経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

手術、未遂、犯罪被害。それでも前を向かなくちゃ。

タイトルの3つは、2023年のから順に私の身に起きたことの中でも「思ったよりダメージを喰らってるな」というできごとです。久しぶりに「あー、人生クソッタレ」って思ってるところです。
すごいですよね、3年連続でなんか起きてる。うち2つは本当に死んでたっておかしくない。でも私は生きて、偶然死にトリさんに辿り着いてこの文章をフラストレーションとやり場のない悔しさから書いている。

昔、私は後ろ向き、悲観的、未来に希望を持てない子供だった。自分の容姿や言動を理由にいじめを長く受けていたし、親から容姿を褒められたこともなければ性格面で褒められたりしたこともない。日本って謙遜の文化が浸透してるから当たり前と言えば当たり前だけど、人前でも家の中でも、家族と比較されたりするのは苦痛だった。何も楽しくないなんて嫌だ、そんな悔しさから、いじめっ子のいない大学に入ったのを機に死に物狂いでネガティブな考え方を変え、人との関わり方も自分なりに勉強し、実践した。
とはいえ家庭では、中高の頃から虐待とまではいかずとも親の愚痴を聞かされたり、同調しなければヒステリックになられたり。就職も一番やりたかった仕事に就くことは猛反対された。業界が業界だったから、親心といえばそうなんだろう。だけど、あの時私はあの仕事が一番やりたかった。折れた私が結局のところは悪いのだろうけど、言い返したら言葉でボコボコにされるのはいつもの事だ。口を噤むことしかできなかった。
進学に関しては好きなことをさせてもらえたし、金銭的援助も受けていた。感謝しているところはある。だからこそ本当に親に向ける感情になかなか折り合いをつけられない。おまけに自己肯定感はどん底だ。
私がこんな鬱屈とした思いを抱える反面、弟は私以外の家族の協力のもと、幼い頃から好きなことをやらせてもらえて、それなりに社会にもまれ、どうやら順風満帆に人生を送っているらしい。私が聞かされてきた親の愚痴なんか、聞いたこともないだろう。親は私だけしかいない時を狙って、ずっと愚痴を言ってきたから。
私は自分を、常に弟より劣った存在だと思っている。親に目をかけてもらえることが、私にとっては全てだったんだろう。はやい話が、もっと親に正しく構ってもらいたかったのだ。

これは伏線だが、私は幼い頃から将来の自分に夢を持てなかった。一応将来は○○になりたい!というが、別にそれを本気で追えるような人間でもなかった。
だからなのか、人生100年時代と謳われる頃になっても漠然と「私は30で死ぬんだ」と思っていた。30代は身体的な折り返し地点だし、何より原初の人間の平均寿命がそれくらいだったからだったと記憶している。

それでも私も親元を離れ、社会人になった。
しかしながら私は外的なストレス耐性が高すぎるのにリフレッシュが下手くそな自覚がある。要は耐えられるところまで耐えるが、壊れた後のリカバリーに時間を要するということだ。
ハラスメントの類に遭って心を壊しては仕事を転々としてきた。
正直、会社勤めで働くのはもう無理だと思っている。
業務が楽しくても、致命的に人間関係の構築が下手くそすぎるのだ。プライベートでは気を許せる友人がいても、社内に味方を作るのがとにかく下手だ。
おまけにサービス残業も当たり前の企業がほとんどだ。昭和か?いいえ、令和です。
似たような人間関係の理由で転職を繰り返せば、当然経歴はズタズタで、どんなに転職活動に必死になっても仕事にありつけることもなかった。
おまけにハラスメントだのはうつ病と不眠、不安障害まで残していってくれた(これは私の性格も強く影響していると思うが)し、それとも折り合いをつけなくちゃいけない。
私の社会人としての前哨戦は、おそらく大半の方が学生の頃に折り合いをつけるべき「自分」との向き合い方、自分の機嫌の取り方、世渡りの仕方を考えることに費やされたと思っている。いや、答えは今も出ていないが。今も自分を世渡り下手だとは思っているが。

そうこうしているうちに、30代を迎えた。
死んでないんだよな、自分。
なんで死んでないんだろう?とずっと思いながら生きているうちに、転職で失敗続きを繰り返したのを引き金にうつ病を悪化させた。
もう布団から起き上がれないのだ。体力とかそんな次元じゃなくて、動けないと自己暗示がかかってる。
俗にいうセルフネグレクト状態に陥ったら、当然食事は抜きまくるし、風呂キャンセル界隈に片足を突っ込み、不摂生が過ぎる生活の果て、救急車で運ばれた。
さらっと医者に「命にも関わりがあったかも」と言われた時に、じゃあ死ねたらよかったのにな、って思った。
それはそれとして、結局その病を完治させるには手術しかないから、受けることにした。食事のたびにお腹が痛いのは嫌だったから。
今は後遺症とかもないし、物理的な苦痛からも解放された。これが2023年までのことだ。

2024年、やはりうつ病は寛解に向かうこともなければ、仕事も見つからない。おまけにその前年からプライベートな人間関係が揉め散らかして精神的に参っていた。
死にたい、とは高校生ごろからずっと思っていた。でも、具体的なアクションは取ったことがなかった。だって必ず死ねる保証がないから。怖かったから。
だがこの時、自分を見つめる自分がついに己に対して「自分は生ゴミだ」とジャッジした。
生ゴミなら、生ゴミの日に捨てなくちゃ。きっとそれが今日なんだ。
その思考に動かされるまま、ついにアクションを起こした。
でもきっと私はいるだけで迷惑なのだから誰の記憶からも「消えたかった」のだと思う。結局意識が朦朧とする中で友人にコンタクトをとった繋がりで救急車で運ばれ、大事にならずに今も息をしている。
その後、自分なりに生きたい理由を見つけられたのである意味結果オーライではある。周りからしたら、きっと自殺未遂そのものがとんでもない迷惑なのだろうが。

2025年、やっと私の中で「無理をして社会に馴染まなくてもいいんじゃないか」と思えるようになってきた。様々な縁やキッカケを頂き、好きなことで食っていくこと、その先で私が行きたい理由をくれた人へ恩返しをしたい、そんな目標を人生で初めて設定できた。
うつ病起因の気分の浮き沈みとも折り合いをつけられるようになってきた。好きなことで食うためにやり始めたことが人の目に留まるようになってきた頃に、私は犯罪の被害に遭った。
詳細は伏せる。ただただ犯人が然るべき法の裁きを受けてくれと願うばかりだ。
いつもなら引っかからないような手口に乗ってしまった自分が情けないし、悔しくて仕方がない。
泣き寝入りなんかしない、と然るべきところには通報済みだ。解決してくれたらもっといいのだけど。

ここまで読んでくれてありがとう。
3年連続悪い意味でツキまくりだったが、私は思いの外今悲観していない。だけど自分の情けなさ、不甲斐なさで2025年に入ってしばらく忘れかけていた久しぶりに「死にたい」という気持ちを思い出した。
私はきっとこれからもこの死にたいという気持ちと戦いながら時には勝ち、時には宥めて引き分けにしながら生きていくのだろう。
自分の好きなこと、誰に左右されることもない指針を以って身を立てていきたい。そう決めた以上、死んでる暇なんかない。そんな暇は潰していこうと思う。
書いているうちに、自分の身に起きたことを整理して落ち着けてきた気がする。
それとは別に、自分が文章を書くと、いつも読者にクスリと笑ってもらいたい思いに取り憑かれてしまうがゆえに、全然深刻そうに見えないかもしれない。深刻ではある。でも、あんまり深刻に捉えてほしくない。なんらかの読み物として読んでくれたら、それが私にとってはいちばんの喜びだ。誓って言うが、私の仕事は文筆業の類ではない。根っから、誰かに笑って欲しいだけなんだと思う。それが見ず知らずの人であったとしても。

もしこれを読んでいる人が私のこの書き散らしを読んで「こいつ死にたい割には明るいな」と思ってくれたら幸いだ。なぜなら死にたがりと表面上明るい人間は両立するからだ。だからもし、あなたの周りにやけに急に明るく、無理をして振る舞うようになった人がいたら、少し気にかけてあげてほしい。

私は死にたい想いに取り憑かれても、もう自死を選ばない。それは周りが悲しむからじゃない。私がやりたいことをやり尽くせてないからだ。
どうせ人生の果てに死が待っているなら、法律の範囲で自分勝手に生き散らかしてやろう。後悔のない人生なんかあり得なくても、後悔を減らすとはきっとできる。今の私は、そう思っている。

感想1

文章全体の流暢さと軽やかさで、一気に読み終えてしまいました。出来事や感情の流れは細やかに描かれていて、しかしこれでもまだあなたの中に生じているもののほんの一部なのだろうなと推測しています。言語化して形作る、文章化して流れとして整理して捉える、その行為があなたにとっての自己理解の手段であり、生きる術といえるものなのかなと感じました。もしも大学時代に死に物狂いで考え方を変えたあなたではない「別ルート」があったとしたら、この人生の書きぶりはまた大きく異なるものだったのだろうな…とも想像したところです。

全体を通して、あなた自身が「閉じた」生き方を選ばず、常にどこかで社会(他者)と繋がりを保ち続けた(保とうと動き続けた)ことが、あなたの命をつなぎとめてきた要因なのではないかと私は感じました。自分の中に考えや生き方を留めず、外の世界に自分の居る場所を探す試みを絶えずやってきたようなイメージです。その時々で必死に進んできた結果ということかもしれませんが、社会的・物理的なやむを得なさだけでなく、生きることに対する真剣さのようなものも勝手ながらに感じ取りました。「消えたい」という思い、自己評価の低さは確かに心に根を張りながらも、その先で「それでも自分の人生を諦めたくない」というエネルギーが、前々から培われてきていたのではないでしょうか。根に抗うことは果てしない疲れを伴うと思うのでそこは気にかかりつつ、それでもあなたの「生きる」という言葉にはまっすぐに信じたくなる力強さがあると思いました。

終わり際の言葉に力強さと吹っ切りすらも感じつつ、もしあなたが今後大きく揺らぎ、「人生クソッタレ」と絶望したとしても、きっとそこからまた何かを得て、揺らぎの分大きく漕ぎ出して行く人なのではないかなとも感じました。そのときには再び、死にトリに出会ってもらえたらと思います。投稿いただき、ありがとうございました。

感想2

文章を読みながら何度も生きることと死に向かう気持ちとで揺れ動き、追い詰められながらも、それでも“言葉で表現する”ということをあなたの中で軸としてあるような、それはただの生存戦略というだけではなく、痛みの中で自分を確かめようとするあなたなりの生き方を勝手ながら感じていました。
たまたま災難が続いたというよりかは、社会の隙間に取り残されながら、それでも「生きる」を選んでしまうことの切実な苦しさが伝わってきました。手術や自殺未遂、犯罪被害という言葉だけで括ることのできない現実の重みを考えさせられます。ユーモア(があるなと私は感じましたが)を交えながら綴られる文章の奥には、“悲観を笑いに変えなければやっていけない”ほどの痛みと思いが折りたたまれているように感じました。
印象的に思ったのは「死にたい」という言葉があなたの中に何度も過る経過で、それを「戦う」でも「克服する」でもなく、「宥めながら引き分けにする」と表現しているところです。生きづらさや希死念慮を、例えば敵とか汚点としているではなく、“共にいるもの”として捉えているのかなと感じ、それは“生きることを頑張る”というよりも、“死にたい気持ちを抱えたままでも、今日をどうにかやり過ごす”という現実的な強さを私はあなたから感じ取っています。
また、社会的な側面から見れば、あなたの文章は「個人の弱さ」ではなく「構造の歪み」を的確に捉えているように私は感じています。働き方や家庭内の関係性、心の健康と経済的基盤の両立などどれも現代社会が十分に支えきれていない部分を静かに問いかけているような印象を受けました。苦しみながらも「自分が悪い」と責めてしまう背景には、失敗を個人の責任として吸収させてしまう社会の風潮が確かに存在していて、それにもかかわらず、あなたはその構造を見抜き、“もう無理をして社会に馴染まなくてもいい”と綴っていて、痛みを経た人だけが持つ説得力を感じました。
“死にたがりと表面上明るい人間は両立する”という部分は、社会が見落としがちな真実が表現されているなと私は感じていて、同時にいかにこの社会が見たくないものを見ようとしないかというのを突きつけられたような感覚にもなりました。表面的に見えているものだけが本当のこととは限らないのだという視点を忘れてはならないなとあなたの文章を読みながら再度認識し直すきっかけになりました。
最後にあなたの中に残っているものとして、絶望ではなく、かすかな“再構築”の気配をなんとなく私は感じました。「死んでる暇なんかない」と言いつつ、どこか達観したように笑っているような、でもその笑いは、軽薄な強がりとかでは決してなくて、何度も崩れ落ちた末に見つけた自分なりの支えのように私には映りました。「生きてしまう」という選択のリアルさを感じながら、おそらくこれからも死にたい想いのほうに大きく傾く時もあるかもしれませんが、そんな時は死にトリに声を届けてもらって、またこうしてあなたと言葉を交わせたらなと思う自分がいます。経験談の投稿ありがとうございました。

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