経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

許すとか許さないとか許したくないとか

私は昔から怖いことやイラついた事とか嫌な事が忘れられない性格で一度嫌なことが起きるとその人がどれだけ良いことをしても絶対に信じられない
親とかは今は何となく柔らかな態度だとしても昔の理不尽な態度や、姉の理不尽な嫉妬に意味がわからない日々や弟の自由さ
確かに私にも悪いところはあるのだからすべてがすべて相手の理由ではないけどそういうのは大体相手は覚えてない
今の職場は私のそういう所があってない気がする
人には前提として悪い人はおらず、明るく前向きになれば正しい仕事が出来るっていう感じ
大雑把にいうと時がたって例え昔、くそみたいな態度をとってたとしても時間がたち柔らかになれば許されるみたいな…
私のその昔に取り残された感情はどうすればいい
前を向きたいけど過去の記憶が許すなと言うようにその時の記憶をおこし許せなくなる
やな性格だなぁ…

感想1

他者に対する感情の変化について、私自身よく考えることがあるので、自分を例にしながら考えたことを書かせてもらっています。私も相手に1つでも「うわっ」と思うことをされると結構ちゃんと気にするタイプで、その人と距離を取りたくなります。一方、やむを得ず関わらなければいけない場面があったときに、私の中の「(ネガティブな)その人像」をいい意味で裏切るような対応や反応をされて「こういう一面もあるんだな」と思い、許せるとは違うのですが、私の中で相手への警戒心が少し緩む場合もあります。
こう考えたときに、私はもしかすると他者に対して「ここだけは外せないポイント」みたいなものを持っていて、そこを逸脱されない限りは、その後の感情に変化の余地が残るのかも?と推測しました。私が持っているポイントをあえて言語化するなら「想像力」や「誠実であろうとする姿勢」だと思っています。

投稿者さんの中にも「人として外せないポイント」がある、あるいは「自分に対して嫌なことをした人は嫌な人」という認識のような、何らかの”対人関係における前提”が存在しているのではないかと想像しました。その幅や量によっては許せないことが多くなっていくのかもしれません。私の好きな考え方に「性格は反応の”癖”」というものがあります。自分の癖がどうしてその形をしているのか振り返ってみることが、少しあなたのモヤモヤを和らげたりするだろうか…と勝手ながら感じました。投稿ありがとうございました。

感想2

自分の中で湧いた確かな気持ちと、それをどう取り扱ったらいいのかという投稿者さんの葛藤のようなものを読ませていただいて想像していました。

私自身は(当然といえば当然ですが)投稿者さんとはまた違うスタンスではあるのですが、若かった頃や何だったら30手前ぐらいまでは投稿者さんと同じように(何だったらそれよりも)人から感じた感情やその記憶について、「絶対に忘れない」や「許さない」と強く思うことが多かったように思います。

今でこそそこまでの感情やエネルギーの強さは持たなくなりましたが、自分が感じた感情に対して強く心に留めるということは本来なんら間違いではない気がしますし、むしろ様々な感情を抱きながら生きていく上では、本来そちらのほうが自然であるいえるように私には思えます。(私の話ですみません。。。)

それで言うと、投稿者さんがこれまでも、今も、受けてきた理不尽に対して「許す」や「許さない」を決めるのは投稿者さん自身であっていいはずですし、「時間が経ったから許すのがいいのか」と考える(考えさせられる)のは、相手にとっての都合のいい言い分でしかなく、少なくとも被った側が無理に強いられるものではないはずと思わず言いたくなった私がいます。

「許す」ということにもそれ相応の痛みや苦しみが伴いますし、「許すことによって過去の自分の気持ちを否定してしまう」苦しみもあると思います。逆に「許せるようになる」ことで自分が楽に、寛容に、そしてそれまでの気持ちが解消されることもあるのかもしれません。ただ、どちらにしてもそれは自分の気持ちを大切にしながら様々な変化の先に出来る幅なのかなと私個人としては思うので、今はそうはできなくてもいずれそんな余裕を持てるようになったらいいなと思っておくぐらいでもいいのかなと思いました。

投稿ありがとうございました。

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