経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

終わりでいいです。

すみません。特に辛いことがあるわけではないのですが。
私には悩みがありません。困っていることもありません。それでも日々、生きづらいと感じます。贅沢でしょうか。
器用なほうだと思います。能力的には。注意力散漫で管理能力が低く、焦るとミスが多くなるという欠点はありますが、特性に向いている仕事に就くことができましたし、期待を受けています。
家族はいません、恋人も。友人は何名かいますが、全てネットで出会った人たちで、私の経歴や幼い頃を知る人はいません。
幼い頃と言えば、小学生くらいの時って、お友達から、遊ぼうって誘いを受けるじゃないですか。目的も明示されずに。
めんどくさいな、1人で本を読んでたいのに、ってよく思ってました。友人がいるのは嬉しいのですが、毎日一緒に放課後を過ごすのが嫌で。
でもそういう理由で断ると顰蹙を買うことは理解していたので、適当な嘘をついて断っていました。本当は嘘なんてつきたくなかったんですけど。嫌われたくもなかったし、毎日人と遊ぶのは嫌だったんです。好きな子を嫌いになるほどに。
今でも、休日に人に会うのは月に2日くらいがいいです。ましてや、自宅に常に人がいるなんて考えられません。連絡も多いのは嫌です。
若い頃、20代前半くらいまでは無理をして周りに合わせて、そのストレスで恋人や友人や家族を傷つけて、よくめちゃくちゃになっていたのですが。
今ではそういう気質に合った生き方をできてると思います。全て諦めて切り捨てるという方法で。一人暮らしで、大企業ではないですが、正社員でほとんど毎日定時に帰れて、趣味もあって。
穏やかに閉じた貝みたいに生きて、1人で本を読んだり絵や文章を書いたりして、そのまま、目を瞑ったまま死んでいくのだと思います。それに不満はないです。
でも、そうやって生活を繰り返していく中で、ふと、全てが遠のいて現実感がなくなっていく瞬間があるんです。
ああ、世の中には色んな商品があるのに、何も欲しくないな。どこにも行きたくないし、何も食べたくないし、知りたくないし、誰とも会いたくない。
楽しいとも嬉しいとも感じたくない。
もういらないので、帰らせてくださいって。
ここは自宅ですし、これ以上帰ろうと思ったら土しかありません。
疲れているのでしょうか? 心が疲れないように、丁寧に丁寧に刺激を取り除いてきたのに。
病気ではないと思います。毎日会社に行けるし、眠れるし、食べれますし、趣味だって続いてます。
それなのに、どうして自分のことを書いたり話したりすると、涙が出るんでしょう。
お忙しいところ申し訳ありませんが、私は一体何が不満なのか、心当たりがありましたら、お伝え願いたいです。
よろしくお願い申し上げます。

感想1

経験談読ませていただきました。
「悩みがありません」「不満はないです」と書きつつも「生きづらいと感じています」「全て諦めて切り捨てる」とも書かれているので、そこが悩みなのかな…と率直に思いました。今の生活に特段大きな不満はないけど、だからといって楽しいわけではないし諦めているものがたくさんある…という感じなのかなという印象がありました。苦ではないということと、楽しいということは別のものなのかな…ということが経験談を読んで頭の中に浮かびました。例えばの話なんですけど、私が学生時代にシール貼りのアルバイトをしたときは、黙々と作業するのは苦しくないと思った一方で、心動かされる楽しさがあったわけではなかったです。
あなたは一体何を諦めて切り捨てているのだろう?とふと疑問が湧きました。誰かと時間を共にしたりすることなのか、誰かに自分のことを知ってもらうことなのか…いろいろな可能性が考えられる気がします。人との関わりについて経験談で多く書かれていたので、その部分について何か思うことがあるのでしょうか…。
諦める、というのは、本当はしたいけどしかたないと思って我慢したり割り切ったりすることだと私は思っています。今までの経験もあってしかたないなと思うようにしているのかもしれませんが、本当はしてみたいな、という気持ちがまだあなたの心の中にあるのかもしれないと私は感じました。

また、人と長時間一緒にいることがあまり好きではないようですが、それはどうしてだろう?とも感じました。こちらに関しても、自分のテリトリーに入ってほしくないとか、人に気を遣いすぎて疲れてしまうとか、いろんな可能性が考えられると思います。
今いる友人らとはあなたにとって程よい距離がとれているのかもと思いました。連絡をあまりしなくても、あまり頻繁に遊ばなくても、あなたにとっては友人と呼べるほどの心の繋がりがある相手であるように私には見えました。
自分も高校生のときはすぐに帰宅して家で1人で過ごしたり、昼休みも1人でご飯を食べたりしていましたが、周囲の人は「そういうスタイルの人」として私のことを受け入れてくれていたと記憶しています。
「友人とは距離を縮めたい!いつも一緒にいたい!」と感じる人もいると思いますが、「距離を保ちたい」って感じる人ももちろんいると思います。そして、あなたにとって心地よい距離が、あなたの友人にとっても心地よいもので、上手くかみ合っている気がしました。

経験談を投稿してくださり、ありがとうございました。

感想2

 こんばんは。投稿をありがとうございます。
 「ここは自宅ですし、これ以上帰ろうと思ったら土しかありません」という表現に理由もわからずキュンときて感想を書いてみたくなった者です。
 あなたのおっしゃる通り、あなたは器用な方だなと私も感じました。なぜならば、あなたは自分の快適な状態を把握することができ、過去の反省を踏まえて環境調整をすることができ、今の暮らしを保つことができる力があると理解したからです(そういう意味では私も器用なほうかなと思います)。
 しかし、器用だからと言って、ご自身の気質にあった暮らしにたどり着くまでには喧々諤々あったのではないかと想像します。あなたの文章から伝わってくる温度を感覚的に捉えると、自己中心的に今の暮らしにたどり着いたわけではなく、自身に向けられる他者の気持ちや期待を感じることはできるけれども、覚悟のようなものをもってそれらを切り捨ててきた歴史があるような、ないような・・・。
 心当たりを知りたくて投稿してくださったということなので、決めつけるつもりは全くないのですが、私なりに考えた仮説(心あたり)をお返事してみます。

1「自分のことを書いたり話したりすると涙がでる」について。→自分のことを誰かに話した経験が少ないのではないか説。自分のことを誰かに話してもなかなか理解はできないだろう。必要な場面では相手の価値観の範囲内で相手が理解できる程度の言語にして説明しておこう。と心よりも頭脳戦でコミュニケーションをとってきた。心を軸にして自分のことを説明すると、名前のない自分の感情に戸惑い、頭脳で整理できず、体が反応して涙がでる説(書いていて気が付いてしまいました。これは私自身のことではないだろうか・・・)。

2 「私は一体何が不満なのか、心当たりがありましたら、お伝え願いたいです」について→不満はないということを認めることができない説。あなたの経歴や幼いころのエピソードがわからないので、勝手な想像となってしまいますが、満たされている、幸せだ、心地よい、不満はないなどポジティブな感情を感じてはならないことを自身に制限しなくてはならないこれまでの人生があったというもの。もしくは、雑踏の中を行きかう他者と自分を比較して、大多数の他者と自分自身の違いがあるような感覚があり、心細さのような、生き苦しさのようなものを感じている説。

 以上、私の経験値や価値観の範囲内で心当たりを書いてしまったので、不愉快に思うことがあったら申し訳ないという気持ちと、見当違いな仮説であったとしても、心当たりを探す材料にしていただけたらとの思いでいます。社会とつながりつつも、心は閉じている生き方を私は肯定しているタイプであることを申し添えます。

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