経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

離婚を受け入れる為に何をしたらいい?

子供達が少し大きくなり、夫が出ていきました。元々ワンオペ。仕事もして金銭的には問題なく、特に変わりのない生活をしています。夫が出ていってから発達障害を持つ子供はやっと落ち着いた不登校が再発し高校卒業が難しくなり通信制へ転入。親として相談しながら育てたいと伝えても、離れてても大丈夫と帰らない夫。元々話し合いが嫌いな夫。それよりも私と離れたいと。一体私は何をしてしまったのか?の問いには、ただ私に対しての愛情がなくなった、と。子供達のそばから離れてまで、私と居ないことを選んだのだから余程嫌いなのでしょう。私も身勝手な夫には愛想がつきました。なのに離婚を受け入れられない自分が分からないし嫌いです。子供達には好きなものを買い与える甘い父親なので、子供達は父親が好きです。同居の私は、日々の細かい事を注意したりするので、さぞかしうるさい母親でしょう。不公平だな、と思うと更にもういいやん離婚で、と思う。なのに踏み切れない。どうしてなのでしょうか。謎過ぎて、この先自分はどう過ごせば良いのか不安ですし、現実を受け入れるには何をしたらいいのでしょう。30年近く縁のあった夫。その人から『要らない』と言われてるのに踏み切れない自分。消えてしまいたいと毎日願ってます。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。長い年月を共に過ごした相手との関係がじわじわと崩れ落ち、その喪失をどう受け止めてよいのか分からない戸惑いと、理屈では割り切れない心の痛みが伝わってきました。
夫さんが出て行っても、日常の歯車は止まらず、仕事も子育ても続き、外から見れば「変わらない生活」なのだと思います。けれど、その“変わらなさ”こそが、心の奥で現実を突きつける残酷な日々になっているのではないかなと私には思えました。親として、夫婦として、共に向き合いたかった時間があったのだと想像しますが、片方の拒絶によって一方的に分断されてしまったとき、“裏切られた”というより、“共に担うはずだった現実を押し付けられた”と感じるのではないかなと感じます。
夫さんの言葉があまりに一方的に感じられてしまって、「愛情がなくなった」と言われることの痛みや衝撃は、相手の感情だけでなく、自分の過ごしてきた時間そのものを否定されたような感覚を伴うものなのではないかと思ったりもします。
30年という時間は、ただの数字ではなく、あなたが生きてきた記憶そのものだと思いますし、その記憶を「終わり」として切り捨てることが、簡単にできるものでもないと思います。
「愛想が尽きたのに離婚できない」という矛盾も、確かにそこには情や依存もあるかもしれませんが、“自分の生き方の一部が崩れることへの恐怖”も含まれているのではないかなと私も配偶者との関係に悩んでいる身として思うところではあります。夫婦関係だけではなく、お子さんのことも考えるとあなたが自分の心の揺れ動きに振り回されてしまうのも、無理もないことだと思ってしまいます。
どう過ごせばよいのかが今は見えなくても当然のことなのではないでしょうか…。恐らくずっと家庭を守るために立ち止まらずに進んできたのだろうと勝手ながら想像していますし、ある種ようやく立ち止まって自分のことをじっくり考えられる時間ができたと捉えることもできないかなと…。こればかりは全て納得のいく形で、事を進めるのは難しいことかもしれませんが、どうか少しでもあなた自身に悔いが残らない選択をしてほしいと願っています。また一人で気持ちを抱えておくのがしんどくなってしまった時などはいつでも死にトリに声を届けてほしいです。

感想2

自分から離婚を切り出したり、話し合って離婚を決めるのと、相手が出ていって離婚の話になるのでは同じ離婚だとしても、自分の納得感や気持ちが違うんじゃないかと思いました。私があなたと近い状況だったら、今離婚するのは身勝手な夫の要求に応じてしまうようでなんだか不服というか、これまでの不公平や我慢の行先がなくなってしまうようで、離婚したくても素直にそうなれないような気がしました。それに、長い年月を過ごしてきた相手との関係が変わることは、人生においても大きな出来事だと思います。簡単に決められないことも、相反する気持ちを持つことも自然なのかもしれません。不安はあってもあなた自身が納得して決断できることを陰ながら応援しています。

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