中1のとき、初めて死にたいと思いました。それから約5年。もう高2です。
きっかけは自然教室の実行委員をしたことです。塾に部活で忙しかった放課後に、もう一つ仕事を入れちゃいました。なんで頑張ってるのかわからなくなって、生きる意味がわからなくなりました。その時のことはあまり覚えていませんが、毎日どうやって死のうかだけを考えていたことは、はっきり覚えています。そんなある夜、全く集中できなくて宿題が終わらなくて怖くて頭の中がぐしゃぐしゃになりました。ふと顔を上げるとカッターがありました。リストカットをするとすっきりする。そんなことを聞いたのを思い出しました。ちょうど、冬でした。日に日に増えていく傷。それが自分の苦しさを可視化してくれるみたいで傷を見るたび安心していました。見られたくない。でも誰かが気づいてくれるかもしれない。そんなことを考え続けていました。春が近づき、流石にリスカをやめないと半袖を着られないと思い、カッターを手の届かないところに置きました。リスカから離れることはできましたが、今度は髪を抜き始めるようになりました。特に勉強中が酷かったです。抜いちゃだめ、やめなきゃいけない。そう思っても髪を抜く手は止まりません。抜毛症です。今も治っていません。ハゲはなく、まだ周りには気づかれないぐらいですが、短い髪の毛がいっぱいです。毛量も3分の2くらいになりました。縮毛をしているので数カ月に一回は美容室に行きますが、いつも怖いです。治療法も特に無いようで、もう一生治らないかもと思うととても怖いです。そんなこんなで、当時の私はひとりで数ヶ月頑張りましたが、やはり苦しくてしんどくてわかんなくて。スクールカウンセラーさんのところに行ってみました。すごく良い方でした。いっぱい私を褒めて、応援してくださいました。嬉しかったです。でも、だからこそ弱みを見せられませんでした。自分の良いイメージを崩すのが怖かったんです。結局、卒業までの2年間通いましたが、死にたいとかそんなことは話すことはできませんでした。でも、「どうしようもなくなったとき助けてくれるかもしれない人」がいることが私を支えていたと思います。
高校に入っても死にたいなどの負の感情は改善しませんでした。しかし、カウンセラーさんのところには行きませんでした。中学ではカウンセリングは隠していました。「そういう子」と思われたくなかったんです。(これには深い訳があります…)となると、情緒は超不安定です。なんとか1年耐えましたが、もう限界でした。この夏、もう全部面倒になりました。大好きな部活も、完結していない漫画やアニメも勉強も全部。夏休みが終わると同時に死のうと思い準備を進めていました。当日、やっぱり怖くなっちゃいました。身体は正直なようです。夏休みが明けても学校に行けないように課題を1つも終わらせていませんでした。だからどうしたら良いかわかんなくて、もう自分じゃどうにもできなくて。母に泣きつきました。それからちょっと学校を休んで、今はいつも通り通っています。念の為、高校のスクールカウンセラーさんのところに行かされました。今まで、しんどくてどうしようもないとき、辛かったことをノートにまとめていました。何が苦しかったのか、どうしてこうなったのか、自分ですでに分析してました。そのせいかずっとセリフを読んでいるみたいでした。どれだけいい言葉をかけてもらっても、どんなにいい方法を教えてもらっても、自分がそれを受け入れなければ改善に向かっていきません。私は人の話を素直に聞き入れない面倒な人間です。だから、もう解決できないとわかっていました。ここで、改めて証明されました。誰も私のことを助けられない。私は助かろうとしていない。自分のために、人に期待するのをやめました。
話は変わりますが、私は病んでいる自分が好きです。可哀想な自分が大好きです。そうなったきっかけは障害のある弟かもしれないと思っています。私は2人弟がいて、一番下の弟が重度障害児です。小6にも関わらず、歩けないし喋れない。食事も排泄も一人でできません。生まれてすぐに、がんや障害が発覚し母と入院していました。その間私たち姉弟は近所の祖父母宅に預けられました。弟と一緒なのもあって、寂しさは一切ありませんでした。障害なんて知らないし、病気だから入院している。生まれたばかりだしお母さんと一緒が良いもんね、という感覚で羨ましさもありません。お姉ちゃんだからしっかりしなきゃ、心配させちゃいけない、完璧じゃなきゃ。幼いながらもそう感じていました。でもきっと、構って欲しかった。病気なら構ってもらえる。心配してもらえる。だから病んでいる自分が好きなんだと思います。
弟の障害は上にあった深い話につながるのでもう少し書かせてください。小学校に上がると関わる人も増え、視野が広がり、うちが一般的な家族でないことを自覚しました。家族で出かけたときはジロジロ見られていることにも気が付きました。友達たちも障害について少し理解したことで、障害があると伝えると驚かれるようになりました。それが嫌でした。障害がある。普通の家族じゃない。つまり「そういう家庭」「そういう子」と見られるのが嫌でした。普通じゃないのが嫌でした。みんなと一緒が良かった。私にとって、カウンセリングは普通ではありません。私は強くなければいけない。カウンセリングは心が弱い人が行くところ。普通の、多くの人は行かないところ。だから、行く人は心の弱い「そういう子」。これが隠していた理由です。
支離滅裂な文章ですみません。ここは、相談というよりも全力で自分語りをしてもいい場所だと感じたので書かせていただきました。一度死にたいと思うと、消えたいと願うと、それらはずっと存在し続けるようです。また、記憶というのも都合のいいやつで嫌なことだけを綺麗さっぱり忘れるみたいです。死ぬにも死にきれないので「死にたい」とはどうにか仲良くすることにします。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
誰にも言えない、けど
感想2
自分のしんどさなどの感情・これまでの経験や状況などを何度も振り返り整理して分析されてきたことを、すごく感じる文章だなと思いながら読ませていただきました。
幼いころの経験から姉としてしっかりしなければという気持ちもあり、もしかすると周囲の人からも言われてきたということもあるかもしれません。また、きっと周りからみてもまさか死にたい気持ちを抱えているようになんて見えないように、いい子のイメージを壊さないように、無理をしてでも仕事を引き受けたり気を使ったりして過ごしているようにも見えました。だけれども、今回あなたが書いている「見られたくない。でも誰かが気づいてくれるかもしれない。」という文章には、どこかで誰かに自分のつらさ・しんどさに気が付いてほしい、という悲鳴に近いような気持ちがあるようにも感じています。
あなたは周りの人たちが自分に期待することや自分が果たすべき役割を自覚してずっと頑張ってきているのだと思う一方で、それは周りの人たちが頑張ったり努力したりできるあなたに甘えているところもあるのではないか、と思っています。あなたが中学1年生のときにもう一つ仕事を引き受けて「死にたい」という気持ちを抱いたのは、頑張れるあなたに甘えた周りの人たちにも責任があるともいえるように感じています。
「私は助かろうとしていない」「私は人の話を素直に聞き入れない面倒な人間」というように、あなたはどちらかというと自分に責任があるように感じたり、自分自身に原因を求めているところもあるのかもしれません。だけれどもあなたの意識の中には常に他者が存在していて、周りにとってどうかということも考えながら過ごしているようにも思います。他者を強く意識しながらも、自分に責任を求めていくことが日常化しているとしたら、それはとてもしんどく、ともすれば自分を追いつめてしまう可能性もあるなと勝手ながら想像しました。カウンセリングもふくめ、まわりに身を任せられないのは「普通であること」への敏感さ、あともしかすると「助けてくれる」と期待すれば裏切られる可能性もあるからかもしれません。普通であることを意識するがゆえに「私は強くなくてはならない」という思いを抱いているところもあるかもしれませんが、もしかすると周りの目線や環境に頑張らされているところもあるのかもしれない、とも思います。
ただできるだけイメージを崩さないように周囲を意識しているあなたにとって、この夏あなたが課題をやらないという行動で示してみたり、お母さんにどうしたらいいかわからない気持ちを伝えられたのはとても大きな出来事なのではないかとも思っています。死にたいという気持ちに背中を押されたところはあるかもしれませんが、リスカや抜毛症とはまた別の形で表現ができたというのは、変化のひとつといってもいいのかもしれないなあと個人的には思っています。
私も「死にたい」「消えたい」は一度思うとずっと存在し続けるというのはそうだなあと感じています。実は「死にたい」「消えたい」という気持ちは誰しもの中にあるのではないかと私は感じていて、そこに全くスポットライトがあたらない(自分の中にあることを自覚しない)人もいる一方で、一度スポットライトがあたれば「そこにある」という認識が自分の中に生まれるものではないかなあと。あなたの場合は中学1年生のときにぽっとそこにスポットライトが当たったのかもしれません。ただ個人的にはスポットライトが別のところを照らし始めたら、「あ、そうだそこにあったんだわ」とちょっとわすれるようなときもありますし、なくなったりはしないけれどそうやって一緒に生きていくのもひとつの方法なのかも~と思いながら過ごす毎日です。
あなたが書いているように死にたいと仲よくしていくときのツールとして、この経験談をまた利用してもらえたらと思いますし、これまでご自身の中でされてきた振り返りと分析を一緒に語り合ってみたいと感じました。よかったらまた投稿していただけたら嬉しいです。
感想3
読んでいて、あなたの中に明確なストーリーがあることを感じました。自分の身に起きた出来事とそのときに生じた気持ちを振り返りながら、「だから今自分はこういう人間になった」ということをより納得感をもって言語化しようとする方なのかなとイメージしています。いろいろなものを抜きにしてダイレクトに「あなた」がどんな人かを伝えようとする語り口は、まさに「健全な自分語り」だと思いました。
身近な「誰か」に話すと、望むと望まざるに拘わらず何らかの「反応」や「評価」が生まれ、それが自分の求めている形をしていることもあれば、そうでないこともありますよね。勝手な想像かもしれませんが、あなたはかなり早い段階で「自分はどう見られているか」や「何をしたらどう思われるか」という視点(判断基準)を獲得したように感じました(弟さんの病気や障害の事に紐づいて、小学校くらいにはすでにそういう考えがあったのかなと想像しています)。それゆえに「自分はどう思っているか」よりも他者の目が先立ち、自分の中にあるどうしようもないつらさやモヤモヤに対して、自己完結で折り合いをつけるしかなかったようなところがあるのではないでしょうか。「私は素直に人の話を聞き入れない人間」だと書いていましたが、誰かの話を聞き入れ、分かち合おうとする(それをしてみようと思える)感覚の前提には、まず先に、誰かに自分の率直な思いを聞き入れてもらう経験、「伝えてみても大丈夫かもしれない」と思える機会が必要なのではないかなと私は考えています。その点で、あなたが「あなた」として、他者評価を抜きにして安心感をもって感情や意思を表現する機会は、幼いころから決して多くなかったのではないかと想像しました。あなたが「自分はこういう人間だ(であらねばならない)」と感じることの中には、社会や環境の在り方、周りの人のかかわり方が影響している面もたくさんあると思いました。
個人的に、高校2年生で初めて「死にたい」と思ってから今に至るまで、薄まることはあっても消えたことはなく、「死にたい」という気持ちとの付き合い方についていろいろ考えてきました。(当時はそんなふうには思えなかったですが)今思えば、「死にたい」という感覚は、自分が抱える生きづらさや、自分がどんな性質を持った人間かということに気づきはじめる第一歩だったのかもしれない、と振り返ることがあります。「死」について考えることは時にものすごく心を不安定にしますが、同時に「自分は何が辛いんだろう」ということを捉えるよすがになり得るとも思います。ただ自分について考え続けるのは楽なことではないので、そんなとき自分だけに矢印を向け続けない方法として、カウンセリングや文章という形で「外に出す」「誰かに渡す」ことが自分を助ける場合もあるのかなと感じます。あなたが自分との対話をしつつ、誰かにそれを出してみる機会も持つ、そんなバランスを取る方法として死にトリが役立つようなら、また使ってみてほしいです。
感想1
投稿ありがとうございます。
投稿を読ませていただいて、あなたは自分の心を見つめて分析し、今までたくさんの葛藤を抱えて生きてこられたのかなと想像しています。
また、宿題をしなくてはいけない、任された仕事をやりきらなければならないというエピソードからあなたは真面目で責任感が強い人なのかなとも想像しています。
リストカットの傷について、「見られたくない。でも誰かが気づいてくれるかもしれない。」という言葉が印象に残っています。タイトルの「誰にも言えない、けど」という言葉からも、あなたの中で辛いということを隠したい気持ちとだれかに気づいてほしい気持ちとが混ざりあい、葛藤し苦しんでいるように思いました。
弟さんが生まれてすぐに、あなたは本当はかまってほしいという気持ちを抱えながらも、弟さんのことを考えてしょうがないと割り切り、お母さんと離れてすごされたとのことでしたね。あなたもまだ幼い中で、そのような状況はとても辛かったのではないかと想像しています。
当時の寂しさやかまってほしかった気持ちはあなたの心の中に今も根を張っているように思います。「病んでいる自分、かわいそうな自分が好き」というのは、そうでなかったら自分の存在に気づいてもらえないのではないかという不安とその気持ち自体があなたが自分自身のことを肯定できる大切な部分になっていたりするのかなと想像していました。
そして、これらが誰にも知られたくない、でも気づいてほしいという葛藤にもつながっているのかもしれないなと想像しています。
弟さんの障害のことをまわりに話すと驚かれたり、お出かけの時にジロジロ見られるというのが嫌だったというのは、自然なことのように思います。まわりからのまなざしにあなたは今までたくさん傷ついて来たのではないかと想像しています。それはあなたや家族が原因ではなく、相手(社会)に未熟なところがあるのだと思います。
そのような経験から、カウンセリングなどの支援を受けるのもいわゆる「普通」ではないから嫌だという気持ちになるのは自然なことのように思いました。
「私は強くなければならない」という言葉から、未熟な社会(まわりのまなざし)に対して「普通」で居続けることがあなたなりの戦いのように思いました。
ただ、私はあなたが「普通」で強くあり続けなければいけないのかと少し疑問に思いました。まわりの環境や社会によって、あなたがそのように思いこまされているのではないかと思ったからです。
お姉ちゃんだから我慢しないといけない、自分は普通でいなくてはいけないという思いは自分から湧き上がってくる気持ちというよりは、まわりのまなざしや環境によって生まれてくるもののように思いました。
「強くあらねばならない」という気持ちと「病んでいる自分が好き」という気持ちの葛藤も、まわりから思いこまされたものと自分の気持ちが混在していることから生まれているように思います。
どこかに気持ちを出してみて少し距離を置いてみると、見えてくるものもあるかと思うので、よかったらまた投稿しに来てもらえたらと思います。