ネット上で交流している知り合いとの会話の中で、相手から「欲張り」と言われました。もともとその言葉は自分にとって強い地雷で、何度か言われたこともあり、ずっと心に刺さっていました。だから今回は勇気を出し、真剣に、でも重くならないように、別の言葉も並べながら「欲張りとクソガキって言われるの嫌なんだよね」と伝えました。しかし相手にはその後、「あなたの“せっかくだし”という言葉も嫌い、プライドが高い人が使ってそう。」と返されました。自分では無意識に使っていた言葉であり、まさかプライドが高く聞こえるなどとは思ってもいなかったため、衝撃を受けましたし、他にも自然と、この相手に限らず関わっている人を傷つけている言葉があるのではという、疑念の種を植えられた感覚がしました。誠実に、勇気を出して気持ちを伝えようとした結果、逆に強いカウンターを受けたことで深い心の傷を負い、「勇気なんて出さなければよかった」「我慢していれば傷つかずに済んだ」と強く後悔しています。
その後、1時間半ほど話し合いをしたが、最終的に「もう二度と本音を言わない。我慢する」と伝えてました。相手は「言ってもいいよ」と諦めたように言っていたが、傷つけているとわかった以上、言えるはずもなく自分の中では大きな痛みだけが残った感じがしました。。
そのせいで誠実さや勇気を出すことが怖くなり、「どうせ本音を出せばまた否定される」「優しさや期待なんて持つだけ無駄だ」という思いが強くなりました。それでも、唯一ゲームの話をできる相手でもあるため、関係は続けたいという思いもあって中途半端です。心の中には強い自己嫌悪と息苦しさが残り、「自分を大切にしようとした結果がこれなら、もう誠実さなんていらない」と思っています。
ここまで読んでくださる方がいらっしゃるのかはわかりませんが、拙い文章で申し訳ございません。
また、他の方に比べると烏滸がましい内容だとは思いますが、経験談として書かせていただきました。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
止まらない自己嫌悪
感想2
ネット上の交流という気楽さがある、でもだからこそのお互いのすれ違いやいきなりリアルを感じさせられ胸に突きつけられるような衝撃など、私自身オンラインでの交流がないわけではないので、その難しさのようなものを読ませていただいて想像していました。
どういった会話の経緯があったのかは私には想像することしかできないのですが、どんなきっかけや流れがあったとしても自身が“地雷”と感じていたことを(意図していたわけではないのかもしれませんが)相手から投げかけられたことは、その名の通り地雷を踏みぬかれたような衝撃を伴った出来事だったのかなと思えました。
そして、「それが心に刺さっている」と自分でも思っているからこそ、優しく丁寧に相手を慮って伝えた言葉に対して、“嫌だ”という意思へのアンサーではないさらに尖ったものが返ってきたことは、真剣に誠実に伝えようとしたからこそその傷も深くなりえてしまったのかなと私には感じられました。
それは「衝撃をうけた」ともあるように、もしかしたら投稿者さんがそれと知らず他者へ向けてしまっていたことなのかもしれませんし、考えれば考えるほど自身の言動に疑念を向けてしまうことだったのかもしれません。
しかしながら、第三者として客観的に読ませていただいて状況や人間関係を想像したとき、もしかしたら投稿者さんがそれと知らずに相手に何かを感じさせてしまっていたこともあるのかもしれませんが、知り合いが投稿者さんに向けた気持ちや言葉も「シンプルに強く、かつ傷つけるものになっていないか?」と感じてしまった私がいます。それで言うと、人間関係が相手を伴って自分と相互に影響し合うものである以上、投稿者さんが一方的に我慢する、気持ちに蓋をするということで成立する関係は不健全でフェアじゃないものに私には思えました。
リアルにしろ、ネットにしろ、本音を言い合ったことによって歪になる関係もあれば、逆に、それはそれとして何となく程々で続く関係などもあるように私自身は思います。今はまだショックの方が大きかったり、自己嫌悪も強くなっているのかもしれませんが、切れる時は切れる、続くときは続くで少し一歩引いた自分で付き合ってみるのもいいのかなと勝手ながらに思いました。投稿ありがとうございました。
感想1
勇気を出して伝えた言葉に対して、思ってもみない形でさらに強い否定が返ってくることの攻撃力に、第三者である私にまで衝撃波が届くように感じながら読みました。私自身、他者との会話で言われたことを未だにトラウマとして抱えていたりするからかもしれません…。「相手を傷つけてしまった」という引け目がただでさえあるところに、追い打ちをかけるように言葉遣いや人間性にまで言及して批判的な評価を受けるというのは、あなたの自己嫌悪が必要以上に引き出され、他者全般との距離を引き離してしまうくらいの影響力を持つことだったのかなと思います。
相手に対して本音を伝えることは対人関係における一種の誠実さだと思いますし、さらに良い関係を積み重ねようという姿勢でもあると思います。だからこそ、「思っているから何でも言っていいわけではない」というか、相手の成長や関係性の発展を願って伝えられた(伝えた)言葉なのか、そうではないのか、という線引きが存在すると感じます。そこを見極めるのが何より難しいことかもしれませんが…。私自身も含めて、一切傷つけあわずに人と関われる人なんてきっといないんじゃないかな、なんてことを考えました。