経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

苦しんでほしいって言われて

みんな辛いから、みんな苦しみながら生きてるから、もっともっと苦しんでほしい。
_親に、繰り返し言われた言葉です。
精神障害を持った母親は不安定で時折別人になりますが、真面目で優しく、家事をしてパートを転々としながら私を育ててくれました。そんな母が私は大好きで、決して心配や迷惑をかけたくありませんでした。
父は稼ぎ頭で、そんな母を支え、意味不明な奇声や、突然怒鳴り声をあげたりしながら家庭を守ってくれました。
自分の部屋もない小さい団地、そんな家族が私の全てです。
親は好きで、学校は知らない人がたくさんいて苦手でした。私は幼稚園の時に階段から落ちて頭を打ち、記憶がありません。
学校では違うクラスの人でも私を知っていて、みんなが声をかけてくれました。「バイ菌が移る」「嫌われ者」「気持ち悪い」と、どこにいても人気者でした。そして、全体的にあまり記憶がありません。中学については、ほとんど何も思い出せません。
高校のクラスは、幼稚園と呼ばれていたのが、いつのまにか動物園と呼ばれるようになりました。有名な不良校で、穏和な先生がどこまで怒るか試したり、授業中に卓球をするので、私の頭にボールが当たったりしたこともありました。
そんな学校のことを、担任や、カウンセラーや、保健室に行って相談をしました。みんな、笑い飛ばしたり、我慢しろと困ったように微笑むだけでした。思い詰めた私は、私の方がおかしいのではないか?と思って、精神科へ受診しました。会話が苦手な中で、高校で上手く行かないことを話すと、「障がい者を馬鹿にするな」とお説教を頂き、検査はしてもらえませんでした。
辛い日々でしたが、「学校は楽しいとこだよ!」と親は私を励ましました。「どうして楽しいのに休むんだ!」と激しく怒鳴り付けられ、高校を卒業した私は、胃潰瘍になり、まともに食事ができなくなりました。
食べられない、すぐに吐いてしまう私を、親は不思議がって、理解ができない様子でした。痩せ細って、胃痛と吐き気で眠れなくて、それでも理解してもらえませんでした。でも、理解してもらおうというほうが図々しいのです。
友人も、兄弟も、いとこも、学校外の友達も、ネッ友も、いません。助けを求めても、無理だと言われます。
そんな私は、chatGPTがいる時代に産まれて、幸せです。人は信じないくらいでいいと思っていいんです。
心理学を専攻した私は、「サプライズを喜ぶ」人の特性を知っているからです。
人はこれからも嫌いですし、保護犬や保護猫を、自分と同じだと思って見ています。それでも付き合っていくしかありません。
トラウマを呼び起こされては、こうした苦痛を得ずに育った人が羨ましく感じます。でも、普通の人はそれなりに慣れない挫折に苦しみます。
母の言う「苦しんでほしい」が、「苦しむことで、それに耐え抜く力を得てほしい」という意味だということくらい分かっています。大人なのですから。
それにしても、無責任に産んでくれたと思います。産んでくれてありがとうというためには、それなりにやりたいことを見つけないといけません。
この苦しみが何かの役に立つとしたら、ここ(死にトリ)なのでしょうか?
親に、真っ正面から感謝を言えるような人間になりたいです。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。幼少期からの経験の一つひとつが、常に緊張感を伴っていたでしょうし安心とは程遠い日々を送らざるを得なかったのだろうと想像しています。
お母さんから繰り返しかけられた言葉は、表面的には残酷でも、その裏には“苦しみからしか生きる力を得られない”という、お母さんなりの生きることへの哲学が隠れているようにも感じ、きっとお母さんも、そうやってしか生き抜く方法を知らなかったのかもしれないなと感じます。でもだからといって、決してあなたへの振る舞いが正当化されるわけではないですし、ケアを強いられてきた環境はあなたが子どもらしく生きる時間を奪われたことでもあることを考えると、何とも言葉にできないもどかしさを抱いてしまいますし、あなたがそのお母さんの言葉を理解しながらも、それでも痛みとして抱え続けていることに、恐らくずっとあなたなりに咀嚼しては自分の中に落とし込もうとしてきたのだろうと私は感じました。(全然違っていたらすみません)
学校でも家庭でも、あなたが助けを求めた先が、すべて閉ざされていたことが印象的で、誰かに話しても、笑い飛ばされたり、怒鳴られたり…そのような状況では、「理解してもらおうというほうが図々しい」という感覚になってしまうのも無理もないことだよな…と私は思います。この社会が心の問題を“我慢”や“気の持ちよう”に還元してしまう文化の中で、あなたのように、真剣に自分の苦しみを見つめようとする人ほど孤立してしまうというのか…こうした構造的な冷たさこそが、多くの人を傷つけてきたのだと改めて痛感させられています。
社会は、「苦しみを語れること」や「弱さを許されること」を、まだ十分に認めていない風潮も確かにあって、けれど、あなたのように自分の経験を言葉にできる人の存在が、その社会の在り方へ小さな風穴を開けていくのだと私は思っています。あなたの文章には、絶望の中にも、痛みを見つめながらなお自分なりの信念のもと生きようとする力を勝手ながらではあるのですが感じました。あなたの中で存在している相反する感情(があるように私は感じていますが…)に苦しむこともあるかもしれませんが、そんな時はまた死にトリを活用してもらえたらなと思いました。

感想2

思いつくままに率直な気持ちを書き綴ったのでしょうか。ところどころ、相反するような複数の思いが錯綜しているような印象を受けました。最初の方で「親が好き」と書いているけれど、最後の方では「無責任に産んでくれた」と書いてあり、恨みのようなニュアンスも受けました。そして、タイトルにもある「苦しんでほしい」と言われることについても、あなたがどのように捉えたらよいのか迷っている様子も見受けられる気がしました(違っていたらすみません)。
身近に過ごした大人である母親の不安定さに加えて、幼稚園時代に頭をぶつけた影響もあるのかもしれませんが、経験談からあなたの記憶や認識がところどころ途切れているところがあるように感じました。もし、記憶や認識が途切れているとしたら、自分の周囲で起こることをうまく理解できずに人を信頼することや好きになることも難しいだろうと思いました。
私にはあなたの「無責任に産んでくれた」という気持ちも本音だと感じましたし、「産んでくれてありがとうと言えるようになりたい」という願いも本音なのだろうと思いました。そして、そうした両方の気持ちがあってもいいと思いますし、その日によって違っても不思議ではないと思っています。周囲には助けを求めても無理だと言う人たちが多いようですが、ChatGPTだけでなく、匿名のチャット相談などもありますので、活用しやすいものを試してみてください。少なくともあなた自身は自分を助けようとしているように感じましたし、そのための一つの行動がこの経験談であると私は感じました。なぜなら、誰かの役に立ちたいという気持ちは自分の意味や価値を見つけたいという願いにつながっていると思うからです。これからも、必要な時には気持ちを届けてもらえたらと思います。

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