経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

無職になって一年

無職になって一年経ちました。
大学卒業後から三年間働いていた会社を契約の関係で退職。次に雇っていただいた会社では人間関係が上手く構築できず、残業続きで体調を崩し一ヶ月で退職。それから一年、バイトもせずに実家に頼り切ってばかりの日々。
友人達は着実にキャリアを重ねていて、責任ある立場にいる子だって沢山います。
それなのに自分は一体何をやっているのか。情けない、恥ずかしい。家族に申し訳ないと思います。
でも働こうと思って求人サイトを見たりハローワークに行こうとすると、過去の大失敗や前職を辞めた時の記憶が蘇ってきて先に進めません。
「また人に迷惑をかけてしまう」「何をしても空回るばかりの自分に何かできるわけがない」「周りの目が怖い」
そう思うと勝手に涙が出てきて、そのままどこかに消えてしまいたいような気持ちになります。

一年前まではそれなりに真面目な人間でした。それだけが取り柄でした。でも逃げるように退職した時点で、自分は駄目人間になってしまったのだと思います。そして働きもせず家に引き篭もってばかりの自分はもう、駄目人間どころかただ迷惑で邪魔な何かに過ぎません。
まさか大学まで行かせた子どもがこんな風になるとは、両親だって想像していなかったでしょう。両親も兄弟も、偶に会う親戚達も、表には出さないけれど、呆れているのがわかります。
貯金も永遠ではありません。働かないといけない。人並みに働いて家族を安心させたい。でも恐ろしい。不安と焦燥だけが募って、同じ所をぐるぐるするばかりです。
自分の存在意義がもうわかりません。

昔、10代の頃、たった一度だけ本当に死のうとした事がありました。失敗して良かったとその時は思いましたが、今となってはあの時死んでおけば良かったと思います。もう一度試してみようかと考える夜さえあります。
しかしあの苦しみをまた味わうと思うと、正直怖いです。でもきっと楽になれる。

どの道を選ぶにしろ、今はただ勇気が欲しいです。一歩踏み出す勇気。

感想1

不安と焦燥という言葉が目に留まりました。
このままではいけないという思考に押しつぶされてしまいそうなあなたを想像しながらこの感想を書いています。あなたが昔からもっている価値観か、もしくは家庭環境の中で培われた価値観かはわかりませんが、“~しなければ“という強い思いに縛られているようにも感じられます。前職をやめたできごとには触れられていませんでしたが、次に踏み出そうとするとフラッシュバックのように過去の職場のことが浮かぶくらいですから、それほどしんどいことがあったのだと想像されます。1年前のできごとなのに、昨日のように思い出されるあなたの心の反応がその証明なのだと私は感じます。一方で恥ずかしい、情けない、申し訳ないと自分を強く責めているあなたもいますね。私はこういった自責感は“そう思わせる社会”があるから抱えるのだと考えることがあります。例えば逃げる様に辞めたことを聞くと、一般的には「けしからん」と言われそうですが、私なんかは「よかった…自分を守るためによく行動したな」って労いたくなります。人はそうせざるを得ない瞬間ってあるんだと思います。真面目についても色々考えました。あなたにとっての“真面目”は“人に迷惑をかけないこと“なのかなと私には感じられました。よく自立は「誰にも迷惑かけずに一人で何でもできること」と捉えているひとがいます。でも実際は山の中で電気も使わず自給自足してる人以外は何かに頼って生きています。本当の自立の意味は「必要に応じて周囲に助けを求めながら生きていくこと」だとされています。
不安と焦燥という自分の気持ちを言葉にして投稿してくれた時点で一つの道に一歩踏み出しているんだと私には感じられました。ひとりで抱える気持ちを誰かに話すことが自分自身を助けることにつながると私は思います。もしもここにあなたがいたら、一緒にぼーっと何かを眺めながら「この1年たくさん考えてきたから、少し心を休めてもいいかも…」ってつい伝えてしまうかもしれません。
また自分がわからなくなった時には気持ちをここに置きに来てみてくださいね。

感想2

あなたが、無職の自分に絶望し、駄目人間、迷惑で邪魔な存在と強く感じていることが伝わってきて、その気持ちは受け止めますと素直に思う自分と、「いや、待てよ。働けないことがそんなにダメなことなのか?いやいや、そんなことはないでしょう」と突っ込む自分がいます。
特に「一年前まではそれなりに真面目な人間でした。それだけが取り柄でした。でも逃げるように退職した時点で、自分は駄目人間になってしまったのだと思います。」の部分を読み、心の中で「今も同じように真面目な人間ですよ。だからこそこんなにも悩んでいるのでしょう」と声をかけたくなりました。おそらくは1年前のあなたも、今のあなたも人としてその能力や人柄、資質的にはそんなに変化したわけではなく、違うのは社会的な立場だけであるだろうことに私は注目をしています。そう考えると、生きている意味とか、人の価値ということを人が語るときに、相対的な価値と、絶対的な価値があるのだろうと思いました。確かに就職して働くことは一つの指標になるかもしれませんが、私はそうした相対的な価値は一部分であるだけで、根底には人は誰でも存在としてそれだけで絶対的な価値があると信じています。そうでなければ、赤ちゃんやお年寄り、障がいのある人など、そもそも働けない人もいますし、社会情勢とのマッチングでどうしても働くことが難しい人や向いていない人もいる中で、人の権利や福祉のような考え方が成り立たないと思うからです。(おそらく、あなた自身も働けない人がみな駄目だと思うのではなく、自分以外の無職の人に自分へ向けるような厳しい目を向けることはなく、自分にだけ厳しい評価をしているのだろうと推測しています)
そう考えながら、私はあなたが仕事ができないことでこんなにも自分への評価が変わってしまうのかについて考えています。おそらく、見えないところで社会からのメッセージや圧力が内在化されているのだろうと思います。また、見えないところで今までじわじわとプレッシャーや負担、ストレスが蓄積していて、心身ともに疲れ切っているからなのかもしれません。
今回のあなたの苦しみは「働くこと」ことへの当たり前や「〇〇すべき、しなければ」が背景にあると思いますが、働くことだけではなく、私たちが知らないうちに自分やいろいろな人たちを追い詰める価値観に囲まれていることについて、考える機会が必要なのだろうと思っています。貴重な声を届けてくれてありがとうございました。

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