周りからは良いママだと思われてるけど、完全に親向いてなかった。
妊娠中、子供が産まれたら一緒に買い物したいな、ママ友とランチ行きたいな、家族旅行行きたいなって考えてたけどとんでもない。発達グレーの男の子。第一子でもさすがにわかる異常さ。12時間一睡もせず怒り泣き続ける。外に出たら常に歩いてないとギャン泣き大暴れだから一切立ち止まることなく座れもせず歩き続けるしかない。スーパーで買い物さえできない。もちろんショッピングモールも、ファミレスも行けるわけない。
一度だけママ友とランチ行った時は、相手がデザートまで食べ終わってるのに私はまだご飯一口しか食べられず。まず椅子に座れないし子供の怒鳴り声で何も聞こえなくてお話なんてできるはずがない。それ以降ママ友を作ることはやめた。
家でも子供の怒鳴り声に負けないように怒鳴り返す日々。夫と会話する時も常にお互い大声。じゃないと聞こえないから。
そんな日常が私たちの当たり前になってしまって、子供が3歳、下の子1歳になった今、家庭はだいぶ落ち着いてきたのにちょっとしたことで怒鳴ってしまう。親として怒鳴ってはいけない、感情を抑えて優しく叱らないといけない。出産前は当たり前だったその価値観は今は存在しない。夫は穏やかでよくできた人なのに、そんな夫も子供に対してだけは怒鳴っている。
息抜きしたくてたまに有休を取ってもほぼ毎回子供の体調不良で潰される。明日の有休ここに行きたいな、あの店で服を買いたいな。いつも当日の朝に全ての予定がなくなる。
おかげで今は行きたい場所、欲しいもの、やりたいもの何もなくなった。
子供を産むとできなくなること、今のうちにやっときなよ〜ってみんな言うけど、夜飲んだり、友達と旅行に行ったり、そんなことだと思ってた。
まさか好きなテレビ見たりとか、友達と電話するとか、一日三回ごはんを食べるとか、そんな日常生活の当たり前を諦めなきゃいけないなんて誰も教えてくれなかった。
子供を産む=希望や人生を諦めて自分の意思と存在をなくすことだったんだね。なるべく期待しないように気をつけないと。今まで何もかも期待しすぎていた。
子供は可愛いけど、自分が空っぽすぎる。ただ毎日仕事と家事育児をするだけの人。ただの歯車。ロボットでも良さそう。怒鳴る親だし、他の人でも特に問題なさそう。自分のやりたいことや希望を持った途端全て潰される人生。子供が大きくなったら楽になるなんて言われるけど信じられない。私が自分のために使える人生はもう終わったんだと思う。
みんな子供の人生や成長を楽しみに生きてるんだろうな。私ももちろん楽しみではあるけど、別に夫がいれば子供たちはすくすく育っていける。今後私が生きていく意味はあるんだろうか。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
親向いてなかった。
感想2
全体を通して、感情も出来事も、淡々と表現されているように感じられたのが印象的でした。諦めや疲れからそういった雰囲気になっているのか、あえて感情を抑えて書かれたのかわかりませんが、「親とはそういうものなんだ」と割り切ろうとすることで、あなたがあなたのメンタルを保ち、日常や子育てに対する疑問を抱かないようにしている節もあるのでしょうか。「なるべく期待しないように」という制御がいつしか、子どもや環境に対してのみならず、現状やあなた自身に対しても向かっているのかもしれないと感じました。
思考の冷静さの反面、「本当はこうしたい(したくない)」というあなたが心の中には居て、けれどそれを優先させようとすると「親だから」という役割や価値観が追いかけてくる…そんな繰り返しで疲れ果ててしまって、「自分がそもそも向いていない」という結論に至ったのかなと推測しました。息抜きなどによって自分自身の気持ちや存在を感じる機会(小さな自己実現)が思うように持てないと、なおのこと社会的な役割に終始していくジレンマがあると思います。役割の上で「親として」と自分を制し続けることもしんどいような気がしますが、それだけでなく、「親として」という自意識が結果的に子どもと「自分」との境目をはっきりさせ、子どもが「自分の外側の(思うようにコミュニケートできない)存在」になることで、より一層「自分のしたいことを妨げる存在」という認識になっているようにイメージしました。(それが良い・悪いということではなく)あなたの中で子どもに対する心や関係性の距離が思うように深まらないことが、今の感情を加速させているように想像しました。
私は親の立場を経験していない(今のところは今後も経験しようと思っていない)のですが、だからこそ「親に向いている人」っているのだろうか…と時々考えます。親というとても難しいバランス感覚を求められる役割を、何もなしに能力だけで乗りこなせる人なんているんだろうか?と。個人的には「親が親らしく居られる環境」と「親が親という役割を離れて過ごせる環境」がどちらもあってようやく成り立つのではないかなと考えています。それはつまり「親子だけで完結しない」ということなのだと思いますが、今の社会はそうはなっておらず、その場にあるものだけで何とかするべきという価値観が強いように感じます。そうした価値観に「どうして?」を率直に投げかけるためのヒントになるような言葉がたくさん詰まった経験談だと思いました。よければまた、声を届けてほしいです。
感想1
思い描いていた子育ての日々とはまったく違った日常が押し寄せて押しつぶされそうな(すでにかなり押しつぶされているところもあるとも思えました)様子が痛いほど伝わってきました。私自身も障がいのある子どもを複数育てた経験があり、また、周囲に育てにくい子どもの子育てをしている仲間もいたため、子どもの存在によって自分の自由のすべてを持っていかれてしまう日々のしんどさも、当初の想定と直面した現実の子育てのギャップと折り合いをつけられない苦しさも、自分の経験と重ね合わせて想像をしています。あなたは「ただの歯車。ロボットでもよさそう」と書いていましたが、本当にその通りで、私は初めての子育ての時に「親とは子どもの奴隷か召使なのでは?」と感じました。
そして、苦しさを深める要素としてこの状況を誰のせいにもできないことなのかもしれないと思っています。物理的には子どもの存在や行動が自分を苦しめているのですが、子どもが悪いわけではないので、責めたり愚痴を言ったりできるわけでもないですし、世話をするのが大変なことを分かっているからこそ、簡単に誰かに預けたり、任せたりすることへの抵抗感もあるかもしれません。ひょっとしたら、ちょっとした日常の変化(例えば誰かに預けるとか、どこかに出かけることなど)があることで、子どもが不安定になったり、より落ち着かなくなることがあったりするのなら、誰かの手を借りることや気晴らしをすることも、結局は自分の負担としてかえってきてしまうこともあるのなら、無になって自分で何とかする方がまだましだと思ってしまうかもしれないと思います。(実際に自分がそう思うことがよくありました)理屈として、子育てを誰かに手伝ってもらって少しでもリフレッシュすることが大切だというのはわかっていても、そう簡単にはいかないのが育てづらさがある子育てのさらに苦しいところでもあり、理解されにくいところなのだろうと思います。
たくさんの苦しい吐露の中でも、あなたが「子どもは可愛い」と明確に書いていることに目が留まりました。本音で可愛い存在であるからこそ、疲労感や絶望感のようなものが行き場をなくしてあなたが抱え込むしかなく、自分を責める気持ちでいっぱいになっているように思いました。私はあなたがとても真摯に子育てに向き合っているように思いましたし、だからこその苦しみだと感じています。おそらく成長とともに子どもは落ち着いてくるだろうと思います。今の苦労が過去の苦労になることがある方が多いとは思いますが、必ずしもそうとは言い切れません。成長とともに大変になることもあります。もしも、自分ではどうしても手に負えないと思ったときに一定期間預けることや一時的に誰かに委ねることも必要になる時はあると私は思っています(子どもは親だけで育てるのではなく、社会全体で育てるものだと私は認識しているので、これはどんな子育てでも言えることだと思います)。苦しい際には抱え込まずにどうか誰か(誰でもいいと思います)頼ってください。こうして、自分の本音を書いて送ることも頼る行為の一つだと思うので、その力があなたにはあると私は感じています。また、必要な時には書いて送ってください。