経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
          
          
            無職、引きこもりです。
ずっと失敗続きで、人間が怖くなり、人の目を見て喋ったり、まともな会話ができなくなりました。
体も重く、動くのにかなりの気合がいる状況で、時々寝込みます。
病院で、うつと適応障害と診断され、継続して通っていましたが、貯金がなくなって通院もできなくなりました。金銭の支援は誰からも受けられません。
実家で両親と暮らしていますが、家事だけでも必死で、他に何かする気も起きません。
両親には車の運転を勧められていますが、うつになった際、バイクで左折する時に何が何だかわからなくなり、頭と精神が落ち着くまで、歩道で休むということがあってから、バイクや車の運転に恐怖を感じています。
そんな現状ですが、住まわしてもらい、生かしてもらっている申し訳なさから、家事や運転はするしかないと思っています。
日常生活だけで必死で、未来に希望もありません。
金がないため病院にも行けませんが、金を稼ぐための仕事ができる気力も自信もまるでありません。在宅のフリーランスの仕事もクビになりました。
両親はまったく悪くないのですが、両親に課される仕事だけで必死で、生きているのがどうしても辛い。
全てがどうでもよくなりつつあり、ホームレスになろうか真剣に悩んでいます。
路上生活でもいいので、最後くらい誰のことも気にせず、負い目も感じず、先のことを考えず、好きなだけタバコ吸って、好きなだけ寝たいです。
           
                        
                感想1
                
                  20代の長い時間を無職やフリーターの間でいったりきたりしながら過ごして、社会との接点や地に足を着けることに膨大な時間をかけた私としては重なる部分を感じながら読ませて頂きました。
過去の失敗が与えた影響は今も大きく心にしこりのようになって投稿者さんを縛り、気力や体力なども奪っていきながら、それでも何とかして今の自分や現状を成立させようとするために家族から求められるものを何とかしてこなす板挟みの状態にあるのかなと想像しました。
本来であれば過去の傷を時間をかけて癒し、徐々に自分のペースで、自分の出来ることを見つけたりこなしていきながら再び歩を進めることがいいのかもしれませんが、それができずに無理にでも身体を動かし働くことや生きていくことに自身を当て込めていくことにはとてつもない負担や心労があるように(私の経験としても)思えます。
それは(投稿者さん自身の焦燥感や立場的なものもあるのかもしれませんが)家族から求められるプレッシャーや気遣いがより負担を大きくしているようにも感じられました。もちろん車の運転の件なども含め、家族として親御さんなりの心配やきっかけを作っている面もあるのかもしれませんが、少なくとも今の投稿者さんにとってはそれはどちらかと言うと現状をさらにつらくさせるものにしかなっていない気がしますし、自分で選択して何かをするということで考えたらミスマッチになっているようにも私には感じられました。
しかしながら、そういった「それをやるだけで精一杯」と感じる日常がある中で、それでもなおしっかりと日常において自分が出来ることをやり続けていることには、投稿者さんの実直で真摯な部分があるからと言える気も私はします。
今の日常や生活においてではそれは投稿者さんの負担としてのしかかって、よりつらさを顕著にする方向に働いているのかもしれません。ですので、たとえ時間がかかったとしても、一度に全部をやらずに少しずつでも自分に出来ることや進んでいくことを模索していく形があってもいいのかなと勝手ながらに思いました。投稿ありがとうございました。
                 
               
                          
感想1
20代の長い時間を無職やフリーターの間でいったりきたりしながら過ごして、社会との接点や地に足を着けることに膨大な時間をかけた私としては重なる部分を感じながら読ませて頂きました。
過去の失敗が与えた影響は今も大きく心にしこりのようになって投稿者さんを縛り、気力や体力なども奪っていきながら、それでも何とかして今の自分や現状を成立させようとするために家族から求められるものを何とかしてこなす板挟みの状態にあるのかなと想像しました。
本来であれば過去の傷を時間をかけて癒し、徐々に自分のペースで、自分の出来ることを見つけたりこなしていきながら再び歩を進めることがいいのかもしれませんが、それができずに無理にでも身体を動かし働くことや生きていくことに自身を当て込めていくことにはとてつもない負担や心労があるように(私の経験としても)思えます。
それは(投稿者さん自身の焦燥感や立場的なものもあるのかもしれませんが)家族から求められるプレッシャーや気遣いがより負担を大きくしているようにも感じられました。もちろん車の運転の件なども含め、家族として親御さんなりの心配やきっかけを作っている面もあるのかもしれませんが、少なくとも今の投稿者さんにとってはそれはどちらかと言うと現状をさらにつらくさせるものにしかなっていない気がしますし、自分で選択して何かをするということで考えたらミスマッチになっているようにも私には感じられました。
しかしながら、そういった「それをやるだけで精一杯」と感じる日常がある中で、それでもなおしっかりと日常において自分が出来ることをやり続けていることには、投稿者さんの実直で真摯な部分があるからと言える気も私はします。
今の日常や生活においてではそれは投稿者さんの負担としてのしかかって、よりつらさを顕著にする方向に働いているのかもしれません。ですので、たとえ時間がかかったとしても、一度に全部をやらずに少しずつでも自分に出来ることや進んでいくことを模索していく形があってもいいのかなと勝手ながらに思いました。投稿ありがとうございました。