学校に行かなくなってから、よくテレビを見るようになった。
スマホだと知人からのラインが来たり、学校の連絡アプリが入っているため、嫌なことがフラッシュバックして、開く気になれないから、テレビをつけるのだと思う。
ある日、連続テレビ小説を鑑賞していると、こんな台詞があった。
「何者にもなれなかった」
反射的に、私も……私もだよ!と言いたくなった。そう、私も結局何者にもなれなかったのだ。
ずっと前に私にとっても、家族にとっても大切な人が死んで、憔悴しきってる家族を奮い立たせるために、第一志望に合格した。進学した先で学級委員になった。
でも、生徒会選挙に落ちて、大好きだと思っていた人にはいっぱい傷つけられた。
周りの人の評価が怖くなって、悪口ばかり言う友達に辟易して、誰も信用できなくなった。
おじいちゃんが施設に入所したのも、ショックだった。
死のう、死のう。そう何度も思いながら登校した。だが、夏休みが終わりそうになって、気がついたら、限界だった。
詳細は伏せるが、やってはいけないことをしたのだと思う。母も父も激怒した。
私はそれをなんとなく眺めるように見ていた。父も母も私に激怒しているはずなのに、私は全く実感がなくて、どうしたら今度こそ、成功するかな、なんて思ったりもしていた。
母が私に
「なぜこんなことをしたの?」
と聞いてきた。私は、
「学校に行くのがつらいから。もう全部終わりにしたいなって思ったから」
と正直に答えた。母は、
「ニートにでも引きこもりにでもなればいい」
なんて言って、部屋から出ていった。
あれからまだ一ヶ月ちょっとしか経っていない。母はそんなことがあったからか、学校を休ませてくれている。しかし、学校を休んでいると、自分は結局何がしたかったのだろう。結局何も為し得なかったな。死にたい、死にたい、消えたい。そんなネガティブなことばかり思いついてしまう。
だから、連続テレビ小説に出てきた
「何者にもなれなかった」
という言葉に救われた。私と同じように考える人がいるんだ、私だけじゃないんだ、とホッとした。
これからどうしたいとか、どう立ち直るのかとかは、今は全くわからないし、考えられない。
だけど、いつか、何者かになれたらと、時々夢想する。何者かになれたらなんて、ありふれた悩みで、ナーヴァスな時期にありがちだとは思うけれども。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
何者にもなれなかった
感想2
「何者にもなれなかった」という題名に呼び止められ読ませてもらいました。私も何者かになりたいと10代、20代そして40代となった今も時々ぽやんと考えます。年代やその時の生活環境、体調によっても、何者かになりたいという感情の表現方法は様々だった気がします。「何がしたいのと」と自分に厳しく問うあなたにも勝手ながら共感する思いでした。「ありふれた悩み」と書かれていましたが、確かに人間にとって「寝る・食べる」などの本能的欲求の延長に「何者かになりたい」という思いが、多くの人にもある欲求だなと改めて頷きました。
「何者か」を分解していくと、自分にとっての自分は何者なのか、誰かにとっての自分は何者なのか、自分軸と他人軸での「何者」かがあるように感じています。また「何者かになる」と聞くと、「有名大学や企業に入る」「有名人になる」「フォロアーが多く人気がある」など、なんとなく社会的(他者)に影響力があり「評価が高い」「地位がある」という漠然とした「すごい人」と言ったイメージが最初にくるようにも思います。この漠然とした「何者か=すごい人」を追い求めるスタートラインに立つと、何をどうして、そうしたらと途方もないうずまきルートを走り続けなければならないエネルギー消費が激しいコースで体調く気力がとにかく必要という気がします(抽象的な表現でごめんなさい)
学校や家族での様々な出来事があり、あなたなりに対応し気力の多くを使ってきたのではないでしょうか。そして自分自身の限界や落ち込みを察知し、「やってはいけないこと」をせざる得ないほど辛さやどうしたらいいのかという困り感を持っていたのだとも思いました。様々なしんどい状況を感じつつも、テレビから聞こえてきた言葉をキャッチし心を動かしているあなたは、自分にとってかけがえのない者となっているようにも想像します。私たちの人生の多くはもしかしたら何者かになるための過程の時間だったり、その時々によって「何者」も変化していくのかもしれません。あなたと私、年齢は違えど定期的にくる「何者の波」を乗りこなしていけたらと思うところです。投稿いただき、ありがとうございました。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。文章を読んで、負ってきた痛みや喪失感がいくつも折り重なっているような、でもそれをどうにか受け止めようとしていることが伝わってきました。
あなたが綴っている「何者にもなれなかった」という言葉は、ただの自己否定とかではなく、“何者かにならなければいけない”と強く求められ続けてきた社会の中での、疲れが反映されているように私は感じました。学校という場所は、“成長”や“前進”を前提に動いている場でもありますが、その枠から一度外れると、まるで存在の意味まで揺らいでしまうものだよなと私は思います。人知れず努力をして第一志望の学校に入ったのに、その努力を打ち砕くようなことが起きてしまうとまた気持ちを立て直すというのは容易なことではないと感じますし、もしかするとその時点ですでにあなたは家族のことも含めて無理を重ねてしまっていて、ギリギリ心を保っていた状態だったのではないかとも想像していました。
お母さんの「ニートにでも引きこもりにでもなればいい」という言葉には、怒りよりも、どうしていいかわからない混乱もあるのではないかなと感じます。親の世代(と、一括りにしていいものではないかもですが…)は、どちらかというと今より「努力すれば報われる」「学校に行けさえすれば何とかなる」と教えられてきたところもあると感じるので、そうした価値観が根付いているがゆえに、余計に努力しても報われず、苦しむ子どもの姿にどう接していいか分からないところもあるのかなって思ったりもしました。(そうした世代間のすれ違いが、家庭で苦しむ子がいる構造のひとつだよなぁとも考えさせられています…)
あなたの文章を読んで、生きづらさを抱えた人が、「何者かになる」以前に、「何者であっても生きていい」と感じられる社会になっていけたらな…と強く思わされます。
「死にたい」と思いながらもテレビをつけ、何気ない台詞に反応して「私もだよ」と心の中で応じるその瞬間には、まだ“他者とつながりたい”という微かな願いが残っているように感じられ、そしてあなたの綴った文章もまた読んだ誰かの「私も」という声を引き出す力があるように私は感じました。
「何者かになりたい」という思いにこれからも翻弄されてしまうこともあるかもしれませんが、そういう揺れ動きも含めて、あなたがあなたでいられる場所の一つとして死にトリがあれたらなと勝手ながら思いました。また何かあなたにとって役に立つようでしたらいつでも訪れてください。