経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

初めてあう集団いじめ

会社に入社してハラスメントの同僚の相談にのってエスカレーションしたら会社の集団いじめにあうようになった。こんなの意味が分からない。どうして私が標的なの。最初は意味が分からずにいたら上司に気に入られたくていじめを仕掛けてくる人達が出てきた。最初は元気だったけど最近は辛い。会社に行きたくない。泣いて家族に相談したら泣かれてしまった。私はどうしたらいいの。何が悪かったのか意味がわからない。だって相談されたら改善していくのが当然なはずなのに。全く意味が分からない。私は怒り任せて怒鳴りたくない。心静かに過ごして皆で楽しく過ごしていたい。なぜ集団いじめにあわなきゃいけないの。もう心が疲れてきて折れそう。今喧嘩を売られたり、ふっかけられたりしてる。本気で返しても良いけど負の連鎖だよ。なんて愚かなんだろう。なんでか意味分からない。嘘の噂を流すなんて信じられない。上司なのに何で。人して間違えてる。相談した両親に常識が無い人間に当たってしまったねって泣かれた。私はどうしたら良いか困惑してる。段々気力が失せて死んだら楽になるよねって思う。そんなつもりで生きてる訳じゃないのに。もう疲れてきた。生きてることに疲れてきた。目をつぶったら死んでしまいたい。そしたら自然に死にたいのに。家族や夫が悲しまずにすむのに。私は死にたくはないけどもう死んでも良いかもしれないって自然に思えてくる。何でだろう。よく分からない感情が湧いてくる。もう終わりでも良い気がする。仕事を頑張ってきたけどもうここで良いかもって分からない感情が湧いてくる。心が疲れてるのかな。もうここで人生終わっても良い気がするって分からない。私が私として生きていけないから辛い。自分が全て否定されてきて疲れたのかな。おかしいな。

感想1

一読して、同僚の相談にのって必要な対応をした投稿者さんがどうしてこんな理不尽な目にあわなければいけないのか、純粋に怒りを感じました。投稿者さんが書かれていたように、私も意味がわかりません。そんな相手の土俵に立たず、負の連鎖を繋ぐまいとしている投稿者さんの姿に清廉さを感じました。しかし、日々そんな環境の中で闘うのは、大きく心が削られるだろうなと思います。何をどうしたらいいのかわからない状態のままでいるのは、それだけでもとても疲れることだと思います。
投稿者さんが置かれている状況を全て把握しているわけではないので、好きなことを言っていると思われるかもしれないのですが、できるならどうか休んでほしいと思いました。いじめてくる相手に付き合って、投稿者さんが死を望まなければいけない状況になっているのは、個人的には許せないし、とてももったいないと思ってしまいます。社内での解決が難しいなら、労働局や弁護士など外部を頼るのもありだと思うのですが、そうして闘うにもかなりのエネルギーが必要だと思います。何をするにもまず休んで回復してほしいと勝手ながら思ってしまいました。その上で、投稿者さんの選択肢の中に「その場から離れる」というのがもしあれば、それもやむなしだと思うのです。投稿者さんのような人が安心して働ける職場はあると思いますし、ある世の中であってほしいと思います。投稿者さんが投稿者さんとして生きられるよう願っています。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。読みながら、理不尽な現実に直面したときの“理解することが難しい痛み”がそのままの形で滲み出ているように感じました。
“意味が分からない”という感覚が恐らくあなたの中で何度も繰り返されているのだろうと想像し、怒りや悲しみよりも先に、理屈を超えた不条理への困惑が先立っているように私は捉えました。人が人をいじめること自体、合理的な理由などないと私は思いますが、職場という集団の中ではそれが“仕組み”のように機能してしまうことも少なくはないよな…と。あなたが直面しているのは、個人間のトラブルではなく、組織の中で生まれる構造的な暴力なのではないかなと考えていました。
本来、ハラスメントの相談を受け止め、改善へつなげることは企業にとっての責任であると私は思います。でも、現実の多くの職場では、問題を“外に出す人”が排除の対象となる場合もあって、あなたが標的にされてしまったのは、きっと善意を持ち、正しさを実行したからであり、なんというか“沈黙の秩序”に逆らった人に対する集団の自己防衛反応のようなものなのではないかなと思ったりしています。これはあなたの性格や判断が悪かったのだという話では決してなくて、日本の職場文化が抱える根深い構造的な課題でもあるよなとあなたの経験談もそうですが他の方の話を見聞きしていても感じることで、正直こんな理不尽なことあってたまるかとその社会の理不尽さに憤りというのか、勝手ながら悔しい気持ちになっている自分がいます。
対立ではなく共存を求めるあなたの本質的な様子も見られて、人を攻撃する側の人々が、上司や集団の中で安心を得ようとしているのに対し、あなたは“人として間違えている”と感じながらも、怒りを暴力に変えずに踏みとどまっているその誠実さこそが、報われにくい社会ではあるけれど必要で大切な姿勢なのかもしれないなと思いつつも、それゆえにどこにもやり場のない感情を抱えることになったり、しわ寄せを感じることも多いよなと、そのバランスって本当に難しいよな…と改めて感じました。
どんなに強い人でも、孤立の中で耐え続ければ心は疲弊するものなのではないでしょうか…。“もうここで良いかも”とか“自然に死にたいと思ってしまう”という感情は、死への願望というよりも、終わりのない痛みに対して“休息”を求めている心の声だと私は思いました。どうして自分が折れなければ、犠牲を払わなければいけないのかという感情も湧いてきてしまうかもしれませんが、あなたが「私が私として生きる」ことを否定されない環境はあるはずですし、今の職場だけが全てではないよということをお伝えして感想とさせていただきます。そう簡単なことではないのは承知の上で、この先少しでもあなたが安心して自分でいられる時間が訪れることを願っています。また死にトリが必要に感じられたらいつでも声を届けてほしいです。

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