経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

何も人並みに出来ない私の存在価値

人間関係の下手さや何事も人並みに上手く出来ない自分が嫌になり死にたい、と思ってしまいます。
しかし、死ぬ勇気もなく【失敗したら職場の人にどう説明しよう】というプライドに塗れ実行できません。

【私自身について】
現在26歳。数ヶ月前に結婚
元々実家暮らし、結婚に伴い旦那の地元である他県(実家から電車で4時間半程の距離)に1年ほど前に引っ越した
3年勤めた会社から転職し約1年現在の会社で勤務
ADHDの傾向が幼少期からあるが診断に行ったこと自体がない
幼稚園年中頃から漠然と死にたいという気持ちがあった

【職場環境】
前職は良い方々に恵まれ同期と呑みに行ったり、部署のメンバー(全員年上の子持ち主婦)と仲良くやっていた
現職は中途採用の為同期もおらず、部署のメンバーも地元育ちの為か価値観や話が合わず上手く馴染めていない気がしている(観光地から、近所の人のお葬式には出る・新聞に亡くなった方の名前が載る位の田舎に越した為文化や一般常識の違いが多々あります)

元々人付き合いが苦手でしたが、地元にいた頃は友人達と遊びに行くことや両親と出掛ける事が多々あり充実した人生を送っていると感じていました。
しかし、引越しを機に友人や家族と疎遠になり職場と自宅を往復し旦那以外とはほぼ会話をしない生活を送っています。その事に大きな不満は無いが旦那以外何も無い自分の人生や、旦那にも下手だよね等否定される自分のコミュニケーションや人としてのスキルの不足を職場や義実家との関わりでより痛感し時々どうしようもなく死にたい、と感じます。
しかし前述した通り実行する勇気や度胸もなく毎日生き甲斐も無く生きています。
正直自分が死にたいのか、生きたいのか、今後どうしたいのかが分からなくなっています。

感想1

経験談への投稿ありがとうございます。住まいも職場も一変に変わり、それだけでいっぱいいっぱいになるのが必然のような状況だと思います。それなりに安定していた生活が一変、あなたの苦手が一気に押し寄せてきて溺れてしまいそうな、そんなイメージを持っています。

ADHDの傾向があると書いてくださいましたが、もしかしたら周囲と比べて、つまづくことが多かったのかなと想像しています。何かと叱られることもあったりしたのでしょうか。そうしたことが積み重なってなのか、文章のどこを切り取っても「うまくやらなければ」という思いを強く感じました。

上手くやろうと人一倍思っているからこそ、上手くできない自分をずっと否定してこられたのかもしれません。自分自身を否定することは子供にとっても、大人にとっても、とても辛いことだと思います。もし身近な人が否定ばかりしてくる人だったらとても辛いことのように、自分にとって一番身近なのは自分自身だからです。

「人一倍上手くやろうと思う」ことは逆に言えば、人一倍何事においても努力されてきたあなたもいるのではないかなと思います。そして挑戦にもなる選択をされたこと、私はその姿勢や努力を認めてあげたいなと感じます。

あなたの置かれている状況を想像すると、いつも以上に張り切ったり、力の入ってしまうシチュエーションだとも思えます。環境が変われば誰でも1年生、上手くいかないことの方が当たり前だとも思います。頑張っている日々のあなたに、優しい言葉をまずはあなたがかけてほしいな(そう自分でなかなか思えないから苦しくもあるのですが)。

またいつでも書きに来てください。

感想2

「人並みにできない」という感覚に共感するところがあり、感想を書かせてもらっています。
私自身はADHDのグレーゾーンとの診断結果を受けたことがあります。昔から漠然と「人よりも色々と工夫・努力しないと出来ないことが多い」と思って生きてきてのことでした。完全に同じではないと思いますが、あなたが感じてきたであろう「なんとなく自分が劣っているように感じる」ような気持ちに、近からずも遠からずなものを抱えているかも、と感じています。

あなたのこれまでの暮らし、そしてここ1年の暮らしの変遷をイメージしました。元々いた環境(あなた自身の地元)においても人付き合いへの苦手意識や死にたいような感覚はあったものの、その”面”にあまり光を当てずに(気にならずに)過ごせていたのかなと想像しました。今は、場所や仕事が変わったその”馴染みの無さ”の中で、「自分と周りとの空気(質感)の違い」みたいなものをより顕著に感じるタイミングでもあり、同時に苦手な”面”により光が当たりやすい環境(シチュエーション)が多いのかなと思いました。

私自身、どう頑張ってもできないこと・やろうとすると苦痛なことが多々あるのですが、それらが気になる環境(シチュエーション)とそうでないときには結構差があり、ここ数年は「その差を生んでいるものは何か?」をよく考えます。自分の「出来なさ」を「出来る」にするのは中々難しいけど、あまり目を向けずに(気にならずに)暮らせるならそういう環境を選びたいな…という気持ちからです。「すぐに環境を変えましょう!」などと安易に振りかざしたいわけではないのですが、過ごす環境によって、そのときに関わる相手によって、自己像も「できない」のものさしもかなり変化するのではないかな…と、そんなことを考えました。

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