊娠してキャリア中断させるんでしょう?といったバイアスが残っていたり、かといって男性と同じ扱いにはできないところもあるのに、その変化の中で必要な区別さえ取り払われそうなものもあったり…何かと不安定な状態で日々働いているのではないかと思いました。
そうした色々な面から不安を抱きやすい条件下、ハラスメントを目の当たりにしたとて、異議を唱えたり、素直に心に従って助けることも難しいと思います。私がその場を目撃してしまったとしても、状況の悪化や復讐に怯えて、止めるどころか誰かに相談することも戸惑ってしまうというのが正直なところです。しかし、罪悪感や後悔はしっかりと抱いてしまうだろうし、想像してとてももどかしくなってしまいました。
しんどい時、疲れているときこそ仲間が欲しいけれど、そのためにアクティブになれるエネルギーや勇気はとっくに切れているんだよな、なんて思いました。

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