経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自分を殺し続けて残った物

私は人の笑顔が好きです。
笑っている顔。喜んでいる顔。幸せそうな顔。
その顔を見るためには自分を殺してでも相手を喜ばせようとしました。
時には自分の食事を差し出し、お金を差し出し、時間を差し出し、全ての人に喜んでもらおう、笑顔になってもらおうと努力してきました。
そこに本当の自分の気持ちが入る隙間など無く。

結果、社会に出たら上司に言葉と暴力の捌け口にされ、周りの同僚も仕事を全てこちらに流してくる始末。もちろん出来る訳がありません。そして更にエスカレートする上司の暴力。負の連鎖です。
病気になりました。当然の結果でしょう。
この事を誰かに話すと必ず「お前が悪い」「お前にも責任がある」と言われます。
仰る通りです。
社会に出たら結果が全て。残った物は仕事から早期リタイヤしたという事実だけ。
果たしてこんな人間を社会は再度拾い上げてくれるのでしょうか?否、そんな事はしません。
後に残るのはすぐに逃げ出した使えない奴という社会的なレッテルだけ。
このレッテルが貼られたら最期、もう社会に復帰は出来ません。
あれから何年経ちましたか?何回就職活動しましたか?何度書類審査で落ちましたか?数え切れません。
でも、そんな中でもいっちょ前に夢を見ることが出来たのです。人を笑顔にする事が目的の職業。
社会から拒絶され生きていく気力も目的も失った自分に見えた一筋の光。その光に向かって進むのは自明の理でした。
頑張ったと思います。今までの人生の中で一番。
何度も何度も履歴書を送り、何度も何度もその業界の事を調べ対策を練り作品を仕上げる。何年も繰り返してやってきました。
でも、結果はどこも門前払い。面接すら行くことが出来ませんでした。
社会から拒絶され、夢にすら見放されました。
もう私に出来ることはありません。
残った物は何も出来ない何も生み出せない無力な自分ただ一人。自分を殺し続けて他人を優先した末路です。
ある意味本望かもしれませんね。私はきっと自我を、意識を持っちゃいけない人間だったんだ。夢なんて以ての外。烏滸がましい事をした愚かな存在だったんだと。
どうかこれを読んでくれた方にはこうなって欲しくはありません。だから、みんな自分を愛してあげて欲しいです。他人を尊重するよりもまずは自分を尊重してあげて欲しい。それが巡り巡って他人を幸せにする事にも繋がるから。
そして最後に、私のこの文書を読んでくれた人に幸せが訪れますように。私の最期の、せめてもの願いです。

感想1

あなたの幼少期はどんな風に過ごしてきたでしょうか?
私はあなたの投稿文を読んで自分の幼少期を重ね合わせていました。激情型だった母は突然凍り付いたり、声が裏返るほど叫ぶことがありました。こども時代は自然と相手の感情や居心地優先の行動を取るようになり、ノビノビとは逆に家族の顔色を窺いながら生活してきました。その感覚は自分の価値観や行動様式の一部として今も染みついています。相手の笑顔が好きかと言われれば私の場合はあまりそこまで感じられていなくて、どちらかというと波風を立てないために自分のことは二の次にしてきたような感じです。
あなたの場合は自分の気持ちが入る余地はないとしても人の笑顔が好きだと書いていました。人の笑顔を見ると確かにほっこりしたり、嬉しくなったり、癒されたりします。一方で見方を変えると、攻撃される心配がない、危険が少ない、何ごともなさそうだ…など自分に及び危機判断基準にもなります。自分の意思や金銭、時間などすべてを他者に提供してきた結果、あなたが見てきた「笑顔」はどんな感覚で受け取ってきたでしょうか。
気づいたら自分の意思も反応も感情も他者に吸い取られてしまい、残ったのは無気力な自分だった…そんな風に感じとりました。それでも必死に希望に向かって存在をそこに見出すように頑張ったことも窺えました。
確かに社会にはすぐにレッテルを貼るような風潮はあると思います。時にSNSでは安易にそれが行われています。私もそう感じたことはありますが、結構大人になってから同じ社会の中にレッテルを貼らないで人を見ようとする場所を見つけました。この死にトリもそれに近いかもしれません。あなたの経験のキーワードにもなっている“尊重“が保たれる人とのつながりです。この投稿と感想のように自分の考えを自分の言葉で交わすことで自分は何を考えてどんなことが嫌でどうしたいのか?少しずつ自分を取り戻すきっかけになるかもしれません。よかったらまた死にトリを活用してもらえたらと思います。お互いが私を主語につながれたらと私は思っています。

感想2

文章を読ませてもらってまず感じたのは、自分が傷ついてきた理由を必要とする孤独の中に、あなたがいるように感じられました。「人の笑顔が好き」とはっきりと書けるところや、人の喜びを感じられるあなたは、豊かな感受性を持っていると思うし、だからこそ深く傷ついてきたというところもあるのかなと想像しました。
深く傷ついたり、悲しんだりした時、人にはその気持ちを誰かに「語る」中で、傷を土に返していくみたいなところがあるように思いますが、その機会が奪われたり、環境が「語り」を許さない時には、自分で理由をこしらえて自分で自分の傷を土に返そうとするところがあるように私は感じています。私もそうやって自分を守ることがあります。あなたの言葉からもそうしたニュアンスを感じたのかもしれません。自分で自分を守るしかなかった孤独や、色んなことを自分で処理しようと必死に頑張ってきたけなげな姿を想像したところでした。

人が喜んでいる顔や、幸せそうな顔を見ることはあなたにとってどんな意味があったのでしょうか。誰かの笑顔がエネルギーにもなったり、繋がりを感じられたり、いろんな気持ちがあったのではないでしょうか。今回のあなたの「語り」の奥深くに、まだ傷ついているあたながいるような気がするし、まだ語られていない気持ちが潜んでいるような気がして、聴いてみたいと思いました。その中には豊かな気持ちだってあったのではないかと想像します。
やりとりではないので、勝手に感じてしまっているところもあるかなと思いつつ、あなたのこれまでの頑張りや、プロセスや、その時々に感じていた様々な気持ちは、否定されるものではないし、きっと色んな色をしているという風に感じます。またよかったらいろんな気持ち聴かせてください。

一覧へ戻る