経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

死にたい気持ちと寄り添って生きている。

死にたいと言う気持ちと戦い、一回負けて、その後、寄り添って生きています。

私は子供の頃から中学校までいじめられた結果、実家とその周囲が嫌いでした。
高校からは通いでしたが周りの誰も行かない遠くの学校にして逃げることにしました。
自分はおかしな子でしたが、周りにも変な子が多く、わりと楽しく過ごせました。

就職の段階で実家から離れた場所で一人暮らし出来るようになり、人生を満喫できると思っていました。

しかしコミュニケーション、仕事の集中力や精度に問題がありました。
最初は上司先輩方が優しく指導してくれましたが、だんだん渋い顔になり、どんどんお荷物扱いになります。
言われたことができない、迷惑ばかりかけている、このままでは居場所がない、私はなんてダメなんだといった感じで自分を責め心を壊していきました。
そして「死にたい」と考え始めます。
そのまましばらく「死にたい」と戦いながら働きましたが、途中で耐えきれなくなり自殺未遂をしてしまいました。
「死にたい」に負けたのです。

担ぎ込まれた精神病院で躁うつ症、双極性障害と診断されます。
その後仕事には戻れず、嫌いな実家に帰ることになりました。

その後、精神病院に通い、多くのサポートを受け、時間はかかりましたが障害者雇用で再就職できました。

しかし仕事中に過去の色々を思い出して作業できなくなったりするなどうまく行かず、結果的に出勤できなくなり退職することになりました。

多くの方からサポートを受けて、自らも努力して、がんばって働いたけれどうまくいかなかった。
これに関して私は絶望して強く「死にたい」と感じてます。

ここまでいくら治療を受けても「死にたい」と言う気持ちは軽くなることはあっても消えてくれませんでした。

だから途中で私は「死にたい」と寄り添うことにしました。
「死にたい」は常にあるものの、「死なない」もセットで持つようにしました。
そのお陰で自殺せずここまで生きています。

これからの不安や悩みはつきませんし、ずっと「死にたい」は付きまとうでしょう。
でも生きていきたいと思います。

私は病気であり、治療を受けることができました。
障害者手帳をもらい、支援を受けることができました。
サポートしてくれる方々がいました。

だから失敗しても耐えることができています。
これがなかったらまた負けていたと思います。

支援は大切です。
「死にたい」に負ける前に誰かに打ち明け、医療や福祉に頼るのが大切なのだと思います。

私は運良く生き残りましたが、一回負けました。
私は諦めてました。
みんなが私の死を望んでいるとまで考えていました。

あの時、死のうとするのではなく、生きるために逃げておけばこうはならなかったのかなと考えるときがあります。

皆さんが私のような後悔をしなくても済むように願っています。

そしてたとえ私のようなことになっても生き延びることはできるのだと報告します。

悪文失礼しました。
以上です。

感想1

経験談への投稿ありがとうございます。
冒頭の「死にたいと言う気持ちと戦い、一回負けて、その後、寄り添って生きています」の一文が、深く印象に残りました。
それは、あなたが自分自身の身をもって経験したことを、あなた自身の言葉で語ってくれたからなのかもしれません。

住む場所も通う場所も自分で選べないあの頃は、過ぎていく日々をただただ我慢しなければならない時間だったと、自分のことも思い返しながら想像しました。
就職と一人暮らしが決まって、つらい環境から抜け出してようやく自分の人生が始まると心から信じていたからこそ、就職先での苦悩はあなたの心に暗い影を落としたことを感じています。
だんだんと渋くなっていく上司や先輩の顔を見るのは、なかなかにつらいものがあったのではないかと思います。

「死にたい」に抗い、戦いを続ける日々は、いつの間にか心身を消耗していたことを想像しています。
当時のことを「生きるために逃げておけばこうはならなかったのかなと考えるときがあります」と書かれていましたが、とにかく必死な瞬間は他の選択肢が思い浮かばなかったり、「逃げよう」と言われても素直に受け取れないこともあるように思います。
「逃げるは恥だが役に立つ」と某ドラマのタイトルにもありましたが、もうダメだと思った時には身を引いてもいいということを、経験を通じて理解したということでもあるのかなと私は思いました。

嫌いな実家に戻らなければならなかったことや、再スタートを切ったのにも関わらずうまくいかないと感じる状況は、苦しさやもどかしさが再び襲ってきた時間だったのではないかと思います。
途中から「死にたい」と寄り添うことを考えたのは、何か発想のきっかけがあったのでしょうか。
何度も悩み考えた末に、身体に落ちるような感覚だったのかなと想像しました。

私自身は、誰しもが大変な世の中を生きていて、「死にたい」と思ったり考えることはある意味で自然なことなのかもしれないと、ふと思うことがあります。
あなたは「一回負けた」と表現していましたが、多様な表現があるようにも感じています。
「死にたい」をどう語るか、付き合い方も含めて人それぞれにあることを踏まえつつ、こうして言葉を交わすことの大切さをあらためて考えています。
最後の報告は、救われないままの深い孤独を小さく照らしてくれる灯りのように感じました。
あらためて、投稿ありがとうございました。

感想2

自分の死にたい気持ちを「生涯の伴侶」と感じている私には共感しかないタイトルで、興味を抱きながら読み進めました。
内容からは、生き延びた力強さを感じつつ、そんなあなたが一度敗北したという事実に、なんだか現実の過酷さをひしひしと感じてしまいました。私は外からの視点で見るので、あなたが「死にたい」に負けたのではなく、環境が「死にたい」を強大にしてあなたを飲み込んだ、といった構図に思えています。だから、生きることが時にここまで酷なことになってしまう社会に、どうしてこんなことに…と思ってしまいました。

あなたは自分を「おかしな子」とも書いていましたが、読んでいて、自我のはっきりした人を私はイメージしました。今の日本社会では個性(自我)があることがいじめにつながりやすい側面が少なからずあって、本当に残念なことですが、実家とその周囲が嫌いというはっきりした思いをもち逃げを選べる力は、あなたの一つの才能と言っていいようにも私は感じました。
でも、働くとなったときに、求められる集中力、コミュニケーションの力などはあまりに高いというか、とても限定的だと私は思っています。人間はいろんな形や色や性質をもっているのに、「企業の求める人材」といった型になれないこと=ダメ・できない、とされてしまうのは、どうしても納得できない部分が私はあります。

「あの時、死のうとするのではなく、生きるために逃げておけばこうはならなかったのかなと考えるときがあります」という一文が私は印象的でした。
あの時、逃げておけば・・・が私の人生にも当てはまる気がして、妙に心に刺さったのかもしれません。自分の嫌だや無理だという気持ちに従って、逃げるのは生きるために大切なはずなのに、どうしてあの日の私にとってそれが簡単じゃなかったのだろう?なぜ私は私であることを一度手放してしまったのだろう?そんな問いが浮かんできました。そして、それは逃げる=できない人間であるなら生きていく価値がないと思ったからな気がして、だとしたら私もあの頃は社会に負けてしまったのだと思いました。

「死にたい」は、自分らしく生きたいvsこの社会に適応しなくてはならないという摩擦に疲れてしまった、痛みや涙と言えるのかもしれないともふと思いました。そう考えると、「死にたい」との付き合い方に、寄り添ってあげることを選んであげたい気持ちになります。
自分語りを失礼しました。なんだか読んでいて、自分の気持ちに気づき直せる、いい機会になりました。投稿ありがとうございました。

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