小さい頃から、両親、友達に恵まれていましたが、心の奥底では、常に虚しい気持ちでいっぱいでした。
今は漫画を描いてるのですが、友人の漫画はドンドン売れていくに対し、私の漫画は全くといって良いほど売れません。嫉妬してはいけないのですが、今私が描いている漫画も価値があるとは思えません。
それだけでなく病気にかかり不自由な生活をおくらざろう得なく、自分の存在意義がわからなくなってしまいました。ただ、もう楽になりたい一心で、死を考えています。逃げかもしれません。しかし子供心に残る虚しさが大きくなり、何しても価値がないと思う自分です。かなり苦しいことは確かです。甘えともとれるのですが、辛いものは辛いのです。しかし親や友達の顔を思い出すと、死を考えることに罪悪感を感じます。
こういう私は単なる甘えなのでしょうか?
と自問自答する毎日です。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
恵まれていても…
感想2
経験談への投稿ありがとうございます。
「甘え」とは何なのだろうかと考えていました。ご自身の中で「苦しいことは確か」という思いと、「甘えなのかもしれない」という思いの間で絶えず葛藤があるのでしょうか。「自分は恵まれているのだから、こんなことでつらいなんて言ってはいけない」といった声もどこかから聞こえてくるように感じます。
「恵まれているかどうか」も「甘えているかどうか」も、誰が何を根拠にして測ることができるのだろうかと疑問が浮かんでいます。置かれている状況や経緯によってさまざまな事情があり、心に漂い続ける苦しさは、誰とも何とも比べられないものであるように私は思いました。
「存在意義が分からなくなってしまった」とも書かれていましたが、自分という存在の不確かさに向き合おうとする瞬間は、なかなかの負荷がかかることのように思います。あなたが懸命に自分の気持ちと向き合おうとしている姿に、私には「甘え」とはまったく思えませんでした。
答えはそう簡単に出るものではないかもしれませんが、またよかったらお話を聞かせて下さい。
感想1
心の奥底にいつも寂しさがあったこと。心で感じていることは事実だと思うし、辛いものは辛いですよね。恵まれているかいないかは、他と比べてのことだから、あまり考えても仕方なくて、それより自分の中にどんな気持ちがあるかが大切なように感じました。
もしかしたら、自分の中の寂しさの奥にある想いを「恵まれているから」という想いで塞いできたのかな?と想像したからかもしれません。
甘えていようが甘えていなかろうが、心が感じていることに良いも悪いもなくて、どんな想いも正直な自分の想いなのだから、否定することはないと私は思います。
死んでしまいたいほどに、あなたの本当の想いが抑圧されているのかなと、そんな気がしました。
苦しい時には世界で自分が一人な気がしますし、その気持ちを否定する理論が頭に浮かんできたり、気持ちをなかなか大切にできないことが私にはあります。なので、自分と重ねて考えてしまったところもあるかもしれません。
あなたの心の奥にある寂しさがなんなのか、そこが一番気になったところでした。
心はなかなか難しいものだと思います。こういうところで書きながら覗いてみるのも必要なことかもしれませんし、もしよかったらまた書いてもらえたらと思いました。