経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
仕事ができなくて死にたい。
本当はやるべきことがたくさんある。リモートワークなのを言い訳にさぼってばかり、自分の中の当たり前のハードルがだんだん下がっている。お客さんや同僚から見放されているような気がする。いつまでにやります、と自分で期限を切ったことについて2割程度しか達成できていないんじゃないか。
能力・年齢のわりには責任があるポジションについていると思う。これはいろんな幸運が重なった結果、たまたま得られたものだ。たぶん、他の人だったらもっとがむしゃらに頑張れていたんだろうなと思う。本当はやらないといけないはずなのに、気が付くとスマホを触ったり、布団から起き上がれなかったりしている。そんな自分が本当に情けない。やりたくてもできない人がいるポジションなのに、こんな体たらくでいいんだろうか。
感想2
在宅やリモート、ノマドワークなどの働き方が徐々に浸透してきている今の世の中で、私自身リモートワークで働いているので、その向き・不向きや難しいと感じている部分を重ねながら読ませていただきました。
一見すると働き方の一つの理想として語られがちなリモートワークですが、就労における自身のコントロールやスケジューリング、日常生活の延長線上に仕事が成り立ってしまうために感覚としてもモチベーションとしても切り分けが難しくなるなど、決して「ただ自分にとって負担なく働ける」というわけではない問題が私自身の体感としてもあるように思います。
それで言うと、投稿者さんがやるべきことがたくさんある中でリモートワークなのをいいことにサボってしまうというのは、自分の空間・時間で作業に従事することが許されているが故に自身のモチベーションやこなすべきタスクを処理することが難しくなっている向き・不向きが出ている部分もあるのかなと個人的には思いました。
ただ、一つ文章全体から私が感じたのは、単純なリモートワークに対する投稿者さんの適性とは別に、お客さんや同僚からの眼差し、今の投稿者さんの仕事におけるポジション、布団から起き上がれないなどのことは、仕事で感じるプレッシャーがもたらしていることでもあるのかなということでした。
もしそうだとするなら、環境(リモートワーク)によって投稿者さんが体たらくになってしまっているということとは違うように私には思えますし、働き方も含めて今の自分の仕事の形や仕事そのものに対して、ゆっくりと考えて整理する時間があってもいいのかなと勝手ながらに思いました。投稿ありがとうございました。
感想1
「当たり前のハードルがだんだん下がっている」ということの描写がなんだかリアルだなと感じます。私もなにかをしている際、「これくらいは許される…はず、大丈夫大丈夫」と自分に言い聞かせ、自分で判断して手を抜くことがあります。当たり前のハードルが下がるというあなたの感覚に、勝手に共鳴させてもらったように思います。それに、あなたの感覚を理解できる人も少なくないのではないかと、これも勝手に思ったりしました。
だけどあなたの場合は、責任が重圧となっているという背景があります。あなたとしては、責任疲れなどによってハードルを下げたくなる、だけど責任ある立ち位置として、ハードルを上げなくちゃという思いもあるのかなと想像します。「責任」によって相反する思いを抱えている現状が、あなたのつらさとなり、時に自責感にもつながっているのかなぁと私は思いました。