一番古い記憶は小学校1年生。家が近く毎日いっしょに帰らなきゃいけない同級生2人と一個上の学年からのいじめ。毎日毎日。近所だから親にも大丈夫と嘘の楽しい出来事を言って。その頃から人間関係を築くのが下手な気がしていた。もう40代。大丈夫と大丈夫じゃないのに笑い、上司や先輩にはたくさんの仕事をまわされ、後輩には舐められる。後から入ってきた10才以上年下の子に職場を追われたり、すぐタメ口に代わる。転職回数も履歴書に収まらない。
やっと見つけた職場でもいつの間にか冷たい態度を取られ孤立。普通に仕事をしていても、必要な連絡や書類が、(あ、忘れてた)と回ってこない。その度にへらへら笑う自分が惨め。仕事で15年近く必死で働いてきたけど、自分を変えようと専門家が配信している動画や本を見たけど、改善する余裕も時間も日々の出来事で掻き消される。
もう疲れた。ペットが死ぬまでは死ねない。唯一の心の拠り所だから。(たかがペットでしょー)と言われてから気持ちを話すのをやめた。ペットがいなくなるまでは生きる。惨めに生きる。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
苦しい人生でした
感想2
幼い頃の辛い原体験は成人して大人になった今も深く心に根付いていて、あの頃とはなにもかも違うのに、今もまるで変わらずそこに佇む存在のように投稿者さんを苦しているように文章を読ませていただいて想像していました。
「家が近く、いっしょにかえらなきゃいけない」、ただそれだけの理由で逃げることも誰かに訴えることもできずに受けたいじめはとても心身を傷つけるものであったのだろうなと思えました。それは本当なら親や誰かに訴えたい出来事や気持ちが込められているもののような気がしますが、「大丈夫」の一言で自分の中に押し込めていたことは、周囲に気を遣わせたり心配させないようにするものであったのと同時に、投稿者さん自身が自分に言い聞かせていた言葉でもあったのかなと私には思えました(違っていたらすみません。。。)。
それらのある種の自分を守るためでもあった人間関係へのアプローチはいつしか投稿者さんの中での人付き合いの根幹に根を張り、「その頃から人間関係を築くのが下手な気がしていた」ともあるように、(本来投稿者さん自身には何の落ち度もないはずなのに)自分自身に矢印が向くように変遷していってしまったのかなと感じました。
社会に出てからも幼い頃の自分の体験を想起させられるような現状があるのはとても辛く、負担も大きいように思えます。ですが、私には周囲から向けられる悪意的な態度に対して他責的にもならず、何とかして自身を変えようと色々と苦心してきた投稿者さんが「惨め」だとはどうしても思えませんでした。
状況や環境、人間関係を変えることは容易ではないとは(私自身の経験としても)思います。しかしながら、今までも今もずっと模索しながら現実と向き合っている投稿者さんが少しでも楽に過ごせるこれからになってほしいと思いますし、(大切にされているペットとともに)穏やかな時間が訪れる機会や瞬間があってほしいなと勝手ながらに思いました。
投稿ありがとうございました。
お返事
この度はわたしの拙い文章、経験談にご感想ありがとうございました。
皆様のお仕事とはいえ、誰にも言えなかった苦しい胸の内を聞いていただき何とも言えない感動にも似たような気持ちでいます。
他にもこのようなもっと苦しんでいる方がいるかもしれないと思うと胸が詰まります。最低限、人を傷つけない、苦しんでいる人に寄り添える人になりたいです。
死にたい気持ちは変わりません。死ぬその時まで、誰かの気持ちの拠り所になれたらいいと思いました。
感想1
ぎゅっとかいつまんで、苦しい人生を表現してくれたような印象を持ちました。ここに書かれていないたくさんの経験や積み重ねによって大丈夫じゃなくても「大丈夫」と笑わざるを得なかったあなたがいるようにも感じました。小学生のあなたが大丈夫と嘘をつかなくてはならなかったのはどうしてだったのだろう、とも考えていました。(心配をかけたくない思いや、話して理解されるかの不安など色々浮かんでいました。)どんな理由だったとしても「人を頼る」ことや「助けを求める」土台がないまま、一人でずっとやれることをやろうと必死に生きていた、だからこそ疲れてしまった、そんな風に私は感じました。
人間は悪意があるけれど動物に悪意はないので、だからこそ心を許せる、癒しになることってあると思っています。唯一の拠り所であるペットさん、どんな動物で、どんな子なのだろうと勝手に想像?妄想?が膨らんでもいました。投稿ありがとうございました。