経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自分の価値はどこにある

今までずっと、自分は価値のある人間だと思った事がない。
 専門学校を卒業して最初に就職した仕事は入った最初のうちで合ってないと自分で分かるぐらいには体育会系の職場だった。それでもせめて1,2年は頑張ろうと思って何のデリカシーも配慮もない同期たちに囲まれながらもどうにかやって来た。それでも同期のデリカシーの無さが改善される訳じゃなかった。体力が物を言う、文字通り体育会系だったのもあって事あるごとに言われるのは「やる気あるのかよ」という否定に近い言葉。やる気が無ければそもそも入ろうとは思わないのに。それもあってどんどん塞ぎ込むようになった。良かれと思って行動を起こした事に対してあれこれ文句を付けられて自分が傷付く事を恐れて消極的になればなるほど、使えない奴扱いされる。こっちは頑張ってるのに全部空回り。終いには「何でここに来たの?」「他の同期は出来てるのにお前は何で出来ないの?」と言われる始末。こっちが真面目に悩んでる事を相談すればプライドが強過ぎる奴扱い。その瞬間に自分の価値はそこにはないと感じた。自分の事を見てくれる人も分かってくれる人もどこにもいないと思った。プライベートも無く、関わりたくもない人間との共同生活を強いられた事もあって、追い詰められて精神壊して適応障害と診断されて1年で退職。退職するまでは色んな人が面倒見てくれたけど、本心では面倒くさい奴とかで腫れ物扱いしてたに違いない。そこでは所詮、
自分はその程度でしかなかった。
 それから地元に戻って実家で休養しながら転職活動。でもそれも上手くいかない。応募して、職務経歴書や履歴書書いて送って、面接して、お祈りメールが届いて。ずっとその繰り返しで自信を失くしてもう書類を書くのも面接の予約をするのも、何もかもが段々億劫になった。ひどい時は書類選考で落とされる事も珍しくなかった。ただの紙切れごときで何が分かるというのかという思いと同時に「自分はその紙切れ1枚で落とされる程度の価値しかない人間なんだ」と思うようになって更に自信を失い、転職活動を一度投げ出した。親にはとにかく応募し続けろと言われて軽く喧嘩になりながらも何とか再開。でもまた同じ事の繰り返し。転職活動を進める毎に精神が擦り減る毎日。お祈りメールが来る度に「お前は社会にとって何一つとして価値のない存在だ」「お前以外にも使える奴ならいくらでもいる」「お前ごときがうちに入るな」と言われてるような気もした。そりゃそうか。自分で勝手に思い悩んで、その挙げ句に精神壊して適応障害になった奴なんか、社会にとっちゃ何の価値もないよな。使えないし邪魔でしかないよな。親に「いつまでそうしているつもりだ?」と言われた事で遂にこっちも今まで溜め込んでたものが一気に爆発。こっちだってなりたくて適応障害になった訳じゃないし、好き好んで無職やってる訳じゃない。全部ぶつけたところでようやく親も理解してくれた。それからは親は無理せずに自分のペースでいいからと言ってくれるようになった。けど、転職活動の期間中にあったいい事と言えばそれぐらいだった。
 前の仕事を退職してから約1年で派遣の契約社員とは言え新しい仕事に就けた。でもそこは営業の仕事、しかもテレアポの仕事だった。いきなり営業電話を掛けるという他人の迷惑かつ相手の時間を奪うような事はできないという気持ちの方が強かった。それでも自分でよく考えて入社した以上は何とか仕事しなきゃと思って最初は何とか気持ちだけで何とか頑張って来た。でもそれも長くは続かず、次第に虚無になりながらPCを眺めて架電先を探しているフリをして終業までの時間を稼ぐような日々が続くようになった。仕事が終わって家に帰る度に「こんな仕事しかさせてもらえない自分はその程度の価値しかない、そんな仕事もできないならもっと価値がない」と自己嫌悪に陥るようになって自己肯定感も地の底まで落ち切った。ある日遂に限界を迎えて出社して直ぐに泣き崩れ、仕事が出来なくなりすぐに別の派遣先へ。新しい派遣先は前とは打って変わって雰囲気もよく、気持ちを切り替えて仕事が出来るようになった。でも、派遣先の担当者には「何を弱音吐いてるんだ、情けない」とか思われてたに違いない。その後は派遣期間が満了になってそれを期に別の会社へ就職し今に至る。
 けど、以前程ではないにしても今の会社でもほんの少しでもミスをすればめちゃくちゃに詰められて時には人格攻撃に近いような事もされる。客にも似たような事をされて精神を病みそうになる事だってある。何をやってもミスがあると指摘されて、何度も何度も見直したのにまた指摘されて。終いには「これはこっちでやるから手を付けなくていい、別の仕事をやってくれ」と言われる。前まで自分のやってた事まで取られる始末。もう自分にはそこにいる価値がないのかな。いてもいなくても変わらないんじゃないかな。どうせ俺1人がいなくなったところで誰も困らない。代わりはいくらでもいるだろうから。誰でも出来るのなら、俺である必要もないだろうし。
 こんな自分が社会において、どこにどういう価値があるのか。あったら誰か教えてほしい。どうせ、聞いたところで何も価値はないんだろうけど。
 存在している価値がないなら、もういっそ消えてしまいたい。

感想1

いろいろと考えさせられる経験談でした。私自身は就職活動や採用試験をしたことがないのですが、周囲から聞く就活や採用試験の話はあなたが書いてくれたような一方的に会社の要望に個人が適応して応えてなんぼという価値基準があることは聞いていました。それが世間ではある種の当たり前なのかもしれませんが、そうした現実から少し離れてその事実について考えると、個人を尊重する社会の在り方としてはとても非人道的で非合理的な話だと思います。働く人よりも会社の利益や都合が当然のように優先され、それによってあなたのように自分という存在があたかも無価値のような気持ちに追い詰めてしまう現実が当たり前の顔をしてあるのですから、それはとんでもなくおかしなことだと私は思ってしまいます。
それと同じようなことにあなたは最初の会社で気づいたのではないかと思いました。体育会系(体育会がみんなそんなわけではないので、そういう括りをしてしまうのはあまり好きではないのですが、わかりやすい表現だとは思いますので、ここでは使います)の文化が強く、個々の能力や得意不得意、ペースを理解しあうのではなく、強い立場や会社の利益を優先し、個人をそれに無理やり適応させようとする、もしも適応できないのであれば、個人の努力不足や能力不足というレッテルを貼り、指導や否定、批判をすることが当たり前という職場だったのだろうと思いますが、あなたはそれに明確なNOの意識を抱いていたと感じました。私は読んでいてとても真っ当な感覚だと思いました。真っ当だからこそ適応できず、適応障害になったのではないかと思います。世間では適応障害とはこの社会に適応できなかったダメ出しをされたような印象を受けることがありますが、私はどちらかというと今の個人の尊厳や自由、存在を守ることよりも企業や組織、利益を優先する社会に対して心身の不調によって異議を唱えていると言えるのではないかと思っています。
家族からのプレッシャーもあり、今も自分の感性に反して適応を前提とした就職をしなければという状況が今も続いているように思いました。これまで受けたところや関わったところで出会うことはなかったのかもしれませんが、会社や組織の中には一人ひとりの得意不得意や個人の違いを大切にする職場も少ないかもしれませんが、あると私は思っています。あなたがそうした場を見つけたら、まったく違う気持ちになるような気がしています。
今の社会の課題を自分の経験から感じられ、こうしてその気持ちを表現し、こうして送ってくれるあなたには価値があると私は思ってしまいます。もちろん、書いて送らなくても、誰にでも価値はあるだろうし、言い方を変えるとどんなに偉業を成し遂げた人にも価値はないのかもしれません。価値は私たちがそれぞれの都合で勝手に意味づけたことで、それほど意味があることではないのかもしれないと思う私がいます。ただ、私はあなたには価値がないとは思いませんでしたし、こうして私たちにつながってくれたことをシンプルにありがたいと思いました。

感想2

 (ちょっと待ったー。(あなたが自分に価値がないなら消えたいと感じていることは伝わりましたが、思わず声にでた言葉です))。存在している価値がないと感じる場面は会社が中心なのでしょうか。社会人になる前も同様の感情になったことはありますか。
 全体を通じて、あなたの中に内在化された社会の価値観があるのかもしれないと私は気がつきました(そういう私自身も内在化された価値観に囚われている傾向にあります)。内在化された社会の価値観とは、社会が持つ規範や価値観を自分の価値観として受け入れることです。社会側が築きあげた価値観が個人を追い詰めている構図だなと、経験談から学んだ私は感じました。
 とはいえ、自分に合わない体育会系のデリカシーのない同期に囲まれて、しかも共同生活なんて、それは地獄だなと共感いたします。テレアポで相手の時間を奪って営業する心苦しさも、共感いたします。あなたは自分にとって違和感のある会社を見極めることができる、安易に迎合(自分の考えを曲げてでも、他人の意に沿って気に入られるようにすること)しない芯の強さがあるように私は感じました(決めつけになっていたらごめんなさい)。
 今の会社もフィットしていない感じで辛そうです。前まで自分がやっていた仕事まで取り上げられたら、自分がこの会社にいる意味を問わずにいられないことでしょう。
 一方で、(私ごとで恐縮ですが)数年前に転職をして気が付いたことがあります。私ひとりいなくなったとて、組織は続いていくということです。きっと社会も家族もそうなんだと思います。そういうものだと思ったら、一抹の恐怖とともに、案外と気楽になりました。
 あなたを心配している、あなたにはこんないいところがありそうだ、と伝えたかったのですが、なんとなく受け取ってもらえないような気がしています。まったく別の角度からの提案ですが、頭で考えたり心で感じることをひと時だけ手放して、鍼灸やマッサージを受けてみるのはいかがでしょうか。体を緩ませることで、あなたの持っている本来の力を取り戻すきっかけになるかもしれないという思いで伝えしてみました。もしくは電話相談ですとか、会社とは利害関係のない空間に身を委ねる必要性を感じました。あなたが壊れてしまいそうで心配しています。

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